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羽田圭介が考える、初体験の価値「”チャレンジしてハッピー”は幻想。その先に行き着くために」

2021年12月25日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

羽田圭介

 芥川賞作家の羽田圭介が、31歳から34歳までの4年にわたってさまざまなことを「初体験」する姿を記録したエッセー集『三十代の初体験』(主婦と生活社)が刊行された。


 「自分はこういう生活を送る人間だ、と決めつけてしまっている部分があるのではないか」という羽田の思いから雑誌での連載がスタート。猫レンタルやラップ教室といった羽田自身が関心を寄せていたものから、YouTuberやVRアトラクション、サウナフェスといったその時々の話題のものまで、ジャンルは幅広い。「初体験」というワクワクする言葉の印象とは裏腹に羽田のテンションが高くない回も多いのだが、冷静な姿はどこかユーモラスでもあり、前のめりではないゆえ予定調和にならず、思ってもみない展開が生まれている。


 さまざまな初体験を繰り返す中で、羽田は何を得たのか。初体験の価値について、語ってもらった。


関連:https://realsound.jp/book/2021/12/post-933778.html/20211225-hada-08


■猫をレンタルし、ラップ教室でギャングスタラップを披露


——50近くの初体験に挑戦しています。改めて一冊にまとまってみて、いかがですか?


羽田圭介(以下、羽田):挑戦といっても小ネタが多いですけどね。実際には雑誌の連載エッセイで70ほど体験していて、その中から選んで収録掲載しました。いつかやろうと思いながらなんとなく機会がなかったことと、連載を通して偶然体験したことがありますが、やってみるとどちらも意外な感想を抱くことが多かったです。


 やろうと思ってやっていなかったことって、やるまでが独自の時間なんですよ。最中はそんなに新しくなくて、「なんでやってなかったんだろう……」と疑問ばかり感じてしまう(笑)。ただそういう体験をすることで、次に新しいことをする抵抗感が薄れますよね。他のこともやったらいいんじゃないかと思えます。


——何か印象に残っている体験はありますか?


羽田:そうですね……(ページをめくりながら)猫レンタルとか。ペットを飼ったことがなかったので、3日間も一緒にいるのが新鮮でした。散々かわいがった挙句、自分でも予想外のラストを迎えましたけど。


——なかなかケージから出て来ず「気難しい大御所」のようだった猫のリクくんと仲良くなったと思ったら、別れはあっさりだったという……。羽田さんも「むこう数十年は、自分が猫と暮らすことはないだろう」と書いています。


羽田:動物がかわいいことと、それを人間が飼うことは全然別の話だと思いました。ペット好きの人に言うと喧嘩になりそうですけどね。


——ラップ教室ではかなり強気のギャングスタラップを作詞して歌っています。ヒップホップユニットのキングギドラについても触れていましたが、もともとヒップホップが好きだったのでしょうか?


羽田:2000年代はじめの頃にCHEMISTRYやゴスペラーズのような日本のR&Bをよく聴いていたのですが、同時期にキングギドラの『最終兵器』が出て、局所的にハマりました。恋愛や日常をテーマにしたポップなラップが嫌いだったので、そういったものを批判した歌詞には「よく言ってくれた!」と思いましたね。


 ただ今回ラップ教室に通ってみたら、お手本として見せてくれたのがKREVAのライブ映像だったんですよ。高校時代から十数年が経って、改めて韻の踏み方を理解して聴いたら「KREVAすげー!」ってなりました。当時はキングギドラが自分の気持ちを代弁してくれていると思ったけど、キングギドラだけじゃなくてKREVAもすごかった。若い時は視野が狭かったなと思いましたね。


——体験するテーマはどう決めたのでしょう?


羽田:気になったことを箇条書きにしたネタ帳を編集者に送って、その中から選んだり、派生した提案をもらったりして決めました。十二単を着た回なんかもあります。


——法王のようになっていた回ですね。羽田さんが「これは絶対にやりたい」と思っていたものはありますか?


