2021年12月31日 09:41 弁護士ドットコム
コロナ禍2年目となった2021年も終わろうとしている。緊急事態宣言が頻出した日々に、心を乱された人も多かったのではないか。鈴木泰堂さん(46)は、電話や対面で年間400人以上の悩み相談に乗っているカリスマ住職だ。相談者たちの変化を尋ねつつ、新年に向けた心構えなどをお寺で問答してきた。(ジャーナリスト・富岡悠希)
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12月19日午後に開かれた今年最後の「例祭」に合わせ、鈴木さんが住職をつとめる示現寺(神奈川県藤沢市)を訪問した。新幹線の走行音が聞こえる本堂には、檀家ら15人ほどが集まっている。年配層だけでなく、幼児を抱えた親子連れの姿もあった。
白い法衣に身を包んだ鈴木さんが、祈祷を始める。朗々たる声量は、マスク越しでも迫力十分だ。長セリフが続くと、こめかみの血管が浮き出た。厳粛な雰囲気の中、例祭が進む。最後に10分の講話をして、ぜんぶで50分ほどで終わりとなった。
――今年はこうした例祭や示現寺の活動も制約を受けましたか?
私は「来るもの拒まず、去るもの追わず」の姿勢です。ほかのお寺では来訪者を断り、お経を上げに行かないところもありました。しかし、私はお檀家さんがこちらに来たいと言ったら喜んで迎えました。
また、お盆のときにもお檀家さんの家に出向きました。すると、「来てもらえるのですか?」と驚かれた。地方からの親類は参加できないのに、われわれ坊主がいることもありました。
もちろん、マスク姿で、消毒もするなどコロナ対策はしっかりしたうえでのことです。
――鈴木さんは、檀家以外の人々からの悩み相談にも乗っています。そちらのほうは?
以前は、全国からここに来られる方がいました。しかし、コロナ禍になってからは、私は構わないのですが、相談者が対面を遠慮される。
地方の方でもコロナ前は通常、初めてのときは対面。2回目以降は、電話で話を聞くというスタイルでした。
しかし、コロナ禍では最初から電話相談になっています。ほかの方々も含め、電話相談の割合がぐっと増えました。
――相談内容も変わったのでしょうか?
「孤独」にまつわる悩みが増えました。
コロナ前は人間関係に関する悩みが一番多く、半分を占めていた。夫婦、職場、友人など、その対象はさまざま。夫がダメだ、妻と合わない、職場のあの人が嫌いだ、友人とケンカした、などです。
人は悩み始めると、頭の中がゴチャゴチャになってしまいます。それを仕分け、最初に考えるのはこれ、次はこれと一緒に整理をする。そんなことをしてきました。
また、以前は、不可解なこと、非科学的なことに関する相談もありました。「家の中で人影が出るから、こちらに来て祈祷してほしい」とか。こうした相談は、少なくなりましたね。
――コロナで増えた「孤独」の相談にどう応じるのでしょうか?
話を聞いて、寄り添うことにしています。
ある中年男性は「今日あったことを話す相手がいない」と電話をしてきます。それには、聞いてあげるしかありません。
ある中年女性は、いつも同じことを話して、「これで大丈夫でしょうか?」と聞いてくる。それに対し、「大丈夫ですよ」と答えると、「安心しました」と返ってくる。この「大丈夫ですよ」の一言が聞きたくて、彼女は電話をかけてきます。
孤独の悩みは、出かけない、人に会わないと深まります。ネット通販の成長で、家から一歩も出なくても生活できる。しかし、それでは孤独なままです。
「少しずつ外に出てみましょうか」と声をかける。「コンビニに行けました」と報告が来たら、ほめる。そこから始めます。
――外出自粛を促すコロナの緊急事態宣言が出ていると、やりにくいですね。
たしかに緊急事態宣言は相談者の精神に大きな影響を与えています。
緊急事態宣言が出ている間は水の中にいて、解除されたら、ふっと水面から顔を出し、息継ぎをする。そんなギリギリの線で、孤独と渡り合っている相談者もいました。
人を遠ざけた結果で孤独に陥る人もいるでしょうが、思わぬかたちで孤独になってしまった人もいます。
本来、人は許し許されながら生きていきます。もう少し、世の中全体で人との関わりあい方を見つめ直せるといい。
――仏門にいる鈴木さんがなぜ、多くの俗世の悩みがわかるのでしょうか?
