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【12/27~1/2の運勢】12月5週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2021年12月26日 22:11  isuta

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isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡

1ヶ月ごとの運勢グラフ 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

役に立たないよう頑張る

今週のおひつじ座は、自分なりの「アナキズム」を生きようとしていくような星回り。

「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所には、また無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」は、柳田國男が『遠野物語』の冒頭に書いた一節。これは明治の末になっても、平地民にとって自分たちとはまるで異質な存在である「山人」たちが、鬼や天狗、山男、山姥などに形を変えて、国家の支配から免れながら「物深き所」で非国家的空間を形成し続けていたということを裏付けているように思います。

つまり、山はつねに国家に抗う「まつろわぬ民」の住処であり、そうした民話は柳田にとって架空のおとぎ話というより、現実の向こう側へと突き抜けていくためのリアルな手がかりだったのです。

柳田は、長らく狩猟や焼畑で生計を立ててきた村を訪れた際に、人々が富を平等に分配していることに感動し、奇跡的なユートピアであると感じたようです。それは、自分たちのコミュニティが階層的で抑圧的な場所にならないよう、あえて平地と真逆であろうとした結果でした。あなたも、これまで当たり前のように生きてきた現実の苦しさや抑圧を、解消していけるかがテーマとなっていくでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

煩悩はどこへ行った?

今週のおうし座は、煩悩を断ち切ろうとするより、あえてその粋を受け入れ切っていくような星回り。

大晦日の夜に、煩悩と同じ数とされる百八つの鐘を撞きだすことで、その鐘の音を聞くものは煩悩を断ちきり、新年には仏心を呼び起こすことができる、とされていますが、それは裏を返せば、それだけの悩みに溺れ、それをやっとくぐり抜けて初めて悟りというものがあるということでもあります。

「百八のかねて迷ひや闇のむめ」の作者・宝井其角はそんな除夜の鐘を聞きながら、ふと女のことが思い出され、悩ましくてたまらなくなったのでしょう。それはちょうど匂いばかりで目に見えない闇の梅に迷うようなものよ、と。あえてそこに浸ってみせたのでは。

「かねて」という箇所は、「鐘で」と「兼ねて」の掛け言葉になっており、後者には「前もって」「以前から」という意味があります。つまり作者はここで、兼ねてよりわが身に宿ってはうずいてきた百八の煩悩が闇に溶け込み、それが梅の香りに変じて薫ってきたという得も言われぬ体験について、それとなくほのめかしているのです。あなたも、これまでの経験が巡り巡って別のものへと不意に転換していくプロセスを体験していくことになるでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

体を垂直に突き抜けた先にあるもの

今週のふたご座は、積み上げた椅子のてっぺんに逆立ちしていくような星回り。

野球に必要なものと言えば、まず選手の頭上に広がっている無辺際の空と、選手たちが踏みしめることのできる確かな地面。そこに輝く太陽があってもなくても構わない。世界を分かつ天と地の隙間さえそこにあれば、ちっぽけな存在にすぎない選手たちが、それでも人間に可能な最高の身体表現を目指してくれる。

ただ、小川洋子の短編小説『曲芸と野球』という物語においては、河川敷で野球に打ち込むひとりの少年が最高の活躍をみせるのに必要だったのは、水門小屋の屋根の上で逆立ちを練習している女性曲芸師の存在でした。少年が出番を待つあいだ眺めている曲芸師は、四個の椅子を積み重ねたてっぺんに逆立ちして、彼女もまた少年の試合をじっと観戦していたのです。

「両足が屋根を離れる瞬間、つまり身体が宙に浮き、椅子の塔と一体化する直前が、僕は一番好きだ。」「打球の音も僕たちの歓声も犬の鳴き声も届かない瞬間に、曲芸師は吸い込まれている。ずっとそのままならいいのに、と僕は思う。」あなたもまた、もし自分がてっぺんに逆立ちするならどんな場所で、誰のためにそうするのか、考えてみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

闇の感覚

今週のかに座は、想定の枠そのものが、半強制的に広げられていくような星回り。

「大年(おおどし)の何に驚く夜啼鶏(よなきどり)」(佐藤春夫)の「大年(おおどし)」とは、1年の最後の日、ないしその夜のこと。新年を迎える準備はあらたか済ませ、あとは心静かに過ごしたいところ。ところが、そのタイミングで庭で飼っている鶏がにわかに鳴きだした。いったい何に驚いているのだろう、というのが句の大意。

狐か貂(テン)あたりが、飢えて襲いにきたのかもしれないと、鶏小屋を見に庭に出てみたものの、懐中電灯で照らしても何事もなかったかのように静まり返っているばかり。老いてぼけてきた鶏が悪い夢でも見たのか、それとも、いずれでもない自分の想像を超えた何かがそこで起きていたのか。

