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「不要不急」と言われた人たちが守ろうとした東京。「オリンピックと疫病の街」のルポルタージュ

2021年12月29日 10:50  キャリコネニュース

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コロナ禍でのオリンピックという、人類初の事態を経験することになった東京。街ゆく人は激減し、繁盛店からも灯りが消えた。様変わりした見知らぬ都市で、多くの人が不安を抱いていた。

ノンフィクションライター石戸諭氏は、異常事態に見舞われたこの都市で暮らす人たちの姿を丁寧に追いかけ、31のショートストーリーを紡いで『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』(毎日新聞出版)という一冊の本にまとめた。

ライブハウス、飲み屋、ゲイバー、劇場、レストラン、テーラー、大学……。大混乱に陥り、機能不全に陥った都市を目の当たりにした彼は、いったい何を描こうとしたのか。しばらくぶりに連絡を取り、直接聞くことにした。(聞き手:渡辺一樹)

東京で何が起きているのか、わからなかった。

――今回の本には、この間「自粛」に揺れた繁華街、歓楽街の水面下で、ひっそりと起きていた出来事が丁寧に描かれていて、かなり新鮮だった。

それは嬉しい感想ですよ。みんな自分の身の回り以外のことは、知る手段もなかったし、知る余裕もなかった。多くの人が自分の周囲だけで手一杯だったと思う。メディアも特定の問題は取り上げても、東京で生活をしている人たちの日常はどうしても手薄になってしまう。

僕も何が起きているかわからないから、あちこち見て回って、いろんな人に話を聞いて、やっとちょっと見えてくるものがあった。

東京に住んでいて、生活をしている僕らでも何がどうなっているのかわからなかったんだから、東京の外にいる人なんて、なおさら何が起きているか不明だったんじゃないかな。

――あちこちで「東京には行きたくない」とか「東京からは帰って来ないで」みたいな話を聞いた。

そういう話も普通に起きていたし、何度も聞いた。特に行政も専門家も名指しして悪者扱いしていた歌舞伎町をはじめとする「夜の街」については、注意深くメディアを見ていても、流れてくるのは「感染者が増えていて大変」とか「感染源になっている」といった断片的なニュースばかりで、実際に何が起きているのかはわからなかったと思う。これはまた後で話すけど、彼らには彼らの生活があり、守りたいものがある。感染が増えていても、みんな好き好んで感染しているわけではないという当たり前の発想がなかったと思う。

――「3密を避けろ」という話になっていたから、僕もわりと素直に従っていた。だけど、この本を読んで、東京の魅力は「密」にこそあったんだなと改めて感じた。その魅力が決定的にぶっ壊されたのが今回だったんだなと。

大都市でもある東京には多様な人がいて、多様な場所がある。それは、言い換えれば「自分が自分で居られる場所」が、見つかりやすいということだと思う。その場所でなら自分をさらけ出してもOK。そこでなら違う自分にもなれるということ。

『東京ルポルタージュ』では悪者扱いされたライブハウス経営者や劇場で演劇の公演をした人を取り上げているんだけど、そこも元々は違う自分、一番好きなものを楽しむ自分になれる場所だった。普段の生活とは切り離された空間だから、普段の自分とは違う形で発散しても許される。

「会社員」とか「学生」ではない、肩書のない自分を受け入れてくれる場所って実は限られている。今回、そういうところのほとんどが、パンデミック時に避けるべき「密な場所」だということが明らかになってしまった。

「それが壊れちゃう前に、繋ぎ止めなきゃいけない」

――都市のエネルギーは、そもそも人が集まるから生まれる。エネルギーが凝縮されないと、良い意味での爆発も起きない。

そこが失われちゃったと思う。新宿2丁目の「洋チャンち」を舞台にした話にも書いたことだけど、この街には記録されていない、記憶だけの思い出がある。記憶だけの出来事の積み重ねが街を彩っていた。

洋ちゃんの死が新宿二丁目に少なくない衝撃を与えたのは、新千鳥街の一角で1970年代初頭から営業する小さなゲイバー「洋チャンち」の店主であったこと、そして2020年初頭の時点で二丁目「最古参」と呼ばれていたからに他ならない。(『東京ルポルタージュ』より)

――その場所が持つ記憶と文化を受け継いでいこうとする人たちの話だったよね。

あそこは、訪れる人が安心できる空間なんだという事実に、取材をしてあらためて気がついた。

路面に向けて設置してあるすりガラスも、小さな入り口も、プライバシーを守るために必要な仕掛けだった。外から見つかりにくく、誰がいるかもわからないが、光と人間の影だけで、開いていることと、人の在不在を伝えられる。(同)

どこかの店にさっと入ってしまえば、あとは誰にも見られることなく、店内で語られる話は口外されない。それは自分を隠す必要がないという安心感を生み出す。(同)

僕は、これがリアルな東京の姿のひとつだなと思ったな。それが壊れちゃう前に、繋ぎ止めなきゃいけない。現場には、そんな思いを抱いている人たちがいた。

現実に(感染)リスクが高い場所は避けるべきなんだけど、こういう場所の文化や記憶って一回伝わらずに場所が無くなって途切れてしまうと、何が起きていたかを記録する機会は永遠に失われる。

――現場には、そういう危機感があった?

