同じおやつでも、地域によって「今川焼」と呼ばれたり、「回転焼き」と呼ばれたりする。逆に名前は同じなのに、ちょっと隣の地方に行くと、その中身がまったく違う料理もある。その代表格が、東北地方の「芋煮」ではなかろうか。
意外と起源がわからない?
大勢が河原でわいわいしながら、芋煮を楽しむ「芋煮会」は東北ではメジャーな行事。稲刈りが終わって冬が訪れるまでの僅かな期間、ほっと一息をつく大事な行事である。
ところが、この芋煮会、起源が判然としないそうだ。
芋煮会はもともと、旧暦の8月15日、あるいは芋名月と呼ぶ9月13日にひらいていた収穫祭に由来すると考えられている。芋煮会をやるのは東北だけでなく、愛媛県大洲市にも河原で里芋を炊きだしていただく「いもたき」があるように、秋の収穫祭の一形態として、古くから行われてきたものだったのだろう。
現在の芋煮会は、それよりはもうちょっと「宴会」のイメージが強い。そのスタイルに変わってきたのは、どうやら大正?昭和初期のようだ。山形連隊の将兵や山形高校生、師範学校生らが芋煮会と称して宴会を開いていたのである。
そんな「芋煮会」がさらに全国的に広まったのは1970年代からだ。1978年に山形市の東沢観光協会が、馬見ヶ崎川の河川敷で「山形いも煮まつり」を開催した。石のかまどや鍋などの道具が用意されているという「観光客向けイベント」だったが、これが大当たり。1989年には直径6メートルのナベでパワーショベルを使って3万食分の芋煮をつくる「日本一の芋煮会フェスティバル」が始まった。これにはついに毎年10万人が押し寄せるようになり、芋煮といえば東北。それも、山形というイメージは定着した。
味付けで「大きな違い」が……。
ところがこの芋煮、地域によって大きく味付けと具材が違う。山形県内でも村山・置賜・最上地方では牛肉にサトイモ、牛肉、長ネギと、手でちぎったこんにゃくを、しょう油、酒、砂糖て味付けするのが当たり前。対して庄内地方では豚肉、味噌仕立てが当たり前だ。
ネットだと、この味付けの違いを間違えると、「戦争になる」とまことしやかに語られることがある。
ところが、これはあくまで芋煮愛を表現する「ネタ」の一つとして広まった話のようだ。
実際には、地域交流で、それぞれの味の違いを楽しむイベントも盛んに行われている。なにしろ山形の「牛肉・しょう油味」VS「豚肉・みそ味」の対立軸で語られがちだが、もうちょっと視野を広げると、宮城県では「豚肉・みそ味」、福島県では「豚肉・しょう油味」、秋田県では「鶏肉・しょうゆ味」と、地方によって主流に違いがあり、これはというスタンダードが存在しないのが、芋煮だからである。
2006年に山形市で開かれた「日本一の芋煮会フェスティバル」では、直径6メートルの大鍋で「しょう油味」、隣の直径3メートルの鍋では「みそ味」と食べ比べが可能だった。
地域対立があるのかと思いきや、芋煮は案外平和な料理だったようだ。
は? カレー?
それにしても、山形県民の芋煮好きは尋常ではない。2004年に国土交通省山形河川国道事務所が、水道や駐車場の設備があるなど芋煮がしやすい河川敷を教える「芋煮マップ」を掲載したところアクセスが集中、いまでも毎年秋にはアクセス数が跳ね上がるという。とにかく山形人は芋煮を愛しているのである。
そんな山形の芋煮で他県人が驚くのは、締めとしてカレーうどんが定着していることである。芋煮の最後にルーとうどんをぶちこんでカレーうどんにするのである。これも、いつから始まった習慣か判然としないが、2011年の調査では山形県内在住者の7割が締めをカレーうどんにすることを知っていたとされている。
ほかにも、山形では締めにキムチを入れたり、トマト缶とチーズをいれてパスタにするケースもあるそうだ。
地域の人たちの「愛」を受けて、芋煮は今も進化を続けているようだ。