トヨタGAZOO Racingの2022年体制発表会で現役からの完全引退が発表されてから数日後、autosport/autosport webは『ドライバー・中嶋一貴』の最後の独占インタビューを行った。
ここでは、これまでのキャリアの総括や、2022年1月から就任するTGR-E(トヨタGAZOO Racing・ヨーロッパ。旧TMG)副会長という新たな職務における展望などについて、一貴の声をお伝えする。
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12月6日、トヨタの2022年体制発表会ではキャリアを振り返るVTRが流れたあと、自らの言葉でレーシングドライバーとしての引退を報告した中嶋一貴。登壇した一貴の目は、潤んでいるように見えた。
「あの映像は事前に一度見せていただき、『あ~、これは直前に見たらまずいな』と思い、舞台の袖で待っているときはあえて見なかったんです。でも、音声でちょっと煽られた部分もあって」
「自分としてはすごく前向きな気持ちでしたし、やってきたことに対しても後悔は全然ありませんが、いろいろなことが思い出されて……ちょっと気持ちが揺れました(笑)」
自身としては、WEC最終戦バーレーンの際には「ある程度、分かっていたというか、決めていたので」気持ちにはある程度区切りはついていたという。
それでも実際に完全引退を発表すると、改めて周囲の反響の大きさに驚くことになる。
発表翌日から鈴鹿で行われたスーパーフォーミュラのテストでは、「終わって、昼に帰ることしか考えていなかった(笑)」一貴に、ドライバーや関係者一同が集まっての引退セレモニーという、サプライズも待っていた。
「国内のレースは今年もコロナの影響でなかなか出ることができず、みなさんにちゃんとご挨拶することなく最後になっちゃったなぁと思っていたので、テストの場とはいえ、ああいう形で最後に送り出していただいて、本当にありがたかったですね」
父・悟氏は38歳で現役を引退。「それよりも早く辞めるとは思ってもいなかった」という一貴だが、レーシングドライバーではなくなることについての喪失感は「意外とない」と言う。
「逆に、これから自分がやらせてもらうことの方が大きなチャレンジだと思っています。次に向かって何をすべきか、ということの方が意識としては強いです」
その『大きなチャレンジ』であるTGR-E副会長への就任という話が出たのは、「この秋からだったと思います」と一貴。
「先日の発表会でも全体的に強調されていましたが、トヨタのなかではいま、ドライバーファーストでもっといいクルマを作っていくということをとても大事にしています」
「そして、これからさらに大事にしていこうというところで、WECやTGR-Eについてもいろいろな課題があります。マネジメントの一部としてより良い環境にしていくための手伝いや、日本とのコミュニケーションについてポジティブな影響を与える立場になってほしい、というお話しをいただきました」
組織やクルマ作りをさらに強化するだけではなく、育成ドライバーたちが『世界を目指す』ための環境づくりも、自らの経験を活かせる重要な仕事となりそうだ。
「若いドライバーたちが目指す場所や、成長していけるような環境があるのは非常に大事だと思います。それに対して自分が直接的に貢献できることが今回の役割だと考えたのも、決断した大きな理由です。すごく、やりがいのある仕事だと思っています」
「僕個人としては、若いドライバーにはもっともっと世界に出ていってもらいたいという思いがあります。そう思ってもらえるような環境を整えたり、そう思ってもらえるようなレースや見せ方をしていったりしなければならない」
「本当に自分自身が主体的に動いていかないといけない立場です。ある意味、ドライバーとして乗り続けること以上にプレッシャーを感じます。気が引き締まる思いです」
■キャリアで一番つらかったのは2009年
これまでのキャリアのなかで「もっとも大きな喜びは?」と訊ねると、一貴は「意外かもしれませんが」と前置きし、2012年のフォーミュラ・ニッポンでのタイトル獲得を挙げた。「意外かも」と言う理由は、日本人+日本メーカーの車両で初めて達成した“ル・マン優勝”ではないから、ということだろう。
「自分にとっては初めての大きなタイトルでしたからね。F1を終えて日本に帰ってきたときの大きなターゲットでしたし、まわりからの期待もあって、獲りたい、獲らなきゃいけないという気持ちは非常に強くありました」
「ちょっと運が良かったことはたしかですが、結果としてタイトルを獲れたのはうれしかったですし、大きな出来事でした。ファンのみなさんが思っている以上に、国内トップフォーミュラのタイトルを獲ることに対してドライバーは強い思い入れがありますし、重みを感じています」
では反対に、一番つらかったのはいつになるのか。
「ベタなのは2016年のル・マン24時間ですよね(苦笑)。でも、自分のキャリアでいうと、2009年のF1は結構大変でした。1年間戦って0ポイント。結果だけを見れば、箸にも棒にもかからない年でした」
「僕自身の手応えや肌感覚としては、クルマも相対的に戦闘力があった年でしたし、チームメイトとの比較という部分でも悪くはなかったんですが、自分のミスや展開で見事に何も結果が残りませんでした」
「どこかでボタンをかけ違えたら、最後までそのままだった。アプローチを変えたり、戻してみたりしても毎回すべて外れて、『こんなことってあるのかな?』と思うような、本当に厳しい年でした。ただ、逆にすごく鍛えられたところもあり、いい勉強にはなりましたね」
日本のトップフォーミュラを制し、ル・マンも3回勝った。4輪では日本人で初となる世界タイトルも獲得。自らのレーシングドライバーとしてのキャリアについて、一貴は「満足しているし、後悔はひとつもありません」と総括する。
「強いて言えば、国内のレースの最後をコロナの影響でグダグダな感じで終えてしまい、自分としてはもう一度納得できる状況でしっかりやりたかった。それが最後にできなかったのはすごく残念ですし、チームにもファンのみなさんに対しても申し訳ない気持ちです」
「レース人生は、楽しかったですね。もちろん、苦しいこともありましたし、正直、毎戦苦しかったですけど、それでもいい結果を出させてもらえたと思います。いい方々に恵まれたなかで仕事をすることができたので、本当に幸せなキャリアだったと思います」
引退インタビューの完全版は、12月24日発売のauto sport No.1567に掲載している。