トップへ

人事データ活用「気持ち悪いと思われないことが重要」、推進するために必要な「泥臭さ」

2021年12月26日 08:31  弁護士ドットコム

弁護士ドットコム

記事画像

ネット全盛、AI隆盛のこの時代、アナログな暗黙知が長く支配してきた人事の世界に、データという形式知が、雪崩を打つように入り込んできた。


【関連記事:親友の夫とキスしたら、全てを親友に目撃され修羅場  】



従業員の会社との関わりの深さを定量的に測定する「エンゲージメント・サーベイ」を導入する企業が増えている。一方で、リクナビ「内定辞退率予測」が問題視されたように、人事データの活用は、新たなトラブルにつながる可能性もある。



過去、任期付公務員として経済産業省に勤務、人事データを活用するHRテックの普及促進に携わった経験を持つ白石紘一弁護士は、「推進のためには、いかに従業員から信頼されるか重要です」と語る。



白石弁護士は、経済産業省に在籍していた2017年、経産省主催で開催した「HR-Solution Contest」の運営に携わり、2019年から民間で引き継いだ「Digital HR Competition」(一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会主催)の運営にも関わってきた。最先端の実例を含めて、人事データ活用の傾向と対策を聞いた。(ライター・荻野進介)



●「配属ガチャ」を免れるアルゴリズムで不本意な異動を減らす

ーー2017年からのコンペの状況も踏まえ、人事データ活用の最近の傾向を教えてください。



2017年当時は、既に自社が保有しているデータをもとに、人事の現場の問題解決を図るという使い方が一般的でした。採用時の適性検査や入社後の評価、勤怠記録などを分析して自社で活躍できる人材像を明確にし、それに沿った採用を行う、という活用例が典型です。それに対して最近は、経営戦略からブレイクダウンされた経営課題を解決するために、目的を絞ってデータを改めて収集し活用する、というやり方が主流になっています。



たとえば、今年、同コンペのピープルアナリティクス部門でグランプリを獲得したのがNECで、経営課題でもある従業員のエンゲージメント(自発的貢献意欲)の向上に資するマネージャーの行動様式を、本人・上司・部下による従業員アンケート結果を定量的に分析することで抽出する、というものでした。



昨今はデータ活用に関する仮説や発想もどんどん面白くなっています。たとえば、「配属ガチャ」という言葉があります。せっかく入った憧れの企業でも、配属先が悪ければ、今の若手はすぐに辞めてしまう。それを防ぐために、医療機器メーカーのシスメックスが、行動経済学などの成果を織り込んだ人員配置のアルゴリズム(数的規則)をつくりました。本人と人事のニーズを聴取し、そのアルゴリズムにかけることで、人事の介入なしに、本人が行きたい部署に行け、部署側も欲しい人材に来てもらえるようになったそうです。



少し前の話ですが、メガネのJINSが発売したメガネ型ウェラブルディバイス「JINS MEME(ジンズ・ミーム)」(2017年のコンテストでグランプリを受賞)も興味深かったです。目線や瞬きの頻度を測ることで集中度を可視化するツールで、温度や二酸化炭素濃度などのオフィス環境がどのようなものである場合に集中力が高まるかや、出社とリモートとでどちらが集中力高く作業できるか、といったことを測定し、定量データをもとに最適な働き方を分析できるものでした。生産性向上を目的とした人事データの活用例といえるでしょう。





●職場の複雑性が増して、従来の人事では対応が困難に

ーー人間は複雑で、とらえどころのないものですから、従来の人事部門は「勘と経験と度胸(KKD)」と称されるような担当者の暗黙知に頼りがちでした。そうしたところに、人事データを活用するHRテックが次々に台頭してきた。背景には何があるのでしょうか。



デジタル化が進み、身の回りの様々な情報が簡単に収集できるようになったこと、そのデータを解析するAI(人工知能)が日進月歩で進化していることがまず大前提です。



それに加え、人事でいえば、かつてのような正社員モデル、つまり、終身雇用の男性正社員が職場の主役で、女性や外国人、さらに非正規社員は補完人材、という図式が崩れ、ダイバーシティが進行していることが大きい。その男性正社員だって、終身雇用が崩れ、誰もが次のキャリアを考えざるを得ないという状況になっている。



いわば職場の複雑性が増しているわけです。以前だったら、ベテランの人事が職場を隈なく歩き、いろいろなニーズや不満を吸い上げることができましたが、それが困難になっている。ある意味、それを代替しているのがHRテクノロジーだといえるかもしれません。



もうひとつ、人事データの収集と開示が今後の経営に必須になるという流れもあります。東京証券取引所が今年6月、上場企業の経営に関するルールである企業統治指針(コーポレートガバナンス・コード)を改訂、新たに「人的資本に関する情報開示」に関する内容が追加されました。人事に関するさまざまなことをデータ化する必要が出てきたわけです。



その背景にあるのは、中長期的な企業の成長に関しては、人的資本、つまり従業員のパフォーマンスや高いパフォーマンスを発揮できる環境などが非常に大きな影響を及ぼすという考え方です。しかもこれはグローバルな動きで、欧米でも同じような動きが生まれています。



ーー資本市場の側が企業に対して人事データの開示を求めることになるわけですね。どんなデータの開示が求められるのでしょうか。



コーポレートガバナンス・コードにも「中核人材の登用等における多様性の確保についての考え方と自主的かつ測定可能な目標」とあるように、ある程度方向性が定められているものもありますが、基本的には、各社が自由に決めてよいということと思います。



