2021年12月30日 10:41 弁護士ドットコム
AIによる賃金査定や人事評価をめぐる日本初の労使紛争が、東京都労働委員会(都労委)で係争中だ。日本IBMの従業員でつくる労働組合「JMITU」日本アイビーエム支部は2020年4月、AI(人工知能)を使った人事評価と賃金査定について、同社が誠実に団体交渉に応じないのは不当な団交拒否と支配介入にあたるとして、都労委に救済を申し立てた。
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申し立てから約1年半以上が経過した今も都労委の調査が続く。労働組合側の代理人を務める穂積匡史弁護士は「AIを使った賃金査定を導入する際、労働組合側からAIの学習データやアウトプットなどの説明を要求されたのであれば、IBM側は誠実に説明する必要がある。それを拒否して交渉のテーブルにつかないのは憲法28条や労働組合法が認める団結権と団体交渉権を踏みにじるものだ」と指摘する。
一方、IBMは「あくまでマネージャーの判断をサポートするツール」だとしている。
人事や労務管理で使われるHRテクノロジーが広がる中、今後、どんな問題がおきうるだろうか。IBMの労使紛争は、その先駆けとなりそうなケースだ。(ライター・国分瑠衣子)
最初に日本IBMの労組が申し立てに至った経緯をおさらいしたい。申立書などによると、日本IBMは2019年8月14日付けで、IBMが開発したAI「ワトソン」を賃金査定に導入したとグループ社員に通達した。
組合は複数回の団体交渉を通じてAIの学習データや、評価する側の上司にAIが表示するアウトプットの開示や説明を求めた。だが同社は「AIが上司に示す情報は、社員に開示することを前提としていない」などと主張し、情報開示や説明を拒否。
組合は日本IBMが情報開示や説明に応じないことが、団体交渉を正当な理由がなく拒むなどの不当労働行為(労組法第7条)にあたるとして、AIの学習データなど情報開示や説明を求めて都労委に救済を申し立てた。穂積弁護士によると、日本IBM側は「ワトソンはあくまでマネージャーの判断をサポートするツール」という主張だ。
都労委の調査を通じて、IBM側が出してきた資料によると、IBM報酬アドバイザーワトソンは「給与調整を実行するための情報を提供するAIに基づくシステム」であり、昇給に関する提案をするために、「40種類のデータ」を考慮するという。
例として、「市場におけるスキルの多寡」「主たる業務の専門性」「IBMにおけるスキルの必要性」「過去の昇給」などがある。
これらを、「スキル」、「基本給の競争力」、「パフォーマンスとキャリアの可能性」の4要因ごとに評価したうえで、給与提案をするという。
都労委にはワトソンによる評価者向けの報酬アドバイスを表示したテスト画面もIBMから提出され、そこには従業員の役職や所属、現在の給与、パフォーマンスなどの項目があり、一部には「8%to12%(8%から12%)」と書かれていた。
穂積弁護士は「ワトソンが給与を8~12%上げるよう提案している。評価する側に対して具体的に賃金査定を明示した提案をしていることが分かる」と指摘する。
さらにIBMのワトソンの営業用資料には、マネージャーはAIから得られたレコメンデーションに従う傾向にあるという主旨の文言が書かれているという。こうしたことから、ワトソンが賃金決定をする上司の判断に影響を及ぼし、「判断をサポートする」域を超えてしまう懸念があると考えている。
一方、日本IBMの広報担当者は取材に対し「当社では給与調整時に、評価対象の社員が市場で求められているスキルを持っているか、給与の相対的位置、業界での給与水準、同じ職位での年数などの情報の整理を所属長がAIを活用して効率化できるが、給与調整の最終的な判断は所属長が行う。AIによる情報がストレートに給与調整につながるものではない」とコメントし、AIはあくまで補助的な役割だと主張している。
穂積弁護士は「AIを人事評価に利用することそのものを否定しているわけではない」とする。その上で、労働者側にもたらされるAI特有の4つの不利益の可能性があると指摘する。
この申し立てのポイントは、労働者の賃金をどう決めるのかという話になる。憲法28条と労働組合法では、労働者の権利として団結権、団体交渉権、団体行動権の3つの権利を認めている。
穂積弁護士は「AIを導入しようというのであれば、AIはどんな働きをするのか、どのようなアルゴリズムか、どのようなデータを考慮し、何を出力するのか、上司はそれをどう使うかなどを団体交渉で話し合って、改善すべき点があれば改善するなどして、出来る限り合意を形成するというのが本来あるべき姿。その交渉のテーブルにすらつかないという日本IBMの姿勢は、憲法と労働組合法の建て付けを踏みにじるものだ」と話している。
企業では新卒採用関連でAIの活用は広がっている。人間だけで評価を行う時よりも客観的で公平な内容になることが予想され、合理性が担保できるためだ。さらに、迅速化や効率化も考えられる。
一方、海外では女性の応募者を低く評価していることが判明し、米アマゾンがAIを活用した採用を中止した。EU(欧州連合)は今年4月に公表したAI規制案で、AIを活用した雇用や労働者管理を「ハイリスク」と分類した。
労使双方にメリットがある使い方はできないのか。また、企業はどこまでAIに関する情報を開示すべきなのだろうか。
穂積弁護士は「AIは計算機にすぎず、正義や倫理を持たないことを共通理解にしなければならない」と説明する。その上で「人事評価など人の決定の公正性を検証するツールとしてAIを活用することは有意義だ。ただし、労使間に一定程度の信頼関係が構築されていることが大前提で、今回の日本IBMのケースはあてはまらない」と話す。
AIの情報開示については「企業側が労働組合からの要求を受けても正当性を説明できないのであれば、押し付けてはならない。対話と自己決定は民主主義の大前提だ。また、AIの能力が上がるほど説明や検証が難しくなる。それなのに導入ばかりに前のめりで、検証や説明にリソースが投資されていないことも問題だ」(穂積弁護士)。今後のスケジュールは、都労委が2022年春に証人尋問を行う見通しだ。