羽田:ダンスは「やらなきゃいけない」と思っていました。28歳ごろから習いたかったんですよ。ものにするにはそれなりの時間がかかるでしょうし、40代になれば体力的にも衰えるはずなので。ヒップホップダンスを2年半ほど続けて、一時期は仕事終わりで疲れていても通っていましたね。


——一度きりじゃなく、その後も続いたものもあるんですね。


羽田:そんなに多くはないですけどね。ダンスも今はコロナで中断して、そのままになっていますし……続いているものだとYouTuberとか。あと、瞑想は最近たまにやっています。といっても、迷いながらなんですけど……。やると雑念が消える気がするけど、雑念が消えたら小説家として書くことがなくなりそうじゃないですか。でも瞑想で深みが出たら、ものすごいものができそうな気もするし……なんか、うまく瞑想できていないかもしれません。


——かなり迷いながら瞑想しているんですね(笑)。反対に、あまり乗り気ではなかったものは?


羽田:トランポリンエクササイズは、最初は「どうせちゃらちゃらしたエクササイズでしょ」とナメていたかもしれません。「根性ない人が跳ねてるだけ」なんて思っていたら、曲や手本のリズムに合わせてジャンプし続けるのが難しい。45分間のペース配分を考えなければいけないし、めちゃくちゃキツかったです。先生に「メークサムノーイズ!」と煽られるんですけど、他の生徒が「イェーッ」と声を出すところ、ひとり「ウワーーーーー!!」とスパルタ風の雄叫びをあげて乗り切っていました。


■初体験に期待してもしょうがない


——パーソナルカラー診断の体験記では、「主観と客観」という、羽田さんの小説のテーマでもある問題と深く繋がっていると書かれていました。


羽田:パーソナルカラー診断はわかりやすくこのエッセイの本質が出た体験だと思います。自分はファッションにこだわりがないと思っていたんですけど、講師の方に今までの自分と違う色やデザインを勧められるなかで、実はめちゃくちゃこだわってたんだと気づいて。診断を受けたあとも選ぶ服は変わっていないんですけど、クローゼットを見たり洋服を買いに行ったりする時、内面が少し変わっている。プロセスが全然違うんです。自分のこだわりを自覚するのは普通に暮らしていたらできなかっただろうと思いますし、まさに主観と客観について考えるきっかけになりました。


——小説のテーマや、羽田さん自身の考えと結びつくような体験は他にもありましたか?


羽田:ボルダリングは今読み返しても、自分がここ数年考えていることを書いていると思います。というか、体験を通して自分の考えに磨きがかかりました。ボルダリングは体力勝負に見えるかもしれませんが、どういうルートをどう進むか、体をどう使うか考えなければいけない。そしてただ頭を使えばいいわけではなくて、時には力任せの野蛮さも必要になる。それは体力がある序盤にしかできないんですよ。


 「人間は若いうちは体力があるけど経験や知識がない。年を取ると体力は衰えるけど賢くなるから成長していくんだ」みたいな文言が巷にあふれていますけど、年を取って賢くなっても行動する気力や体力がなければ何もなし得ない。そのことに改めて気づきましたね。


 最初から全部できなきゃいけないというのは厳しい考えだし、自分自身も戒められます。ただ、それと近い話ではあるんですが、実際に面白い小説を書ける期間だって限られていると思うんですよ。読者のニーズと自分が考えていることが釣り合うのって、50代くらいまでなんじゃないかな。もしそうだとしたら自分もあと20年くらいしかないので、のんびりしていられない。年齢を重ねて達観することで失われるものもありますし、未熟なうちにたくさん書いておかないとダメだなと思います。


——「おわりに」では、連載期間の31歳から34歳まででものごとの考え方が変わっていると書いています。31歳の文章を「焦燥感も滲み出ていた」と評していますが、当時はどんな気持ちだったのでしょう。2015年に『スクラップ・アンド・ビルド』で芥川賞を受賞してから約2年後ですよね。


羽田:20代の頃は地味に家でずっと小説を書いていたので、30代になったばかりの当時は「世間にはたくさん知らないことがある。いろんなことを今から全部体験しないとダメだ」と焦っていたんでしょうね。でも、この企画で初体験を繰り返すうちに落ち着いていきました。どの体験も似ているよな、少なくとも自分の感じ方は同じだな、と気付いていったんです。


 ある意味、それは逃げ場がなくなることでもあります。「初体験に過剰な期待をしてもしょうがない」と気づくことになるわけですから。初体験って実は簡単なんですよ。初めてやったことで失敗しても、誰からも咎められないし傷も浅い。自分がずっと考えているけど答えが出ないことに向き合うとか、そのほうがずっと難しいんです。


 だからこの連載も、「出口は普段の自分が考えていることの延長線上にしかない」と気づくためのものになりました。


■これからチャレンジしたい初体験は?