そうなんです。完全に失われる前になんとかしないと、っていう空気は確実にあった。お店の記憶や文化は「その場所」がなくなると、急速に薄れていく。その失われそうな部分を、どうにか受け継いでいきたいっていう切迫感もあったかな。なぜかといえば、集っていたお客さんの記憶自体が、日本のLGBTQの歴史や社会的な変化、あるいは社会からの偏見のリアルな記録だからだよね。

「避けて」と言われても急には変われない。

――語り部みたいだね。東京のどこを取材しようというのは、最初から決めていた?

これ、実は企画が決まったのはコロナ直前で、オリンピックに合わせて「変わりゆく街を訪ねよう」っていう、実は気楽な街歩きみたいな連載になるはずだったんだよ。登場人物もいるけど、真の主人公は変わりゆく東京の町並みという企画だった。

そしたら「新型コロナ」ですよ。街歩きなんかできない。店も開いてないし、街に行っても誰も歩いてない。だから、最初の企画案は「なかったこと」にしてもらって、全部を組み替えて新型コロナ禍であらゆることが変わっていく中で、それでも「人」が立ち向かっていく……といった話にしようと切り替えた。

――そうするしかなかったんだ。

でも、それで正解だった。連載初回は、新橋の居酒屋の話だったんだけど、当時は第一波で、みんなマスクなしで飲みに来ていた。いまから振り返っても「かつてはマスクなしでみんながやってきて、語り合う居酒屋という文化があった」みたいな記録になってしまった。

――その後、対面で人と交流することが減っていって、「身体性が失われていった」みたいな?

それは言えると思う。でも、身体性が失われたとか考えているのは一部の人だけかもしれない。街にはいろいろな生活をしている人がいる。リモートが成立せずに、現場にいる人は絶対にいるんだよね。それは医療従事者だけではなくて、たとえば居酒屋やホストクラブも同じ。

人間がいて、「人が集まる場所」があるから、金も稼げるし、生活も成り立っているわけで、「避けて」と言われても急には変われない。みんな必死に、新しい何かを探してはいる。そこが大切なことだと思う。

「不要不急と言われた人たち」が裏テーマ

――オフィスワークは、かなりの部分がリモートで置き換えられるけど、リアルな場所があってナンボのものも多いから。

現実がこうなった以上、ネットで人がつながったり、ITを使って効率的な仕事をしたりするのは、もはや必須だし、大前提といってもいい。

だけど、人が現実に集まることの意味は絶対にある。演劇にしても、身体を一緒に動かしたり、声を出したりすることは大事だよ。実際、この本で書いた劇団の役者も演出家も、かなり入念にオンラインで稽古をしたのに、いざ対面で仕上げようとしたら「まるで違った」と驚いていた。

コロナ後に入学した東大の1年生は「新歓のビラももらえなかった」「オンライン講義を聞くためだけに、大学に入ったわけじゃない」と嘆いていた。彼も年明けには3年になる。下手したら、大学で思い描いたことの多くが経験できないまま卒業かもしれない。

――そりゃキツイ。でも新歓コンパなんて、やりたくてもやりにくかったでしょう。不要不急だし。

そうそう、この本の裏テーマは「不要不急と言われた人たちの話」でもある。

音楽やライブイベントは「不要不急」と言われてたよね。でも、佐野元春さんの日本武道館ライブに行ってみたら、感染防止の工夫がいくつも積み重なっていたし、ファンも佐野さんの呼びかけに答えて、以前なら声を出す場面でもきちんと我慢していた。デビュー40周年、しかも佐野さんの誕生日のライブなのに、おめでとうとも言えない。悲しいことだけど、そこに集まった人たちには「一緒に音楽を守っていくんだ」という共通の思いがあったと書いた。

結局、「人生の喜び」って、往々にして「不要不急」とされがちなものの中で見つかるのが本当のことだと思う。いくら仕事や生活が充実していても、それだけで人生満足できるわけじゃない。

――同じエンタメでも、NetflixやYouTubeみたいなネット配信は好調だったけど、リアルな「現場」があるものは、徹底的にダメ扱いされてたね。

わざわざ行くとか、外に出るというのが、急にすごく危険なものとして扱われるようになった。コロナ前はふらっと出かけられたけど、その一つ一つがとても重要だったんだなと改めて気づいた。以前なら大したことない、当たり前にあると思っていたものだけど、気づいたらけっこう脆かった。

石戸諭(撮影:野村佐紀子)

――このインタビューもZoomでやってみたけど、対面にすればよかったか。

僕らは前職で一緒だったから(笑)。今回みたいな旧知の間柄、あるいは質問に対して答えが明確なインタビューなら、まだいいんだけどね。人を知るためのインタビューや対話をするためなら、絶対に会ったほうがいい。

――改めてやってみると、いろいろ伝わらないことも多い。

カメラには、全身も映らないよね。

――確かに。手や足も見えてない。もしかしたら、見えない場所でイライラしながら指を動かしているかもしれないけど。

それに、身に着けているモノだとか、持ち物とかもわからない。

――「石戸は重そうなカバンを床に下ろし、ソファに深く腰をかけた」とか、リアルで会っていれば、そんな描写もできたかもしれないけど。

ルポルタージュだと、そういう細部を積み重ねて描くのがかなり大切になってくる。この本は、自分で書いた『ニュースの未来』(光文社新書)で書いたことの、いわば実践編。2年間、学生相手に「ニュースとは何か?」を講義していて気がついたことから始まるのが前者で、後者は僕が考えた「良いニュース」の集積として出していきたいと思った。

――「ニュースの本質は、細部に宿る」ってやつですか。

『映像研には手を出すな!』ってマンガ知ってます?