たとえば、従業員のやる気が自社の強みだと考える企業であれば、エンゲージメント・サーベイのデータ、研究開発力を重視する企業では、社員が執筆し、専門ジャーナルに掲載された研究論文の数、ある特定の専門能力を強みと考える企業であれば、それに関する資格取得者の数と比率を、それぞれ暦年で開示するということがあり得るでしょうし、実際にそのような開示をしている会社もあります。



重要なのは、それぞれの経営戦略や人材戦略に基づいて、自社の企業価値向上につながっていくストーリーラインに沿ったデータを開示していく、というではないでしょうか。



●全部をAIにやらせるのではなく、「人間関与原則」が重要

ーー各企業が何を開示するべきかから考えなければいけないわけですね。そもそも人事データの収集と活用に関し、企業はどんな点に気を配ればよいのでしょうか。



人事データに限らず、人間に関するあらゆるデータを取り扱うにあたって重視するべきものですが、人間関与原則というものをしっかり理解するべきです。AIに代表されるHRテックにすべてを委ねるわけではなく、あるプロセスに人間がしっかり関与していなければいけないというルールです。



その際、利用目的や利用形態に関し、社内に人事がしっかり説明するべきでしょうし、結果に対し、不服がある場合は、異議申し立てを行うことができる仕組みも重要です。



人間関与原則のわかりやすい例をお伝えしましょう。実際にある企業で行われていることですが、応募が殺到し捌ききれないという状況が発生していた新卒採用時のエントリーシートの合否判断をAIに任せつつ、AIが「合格」と判定したエントリーシートの学生は次の選考に進んでもらい、「不合格」と判定したものに関しては改めて生身の採用担当者が確認し、最終的な合否を判定するというやり方をとっています。



ーー確かに、この仕組みならAIがエントリーシートを見て合否を判断すると伝えられても、学生側も納得しますね。



はい。もうひとつ、最近よくいわれているのが「データの民主化」です。先のコンペで入賞するような人事データの活用に熱心な企業は特にそうですが、収集したデータを人事が独占せず、統計データにした上で、全社に公開するといったことをしています。そのデータを見れば、会社の状態が分かったり、あるいは部署ごとに何らかのアクションが取れるようになっているわけです。



●従業員にとって「気持ちが悪い」データとの向き合い方

ーーそうだとしますと、従業員が取られて嫌がるようなセンシティブなデータ、つまり全社公開ができないようなデータは収集するべきではないということでしょうか。



そうですね。特に新たにデータを取得する場合は、その目的と利用形態をしっかり社員に説明し、納得した社員からのみ、データを収集することも考えるべきでしょう。このようなことは、「要配慮個人情報」(個人情報保護法2条3項)には該当しないとしても必要です。   そういった意味で従業員にとって「気持ちが悪い」データといえば、冒頭でもお話しした、「内定辞退率予測」が行われていた事案があります。これは、ある就活サービスを運営していた事業者が、当該サービス上での学生の行動履歴等を分析して、企業にエントリーした学生の内定辞退率予測スコアを当該企業に販売していたというものなのですが、このようなものは、どれだけ説明を尽くしていようと、このようなデータを企業が持つことは、やはり本人にとって気持ちのいいものではありません。



企業としては、たとえ欲しい情報であっても、従業員が「気持ちが悪い」と感じるようなデータを収集・分析することには慎重になるべきでしょう。



ーーデータの徴収や活用に際し、人事の姿勢や役割というのが非常に重要になりますね。



その通りです。従業員の納得感を得られるかというのが非常に重要です。データの取得目的も曖昧、活用形態も曖昧、結果も曖昧で何のフィードバックもない、という状態であれば、従業員はデータの提供に前向きにならないでしょうし、そうなれば、不完全なデータしか集められないことになり、結果も不完全なものになってしまいます。



そもそも、データか何だか知らないが、「人事に監視されている」と従業員が思うようになったら本末転倒です。「信頼される人事」になれるかどうかですね。



とにかく、流行りだからうちもHRテックをやってみるか、という軽い気持ちで取り組んでも、うまく行きません。人事データの活用といえば、どこかスマートなイメージがありますが、その裏に、従業員への周知徹底、結果の共有といった泥臭い仕事が必ずあるのです。



重要なのは、「勘と経験と度胸(KKD)」とデータ活用の一方だけ、ということではなく、両方をしっかり組み合わせていくことだと思います。



ーーAIを活用して人事評価をサポートする仕組みもありますが、人事評価についてもそう簡単な話ではないということでしょうか。



はい。個人の人事評価はどこまでいっても泥臭い世界で、最後は上司の一存で決められることが多いですから、HRテックの活躍の場は少ないはずです。むしろ活用を模索するべきは、組織課題の解決です。



そうなると、経営とのパイプづくりも重要です。見てきたように、人事データを活用するHRテックは経営的観点から人事の課題を解決する有効なツールとなりつつあるからです。経営陣と従業員の結節点にうまく立てる人事こそが人事データを有効な武器にすることができるでしょう。




【取材協力弁護士】
白石 紘一(しらいし・こういち)弁護士
2009年 東京大学法学部卒業、2011年東京大学法科大学院修了、2012年弁護士登録。2016年から経済産業省で任期付公務員。2018年10月に法律事務所に復帰。労働法務やHRテックスタートアップの支援などに取り組んでいる。
事務所名:東京八丁堀法律事務所
事務所URL:https://www.hatchobori-law.gr.jp