作者は明治生まれの文豪ですが、ひとつ分かっているのは、当時の庭というのは現代の住宅街のようなこじんまりした庭ではなく、山野へと直接続く鬱蒼とした場所でもおり、そこに息づく闇というのは現代人の想像以上に深かったのだということ。あなたもまた、自分の中にもそんな「夜啼鳥」をもったつもりで、みずからの想像の限界が破られる余地を残しておきたいところです。

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illustration by ニシイズミユカ

人間活動

今週のしし座は、思いきり「馬脚をあらわす」ような星回り。

哲学とは、ある問題に対する唯一の解答を見つけることではなく、個において問いそのものを深めていくことにその本質がありますが、哲学者ハンナ・アレントは、それを移ろいやすい「思考」ではなく、「行ない」に着目し重きを置くことで可能にしていきました。

「私たちがおこなっていること」すなわち環境に働きかけていく営みを、彼女は「労働(labor)」「仕事(work)」「活動(action)」の3つに分け、例えば台所でオムレツを作るのは「労働」で、タイプライターで作品を書くのは「仕事」としたのですが、最後の「活動」をめぐる記述を、古代ローマの知識人カトーの言葉「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない」を引いて終わってみせたのです。

独りでありながらも、心の奥底の深いところで他者とつながっていくこと。それが「活動」の本質なのであり、「多数性」という人間の条件なのだと彼女は言います。労働でもなく仕事でもない活動の時間を、生活や人生の中にいかに持ち続けていけるか。年末年始のしし座は、そんなことを念頭において過ごしてみるといいかも知れません。

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illustration by ニシイズミユカ

醜さを含めた美を

今週のおとめ座は、虚飾を捨てて、自己に忠実に向かい合っていくような星回り。

「冬の日や前にふさがる己が影」(村上鬼城)は、自分の影が自分の前に立ちはだかってまるで行く先が塞がっているかのようだ、というふとした思いから発された句。春とか秋といった快適な時候でなく、年の暮れも近づいてきて冬の寒さがより一層身に沁みる時分ですから、貧乏に苦しんでいた作者は温かいものも十分に食えずにいた可能性も。

まさに自分の影法師が自分の前に立ち塞がっているかのような、貧者の行き詰まった心持ちを率直にうたっており、月の清らかな光を誇りとするなどと言った綺麗事や負け惜しみを言わないゆえの“自己への忠実さ”が際立っているように感じます。

その意味で、貧しさや厳しさの象徴でもある「影法師」は、他の何よりも自己へのごまかしを削ぎ落してくれる存在なのだとも言えるかもしれません。あなたもまた、自分の道をふさいでいるものがあるとしたらそれは何なのか、いったん立ち止まって考えてみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

なにかを繊細に紡ぐということ

今週のてんびん座は、慌ただしい日常に、ふわりと繊細さと柔らかさが取り戻されていくような星回り。

ある日、ひそかに稲妻小路と呼ばれる界隈に突然あらわれ、はじめ隣家の飼い猫となった後、庭を通ってわが家を訪れるようになった仔猫チビ。これについて、平出隆の『猫の客』では次のように描き出されています。

「小さな仄白い影が見えた。そこで窓を開け、冬の暁に連れられてきた来客を迎え入れると、家の気配はひといきに蘇った。元日にはそれが初礼者(はつらいじゃ)となった。年賀によその家々を廻り歩く者を礼者という。めずらしくもこの礼者は、窓から入ってきてしかもひとことの祝詞も述べなかったが、きちんと両手をそろえる挨拶は知っているようだった。」

チビは静かに境をくずし、作者はその在りし日の思い出を繊細なエクリチュールで紡いでみせた訳ですが、そうして小路に流れた光に、どこか心が洗われたような気分になった読者も少なくないはずです。あなたもまた、心に堆積した塵芥(ちりあくた)をそっと洗い流していくだけの機会をきちんと作っていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

獣の涙

今週のさそり座は、胸の奥の深いところから、何かがやっと流れ出していくような星回り。

「枯原の蛇口ひねれば生きてをり」(髙柳克弘)の舞台は、どこかの公園だろうか。草木が枯れ果ててひっそりとした冬の野に、忽然と水場があらわれ、てっきりこちらも枯れているものと思っていた蛇口から、予想に反して水が出てきた。考えてみれば当たり前の話のように感じられますが、作者はそれをあえて「生きてをり」と詠んでみせたわけです。

これは、作者が「生きてをり」と書くことによって生の実感を得ているということに他ならず、その意味で、掲句は少なくとも作者にとって単なることば遊びなどではなく、さりげなくはあるものの、文字通り命がけでのぞむべき儀式に近いと言えるのではないでしょうか。

そして蛇口から「ちょろちょろ」であれ「じょぼじょぼ」であれ、音を立てて出てきたものとは、おそらく読み手にとっての命がいまにも動き出す際のイメージであり、それはやがていかなる形式であれ必ずある種の表現となって発されていくものの源泉ともなるはず。あなたもまた、そうした源泉から改めて最初のいのちの1滴を改めてひねり出していくことがテーマとなっていくでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

