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昭和の飛行機は「タバコ天国」だった。喫煙が「日本人の恥」と報じられたのは、そこからわずか10数年後の話。

2021年12月30日 06:20  キャリコネニュース

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飛行機に乗ると頭上に「禁煙マーク」が常時点灯している。飛行機で煙草なんてありえない、なんでこんなの付いてるの、というのが今の感覚だが、昭和の飛行機はタバコ吸い放題の喫煙天国だった。(文・昼間たかし)

「禁煙席」は、ほぼ意味なし


飛行機の「禁煙化」が進んできたのは1980年代後半からだ。全日空は1986年10月に、それまで各機種ともに25%だった禁煙席の数を40%まで拡大。日本航空は1987年4月に国内線の約50%を禁煙席とした。

以前の禁煙席は、座席の真ん中の列に禁煙席を設定し、プラカードを置いただけのもの。横に7席並んでいたら、真ん中3つが禁煙席のイメージである。

現代の喫煙スペースは裏口や眺めのよくない隅に追いやられがちだが、当時は逆、景色が見えて人気の窓側席が喫煙可だったのだ。

しかし、これだと真横の客は吸わないが、通路を挟んだ向こう側は喫煙天国。もちろん煙は流れてくるのだから、「禁煙席」といっても効果はお察しである。

それが、ようやく「分煙」らしくなってきたのが、1986年?87年のルール変更だった。ここでようやく「前半分の座席すべて」といった、一部エリアの禁煙化が実現した。

当時全日空の行った調査では、禁煙席の増加を求める声は回答数の40%。日航の調査でも「煙は不快」が40%となっている。狭い機内で煙にまかれることに苦痛を感じていた人は多かったのだ。

タバコの代わりに酒でも飲んどいて

国内線の喫煙席がついに消滅したのは1998年のこと。日本航空、全日空、日本エアシステム、日本トランスオーシャン航空、日本エアコミューターの5社が相次いで国内線の全面禁煙を決定し、国内線の喫煙席は消滅した。

その代替として、各社では機内でのアルコールの販売を開始。これは好評で各社とも拡大していくことになる。

続いて国際線の喫煙席も消えた。1999年4月に日本航空・全日空は全面禁煙を導入。海外各社も順次禁煙となり、ついに機内からは煙草の煙が姿を消すことになった。

ただ、機内の全面禁煙は容易には定着しなかった。トイレで隠れて煙草を吸う乗客が相次いだのである。1999年に行われた調査では、国内航空会社の客室乗務員の63%が「(禁煙が)守られていない・守られていない時がある」と回答している。

2000年には成田発シアトル行きの機内トイレで、泥酔した新宿区の会社員の男が喫煙し、飛行機が成田に引き返す騒動も起きている。この時「他の乗客たちからは「日本人の恥だ」との怒りの声も上がった(『産経新聞』2000年11月20日付朝刊)」とある。

確かにはた迷惑な話だが、「喫煙天国」だった時代から、「日本人の恥」までわずか10数年。あっという間の意識変革であった。