仏教を学んできたからですね。お釈迦さまは「人間界の苦しみは8種類しかない」と教えています。
非常に苦労することを、「四苦八苦」と言いますよね。これ、元は仏教用語です。
4種類ずつ、前半と後半で分かれます。前半の四苦は「生」「病」「老」「死」で、基本的な苦しみです。
「生まれてきたこと、生きることの苦しみ」 「病による苦しみ」 「老いていく苦しみ」 「死を迎える苦しみ」
この4つです。
――残る4つは?
後半に続くのが、「愛別離苦(あいべつ・りく)」「怨憎会苦(おんぞう・えく)」「求不得苦(ぐふ・とっく)」「五蘊盛苦(ごうん・じょうく)」です。
「愛別離苦」は「愛する者と離れなければいけない」苦しみ。 「怨憎会苦」は「会いたくない人、恨み悩んでいる相手に会わなければいけない」苦しみ。 「求不得苦」は「求めるものを求めるほど得られない」という苦しみ。 「五蘊盛苦」は「個々の主観、経験や記憶から生じる」苦しみ。トラウマもこれに含まれます。
相談に来た方の苦しみが、この8つのどこにあるのかをひも解き、理解するようにしています。
――来たる新年も、われわれはさまざまな苦しみを抱えながら、生きていくことになります。どういう心構えがいいのでしょうか?
先ほどの講話でも取り上げましたが、ある仏教用語をお送りしたい。
上求菩提・下化衆生(じょうぐぼだい・げけしゅじょう)です。
菩薩(ぼさつ)が、上に向かっては煩悩を断ち切って得られる「菩提」を求める。下に向かっては、生きとし生ける「衆生」を教え導き、恵みを与える「教化」する。
元の意味はこういったところで、「上求下化」と略すこともあります。
これを私なりに大胆に訳すと、「自らを磨き、他に寄り添う」となる。示現寺の入口にも掲げています。
――意味するところをもう少し教えてもらってもいいでしょうか?
自らを鍛えないで他者に寄り添おうとしても、何の役にも立ちません。甘やかして、マイナスにすらなりかねない。
しかし、自らを磨いたからといって、「自分に厳しく他人に厳しく」だと、こちらも意味がない。単なる独りよがりです。
理想的な姿勢として、「自らを磨き、他に寄り添う」としました。
コロナの先行きが見えずに、2022年を迎えるにあたり不安に思う方もいるかもしれません。ですが、こうした姿勢でみなさんと一緒に精進していければと考えています。
例祭の最中、鈴木さんが背後の椅子に腰かけている檀家のもとに下りてくるタイミングがあった。手にしたお経を背中に数回押し付け、最後は両肩に手を置き、ぐいと力を込める。
檀家に交じり聞いていた筆者も、同じようにやってもらった。両肩を押し込む時に、鈴木さんが「えいっ」と気合を入れる。
その瞬間、両肩から鳩尾に向けて、気合がぐっと注入されたように感じた。自然と背筋が伸びる。「しっかり生きねば」。そう前向きな気持ちになれた。
示現寺の例祭は1月を除き、毎月おこなわれている。筆者のように檀家以外でも参列可能だ。2022年に迷いが生じたら、また足を運んでみようと思う。
鈴木泰堂(すずき・たいどう)1975年4月神奈川県藤沢市生まれ。12歳で出家し、先代の父の弟子に。日蓮宗僧籍取得後、2008年から同市にある示現寺住職。更生を支えた元プロ野球選手の清原和博さんとの共著「魂問答」(光文社)がある。