——たしかに、さまざまな初体験に挑戦すると聞くと、一つ一つを通して大きく変化していく内容を想像します。でも実際に読んでみると、もともとあった自分の軸に気づいていくような内容でした。


羽田:「チャレンジしてハッピー」という本ではないですよね。それは初体験への幻想だと思います。その幻想の先に行き着くために、初体験を繰り返す必要がありますが。


 最近、資料として脳科学や遺伝の資料をたくさん読んでいるんですよ。そのうちに辿り着いた真実として、人間は年齢を重ねるほど育ちの影響から離れ、生まれ持った素質が露わになっていくのではないかというものがあります。自分自身を振り返ってみると、両親は全然本を読まないけど、なぜか僕は本を読むのが好きで、小説を書いてデビューしている。これは何なんだろうと思うわけです。親に文を書く才能があったとも思えないし、家に本が沢山あったわけでもない。環境因子の影響も考えにくいわけですよね。だったら、遺伝子のいたずらでこうなっただけなのでは? と。


 2017年に『成功者K』という小説を出しました。ものすごい成功を収めたと思っている自信過剰な主人公が、実はその成功は奇跡的な偶然の上に成り立っているだけなんじゃないか、という恐ろしい真実に気付いてしまい、自我が保てなくなっていくという内容です。それを書いた頃くらいから、努力や環境はどれだけ人生にかかわっているんだろうと考え続けています。


——その中で、人が変わるためにはどうしたらいいのでしょう。


羽田:人って、実体験を通してでしか変われないのかなと思うんですよね。最近は人にアドバイスすることもほとんどなくなりました。言葉で言うだけで人を変えることって、難しいんじゃないかと思い始めて。反対に僕も、人からの直接的なアドバイスに従えないからこそ、失敗したりもするわけで。


 ただ、小説やエッセイを読むことって、実体験に近いことなんじゃないかと思うんです。人が何かを体験する時は、空間があり、そこに誰かがいて、なにかを経験しますよね。小説はそれに近い感覚を再現できます。直接的な言葉では難しくても、風景や登場人物の間接的な言い方によって、その人自身の経験になるようなものを書くことができれば、何かを変えられるのではないか。


 その意味では、デビューから18年が経った今、ようやく小説のすごさがわかった気がします。小説でしか伝えられないことってたくさんあるんだなって。


——その感覚は、『三十代の初体験』を読んだ人にももたらされると感じますか。


羽田:そう思います。そうなるように、体験したことを正直に書くようにしました。中には怒られそうな表現もありますけど、本当に感じたことをちゃんと書かないと、読者の体験にならないと思ったからです。だからつまらなかったことも、突拍子のない結びつきも、あえて省かないようにしています。体験そのもののように読んでもらうためには、全部書く必要があったんです。


——体験のテーマとは関係ないところで筆が乗っている回もあって、予定調和に陥らない文章にはそんな思いがあったんですね。


羽田:いろいろな体験をしましたが、体験そのものより人との出会いで感動することも多かったです。料理専門の家事代行を頼んだ時は、料理を作ってくれる方が一秒たりとも無駄にせずひたすら作り続ける姿が、命尽きるまで戦おうとする戦士のようで感動しました。酸素の薄い空間を再現したジムでの「高地トレーニング」の回では、トレーナーの山田さんが御自身の勤めるジムではなくゴールドジムをすすめてくれたことに、筋肉への偏愛を感じました。思わぬかたちで純粋な気持ちを持ったプロに出会えるのは、初体験のいいところですよね。


——最後に来年やってみたい初体験はありますか?


羽田:ミュージックビデオを作らなきゃと思っています。7月に『Phantom』という小説を出したんですが、そのための楽曲を作ったんですよ。その時に音楽ビジネスの本を読んだら「今の時代はミュージックビデオを作らないと話にならない」と書いてあって。話にならないなんて書かれたら、作るしかないじゃないですか。


 正直、「面倒だな」って思いました(笑)。だけどそれ以上に、面白そうだなと思えて。初体験のエッセイを書いていた時と同じく、ミュージックビデオ撮影のためのTo Doリストはたえず更新されています。『三十代の初体験』をとおしてみて、やったほうがいいことはやる、という癖が強固になったかもしれませんね。