エレベーターもいつかは止まる

今週のいて座は、「地に足をつけていく」ということを、自分なりに徹底していこうとするような星回り。

恩田陸のファンタジー小説『上と外』では、主人公の日本人兄妹がヘリコプターから放り出されて密林に落ち、視界ゼロの緑の世界、「上」を失った世界を子どもながらもアウトドアの技術を駆使して通り抜け、やがて地底深くに竹の根のように張り巡らされた古い神殿の迷路の中で行われる「成人式」に巻き込まれていきます。

地下神殿の中で道に迷い、「外」を完全に失った2人は、飢えや渇き、勘といったみずからの身体との対話を続けつつ、試練をくぐりぬけるなかで、兄の練は「物理的にも精神的にもぴったりとずれることなく重なり合った、まさに等身大としか言いようのない、そのまま一人きりの自分がいるのだ」と思い、一方妹の千華子は「感情を爆発させるという行為には鎮静作用があって、なぜかは分からないが、そのあとで考えたことはそれ以前の自分よりも進んでいるような気がした」という境地に至ります。

あなたも、どうしても視線による俯瞰と浮揚からのみ世界を体験していきがちな現代社会において、いかに身体性を伴った「下と中」の体験を取り戻していくことができるかが問われていくでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

じっくりと形にするべきもの

今週のやぎ座は、あやふやな思いを明確な形へと置き換えていくような星回り。

青々として、年を越している、北方の潮流であることよ、というのが、「あをあをと年越す北のうしほかな」(飯田龍太)の大意。そうすると、「あをあをと」も「年越す」も「北の」も厳密にはすべて「うしほ」を修飾していて潮流の描写のはずなのですが、「あをあをと年越す」と読んだところで、年が改まろうとしている厳かな空気がただよう濃紺の夜空がイメージされてきます。

ただ、そこから「北のうしほかな」という結びまで一気に読み下ろすとき、そうした天上の景色が一気に海上の景色と交錯して、そこに風に煽られ飛ぶ激しい波しぶきが生じるのです。しかし作者は親子代々、山に囲まれた甲斐の国の奥地に住み続けてきた人ですから、掲句は実際に見た景色というより、決して直接は見ることのできない海への憧れを結晶化したものと言えます。

翻って、今のあなたにも実際に経験してみたいと思い描いてやまない憧れの景色やシチュエーションはあるでしょうか。今週は、作者のように曖昧な憧れを明確な形にしていくのにもってこいのタイミングとなるはず。

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illustration by ニシイズミユカ

不惑の顔

今週のみずがめ座は、無限とまでは行かずとも、いくらかの可能性を自分に与えていこうとするような星回り。

孔子の教えを伝えた『論語』のなかで、最も有名かつ最も誤解されがちな1文は「四十にして惑わず」でしょう。たかが四十歳で「自分はもう惑わない」などという孔子はよほど特別な人か、と感じる人も多いのではないかと思いますが、「惑」という漢字は孔子の生きた時代にはまだ使われておらず、「或」という字がのちに「惑」へと入れ替わってしまったのだとか。漢字学者の白川静氏によれば、「或」とは「境界」を表す言葉で、ある区間を区切ることを意味します。つまり、「不或」とは「区切らず」「限定せず」という意味になる。

これは例えば、四十を過ぎてもう若者とは言えなくなると、人間どうしても「自分ができるのはこのくらいだ」とか「こんな性格だから仕方ない」とか、それまでの経験だけで狭い枠を囲ってその中に収まりがちになる訳です。そこで孔子が言おうとしていたのは、むしろ「四十になったくらいで、自分を限定しちゃいけない。むしろここから自分の可能性を広げる努力を意識的にしていかなくゃいけない」ということなのではないでしょうか。

あなたもまた、改めて「自分にはまだまだできることや、やってみたいことがあるはず」という前提で2022年を展望してみるといいかも知れません。

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illustration by ニシイズミユカ

運気の中動態

今週のうお座は、「機先を制する」ということを実行していこうとするような星回り。

「冬籠われを動かすものあらば」(高浜虚子)は、どっかと腰を落とし、容易には動かないぞというていで、どうだ動かせるものなら動かしてみろ、という風にも、動かしてくれるだけのものがあればなあ、とも読むことができる一句。その意味でどこか、イソップ寓話で北風と太陽が自分に何かしてくる気配を察知しながら道を行った旅人の心理のようでもある。

この句を詠んだとき、作者は73歳。終戦をへて疎開先からじつに4年ぶりにもともと住んでいた鎌倉に帰ってきたところだった。しかし、「動かす」とは住居のことだけを指しているわけではなく、このさき自分が心血を注ぐべきは何なのか、ということを冬ごもりのあいだ、じーっと考え抜いていたのだろう。

一見すると岩のように落ち着いて見えていた作者の精神は、そのじつすでに煮えたぎりつつあったのかも知れない。あなたもまた、向こうしばらくみずからを大きく突き動かしていくことになるそのきっかけを感じていくことができるはず。

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