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大阪ビル放火、逮捕前に「被疑者の実名公表」をどう考えるか 刑事弁護人に聞く

2021年12月22日 10:11  弁護士ドットコム

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大阪市北区のビルに入るクリニックから出火し24人が亡くなった事件で、逮捕状の請求前に被疑者の実名が公表された。


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朝日新聞(12月19日)によると、大阪府警は「被害者・ご遺族が被疑者の早期特定を望んでいる。重大事案と鑑みて公表した」と説明したという。



報道各社は警察の発表を受け、被疑者の実名を報じている。府警の対応は異例とも言えるが、刑事事件に詳しい弁護士はどう見るか。神尾尊礼弁護士に聞いた。



●現行犯逮捕でも必ず起訴されたり有罪になったりするわけではない

——被疑者の実名公表について、どう考えますか



捜査機関の実名公表基準は必ずしも明らかにされていません。今までのケースをみると、事案の重大性や捜査の進捗具合などを総合的にみて、個別的に判断していると思われます。



ただ、私としては、もう少し段階を踏んだ議論があってよいと思っています。



公表の可否について、冤罪の可能性から判断する意見があります。現行犯逮捕なら「犯人」で間違いはないのだから、公表してよいのではというものです。



もっとも、現行犯逮捕によっても、犯罪の成立が担保されるわけではありません。正当防衛や責任能力が別途問題になり得ますし、現行犯逮捕であっても、必ず起訴されるわけでも有罪になるわけではないのです。



そもそも冤罪の場合にだけ、損害が発生するわけではありません。実名がさらされることで、解雇、離婚、退学などの社会的制裁がありえます。



結局のところ、公表されることによる不利益(社会的制裁など)と氏名公表の利益(犯罪抑止や予防など)を天秤にかけて、利益が上回るとされてはじめて、公表されるべきなのだろうと思います。



●実名公表に抑止効果はあるのか

ここからは犯罪学も踏まえていくことになりますが、重大事件において「公表されるから止めておこう」と考えることは多くなく、抑止効果は大きくないのではないかと考えます。



他方、「公表されるから止めておこう」というのは軽微な事件(万引きなど)や行政処分(道交法違反など)の方にこそ妥当しそうですが、一時停止違反で公表されるというのはバランスを欠くと考える方が多いと思います。



今後の防犯に活かすという意味でも、どういったビルで火災になったかなど事件の状況は重要ですが、誰がやったかを知っても意味がないように思います。



このように、私個人は、凶器を持って逃げている場合など以外、氏名公表が正当化される場面はほとんどないと考えていますが、様々な議論があってよいと思います。



特に今回は、被害者の氏名も公表されています。私は、被疑者はもちろん被害者の氏名を公表する必要はもっとないと考えています。これも議論されてしかるべきでしょう。



なお、今回は「被害者などが被疑者の特定を望んだ」などという捜査機関の言葉もあります。そうであれば、被疑者の情報は被害者などに伝えればいいのであって、少なくとも公表することの理由にはならないと思います。



●逮捕状前の実名公表「不利益が大きすぎる」

——今回、被疑者の実名公表が逮捕前におこなわれました。



仮に氏名公表が許されるとしても、そのタイミングが次に問題になります。



今回、逮捕前に氏名などを公表しています。今までは、逮捕状が出されたタイミングで公表されることがほとんどでした。逮捕前に公表された事件は数えるほどしか経験がありませんが、そのほとんどが「被疑者が入院している場合」です。今回もこの入院事例の1つといえるかもしれません。



公表されるタイミングが早ければ早いほど、容疑も固まっておらず、公表によって受ける不利益が大きくなっていきます。



現在の裁判実務をみると、逮捕状が出されたところで「容疑が固まった」とはいえなさそうですが、少なくとも逮捕状が出されていないタイミングでの公表は、不利益が大きすぎるので原則許されないと考えるべきだろうと思います。



●実名報道「正当化される場面はほとんどない」

——警察発表を受け、報道機関は被疑者の実名を報道しました。この対応をどう考えますか。



このように捜査機関が公表したとしても、最後に報道するかどうかは報道機関の判断に委ねられています。



各報道機関の基準や名誉毀損・プライバシーに関する裁判例も蓄積されているところですが、「被疑者の特定が犯罪報道の基本的要素」とされている点には疑問があります。報道内容の真実性や正確性の担保のためと言われることがありますが、匿名なら不正確ということにはならないでしょう。



捜査の適正のチェックのためと言われることもありますが、氏名を報道しなければチェックできない適正性というのもよく分かりません。こうした必要性が本当に公表の不利益を上回っているのか、疑問が残ります。



私個人としては、氏名の報道は、公表の場面と同様、正当化される場面はほとんどないと考えています。特に、一方当事者である捜査機関からの情報をそのまま報道するのは慎重であるべきであろうと思います。




【取材協力弁護士】
神尾 尊礼(かみお・たかひろ)弁護士
東京大学法学部・法科大学院卒。2007年弁護士登録。埼玉弁護士会。刑事事件から家事事件、一般民事事件や企業法務まで幅広く担当し、「何かあったら何でもとりあえず相談できる」弁護士を目指している。
事務所名:弁護士法人ルミナス法律事務所
事務所URL:https://www.sainomachi-lo.com