今年の大学入試が、オミクロン株の影響で大きく混乱している。
1月15日、16日は大学入学共通テストだが、文部科学省はその数日前にコロナ感染の影響で共通テストが受けられなかった場合、個別試験のみで合否判定をしてほしいと、全国の大学に要請した。突如のルール変更に振り回される受験生たちは、「なぜこんな時代に受験をすることになったのか」と、自らの悲運を嘆いているだろう。
もちろん、今回の受験生が不運なのは間違いないのだが、せめて彼らに「ああ、これなら、今のほうがマシかも」と気持ちを落ち着けてもらうために、いま思うとギャグとしか言いようがない、団塊ジュニア世代の受験事情を振り返ってみたい。(文:昼間たかし)
年間10万人以上が大学・短大に入れなかった
戦後の大学入試には、「団塊」と「団塊ジュニア」というベビーブームで極端に競争率が激化した世代があった。文部科学省の「学校基本調査」によると、団塊ジュニアのピークである1990年には、志願者数86万8717人に対して入学者数は72万7535人だった。約14万人が涙を飲んだかっこうだ。
これが2019年だと、志願者数67万3844人に対して、入学者数は63万1267人だった。「どこにも入れない」人は、大幅に減っている計算だ。
現在では、学生数を確保するため、入試が多様化。複数日程や遠隔地在住者向けの試験会場を用意する学校も増えてきている。
しかし、団塊ジュニアのころには、こうした柔軟な配慮などなかった。地元以外の学校を受験しようと思えば、受験生に交通費や宿泊費などの負担が重くのしかかってきていた。しかたなく新幹線や夜行列車で全国をかけめぐる人もいた。
不安が生んだ独特の文化
当時と今と、最大の違いは「情報格差」だろう。
孤独な受験勉強も、いまならツイッターを見れば、大勢の受験生たちの様子がわかる。さまざまな「勉強法」や「受験ノウハウ」が開発され、自分のレベルや状況に合わせて好きなものを自由に選べる時代だ。
しかし、「インターネット以前」は違った。地方の受験生は限られた受験情報を求め、雑誌を買って合格体験談を読んだり、高い授業料を払って都市部の予備校に通うなりしていたが、その情報量は圧倒的に少なかった。
親にアドバイスを求めようにも、「団塊世代」はまだ大学進学率が10%台。多くの親が大学受験を経験しておらず、運が悪いと想像上の謎アドバイスを押し付けられることになった。
筆者も90年代中盤に大学入試を経験したが、とにかく暗い顔をして勉強している浪人生が当たり前にいた記憶がある。月刊誌『螢雪時代』には、そんな人たちを鼓舞するためだろうか、大卒の有名人が楽しそうに学生生活を語るようなインタビューが、数多く掲載されていた。
「根性」と「妄想」の時代
「受験生向けの自己啓発本」もブームだった。中でも、有名予備校講師だった吉野敬介の『暴走族から予備校講師になったオレが言うんだ「おまえはバカじゃない」やればかならず合格する』は、筆者を含め、大勢のトラウマになったのではないか。
中身は単なる根性論なのだが、これを真に受け、睡眠時間を削って勉強する受験生も絶えなかった。寝そうになったら手の甲に針を突き刺して……というくだりなんかは、今から考えると、ギャグとしか言いようがない。なぜ寝ないのか。
こういったものを振り返ると「根性・気合で合格だ!」とか「難関大に合格すれば人生すべてバラ色」とか、受験やその後の大学生活に、信仰じみた妄想を抱いていた人も多かった。
そんな時代から比べると、ちかごろの受験生はずいぶんと冷静で賢くなっているように思う。いまは高等教育で学ぶ内容も、仕事も働き方も、かつてなく多様になってきている。「卒業校の名前」に以前ほどの輝きはない。こんな20年以上前のアホな昔話は笑い飛ばし、落ち着いて試験に挑んでほしい。