昔々はドットで表現されていたゲームの世界も、いつからかポリゴンになったりして格段に進歩し、今や大抵のハードで実写に見間違えるようなレベルの映像美を実現している。敢えてポップでゲームチックな映像表現にこだわる作品もあるが、基本的にはリアルな表現の作品が目立つようになっている。
それは素晴らしいことだと思う。子供の頃、スーファミや初代プレステで遊んできたとき、映像では省かれているような表情やら何やらも自分で想像して補完するという楽しみもあったが、今はそれをする手間もない。
つたないゲーム画面を今更見せられるよりは、できるだけキレイな映像を見せてくれたほうがいいって人が多いことだろう。でも、いくらグラフィックが綺麗になっても、それだけじゃだめって人もいるようで。(文:松本ミゾレ)
「俺たちがやりたいジャンルのゲームで、綺麗なグラフィックを!」という願望
先日、5ちゃんねるに「いくらゲームのグラフィックがよくなろうとやりたいゲーム出ないんじゃ意味ないよな」というスレッドが立っていた。スレ主は昨今、映像こそ綺麗だけど、同じようなゲームばかり出ていると思い込んでいるようだ。
本文内において「グラフィックがよくなる→コストが上がる→売れるゲームしか作れなくなる→似たようなゲームばっかり」と書き込んでいる。
個人的には「ソシャゲもグラは大したことないけど、同じようなものばっかりじゃん」って思っちゃうので、これはもう時代の流れで同じようなものが多く出てるってだけのようにも思える。しかしスレ主の主張には賛同の声も多いため、ちょっと引用させていただきたい。
「ゲーム好きなら誰でも予想できるドツボにプロが自らハマっていくんだから意味がわからんよな」
「世界の潮流が一人称視点で銃を撃ち合うゲームばかりになってるな」
「グラはいいけどセンスの欠片もないってのも結構多いよな」
「4Kはまだ理解出来るけど8K10Kって絶対必要ないだろ、何目指してんだよ」
と、このように昨今の綺麗な映像で遊べるゲームに対して、既に食傷気味になっちゃってる人もいることがわかる。グラが綺麗でも、一人称視点で撃ち合うゲームが多いってのはたしかに感じるところではある。
もちろん、ちゃんとグラフィックが綺麗で、三人称視点で遊べるゲームも存在する。僕にしてみれば昨今の『モンハン』なんて既にアレ以上綺麗にならなくても十分って思えるぐらいだけど。
しかし、もっとこう色んなジャンルのゲームを、綺麗な映像で楽しみたいって気持ちはわかる。わかるぞ。戦争ごっこだけじゃなく、色んなごっこ遊びを美しいグラフィックが伴った状態で遊びたいよね、やっぱり。
クリエイターさんへ ゲーマーは、そこまで映像美にこだわってたっけ?
もちろん、つたないグラフィックで表現される世界観を、この時代に出しても誰にも見向きもされないことだろう。でも、ある程度、最低限整ったグラさえあれば、ゲーマーは「見立て」の力でなんとか補完しようとする力がある。
『マイクラ』なんて、傍目には粗いドット絵みたいなデザインだけど、この「見立て」の力を上手く使って、本来の映像以上に魅力的な世界をプレイヤーに提供しまくっている。人間の想像力を使って世界観を補完させているというか、そこがクラフトする上での想像力といい感じに合致していて、特に面白いことになっている。
一方で国内外問わず「なんか箱庭だけ整えました」という感じが透けて見えて、肝心のゲームとしての楽しさがそこまで……となっちゃうタイトルも。
それこそ顧客が「最低限こんな感じで」と望んでいたものに対して、供給側が過剰に敏感になった挙げ句の、「綺麗なグラフィックが大前提」みたいになっている部分が、どっかにあるのかもしれない。
たとえば少し前のスクエニとか、『FF』に登場するおにぎりのグラフィックにものすごく時間を掛けたことをいちいち自慢してたし。でもユーザーのほぼ9割以上は、おにぎりにリヴァイアサンと同じぐらいのCGデータ作り込みなんか求めてないのだ。
多少粗いグラフィックでも、面白ければ遊ぶのがゲーマー。ゲーマーの大半は、映像的に足りない部分は脳内補正でいい感じに誤魔化せるので、もうちょっとそのへんの力にクリエイター側は甘えてもいいような気がする。
根幹が面白ければ、たとえば1つのグラフィックを見て複数人がロールシャッハテストみたく、色んな解釈違いをしたとしても全然問題はないんだし。