――とんでもなく熱い女子高生クリエイターたちが、自作アニメを創っていく話だよね。アニメ化、実写化もされた。

この本を書いていた時期に、主人公たちにすごく励まされたんだよ。これは本当の話。

第6巻で、主人公たちのひとり、プロデューサー役で金勘定をしている金森氏は地味なシーンに力を入れすぎるなと言うんだけど、それに対してアニメーターの水崎氏と浅草氏がこう反論するわけね。

「地味なディティールの積み重ねで圧倒する!!」

「ワシはこの注目するに値しないディティールから、人間の生き方を描こうというのだ!! そして金森氏に教えてやる! 派手さだけがすべてではないと!」

まさにこういうことですよ。僕が言いたいのは! 『東京ルポルタージュ』は派手さはないけど、誠実な人々の人生が詰まっていると思う。人間の生き方ですよ。

――なるほどね(笑)

「東京って、こういう場所だったんだ」

オリンピックと新型コロナで揺れる街を歩き、人を訪ね、証言や場面描写、資料を織り交ぜながら、細かなピースを集めていってショートストーリーを組み立てる。ひとつ、ひとつは地味かもしれないけど、それを31話分あつめたら、また全然違った「東京」が見えてくる。

――じっくり話を聞いても、文章化した部分は、そのごく一部だよね。

当然もっといろんな話を聞いているから、書こうと思えば分量は増やせるけど、それをギュッと圧縮して1点にフォーカスしたり、何かに象徴させてみたりした。

そうやって色んな人に話を聞いて、取材を積み重ねてきたことで、やっと都市の面白さ、ダイナミズムが描けるようになってきた。「東京って、こういう場所だったんだ」って、僕にもわかってきた気がする。

――あの人とこの人が、意外な所でつながっていたりする。「密」な都市だと、あちこちでそんな偶然が起きている。

あとは、やっぱり現場で話を聞くのが大切。『鬼滅の刃』の映画について熱く語ってくれた女性も、たまたま映画館の前で声をかけた1人。「鬼滅」の記事を書こうと思っていて、いろんな人を捕まえて、あと1人誰かに聞けば連載は成立するかなと思っていた所だった。

最初は警戒していたので、「スカウトじゃないです。雑誌の取材です」とお願いしたら、インタビューにも快く応じてくれて、いろいろ聞いているうちにどんどん話が盛り上がった。だから「コーヒーを飲みながら話そうよ」って誘って、じっくり話を聞くことにした。

20代前半の彼女は、就職のために上京したのに、追い詰められて職場をやめてしまい、人生が暗転した。それで性風俗で働くようになった。今の救いが「鬼滅」だった。「風俗で働いてお金をためて、専門学校に行く」と目標を決めていて、人生を生き直そうとしている。鬼滅の魅力を熱く語ったあとで「映画観て元気が出ました」と、また仕事場に向かっていった。

「若者のすべて」と題した章ではほかに、九州から靴職人を夢見て上京してきて靴磨きをしている若者とか、コロナ禍の学生生活に悩む東大生たちの話をフラットに並べている。

同世代の彼らはそれぞれに全く違う人生を送っているけど、同じ東京という都市空間にいる。それが僕は面白いと思った。全く違う境遇の人たちの話なんだけど、それが一つにまとまることで、読者にはより重層的で、折り重なった深い部分を伝えられるかなと思った。

出会った人たちのストーリーを書き溜めて……

――東京という街の複雑さ、大きさ、多様性を描き出すためには、書籍が向いてそうだね。ひとつ5分で読めちゃうネットや雑誌の記事じゃ無理だ。

まさにその通りで、僕が歩いて見聞きした東京の面白さは、それでやっと浮かび上がってくる。

――東京ってデカイからね。自分が普段行く、行ける範囲は限られてる。

それぐらいでかい都市だから、描き方も色々ある。例えば時期的に「都庁の中からみた東京」「オリンピック組織委から見た東京」でも話は成立しただろうと思う。でも、そういう大きな組織とか大きな政治をテーマにした話は、僕みたいなフリーランスが個人でカバー出来ることじゃない。取材するための記者証もない。

だから「都市で生活している人の目線」だけは絶対にぶらさず、出会った人たちのストーリーを書き溜めていって、その総体として東京っていうものが浮かび上がる方法が良いと思った。

後編「歌舞伎町で何が起きていたのか」に続く・関連記事参照)