2021年12月17日 10:31 弁護士ドットコム
企業も自治体も避けては通れなくなっている「個人情報保護制度」や「データ保護」。
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そのトップランナーとして、第一線を走り続けているのが板倉陽一郎弁護士だ。弁護士2年目から消費者庁に出向し、世界的にルール作りが急務だったデータ保護の現場をつぶさに見てきた経験を持つ。以後、「仕事の9割がデータ保護」という板倉弁護士は、八面六臂の活躍をしている。
そんな板倉弁護士をかたちづくり、動かすものは一体、なにか。(取材・文/猪谷千香、写真/永峰拓也)
「板倉弁護士は、何人いるのだろうか?」
板倉弁護士の仕事ぶりを少しでも知れば、多くの人がそんな疑問を持つ。
日中は勤め先である法律事務所で通常の執務をこなす。夜半、終業後は論文や専門誌の原稿などの執筆に没頭、うっかり帰りが日をまたぐこともある。
省庁や関連団体では、データ保護や個人情報保護法制に関わる会議の構成メンバーとして名を連ね、学会や研究会でも多くの役職を務める。
普通の人なら1週間で倒れてしまいそうな仕事を、板倉弁護士は平気な顔でこなしているようにみえる。その結果、周囲は冒頭のような疑問を持たざるを得ないのだ。
もちろん、板倉弁護士はユニットでもグループで活動しているわけはなく、たった一人だ。
「まあインターネットでずっと遊んできているので、マルチタスクみたいなことは割と得意です。あと、事務所の部屋にベッドを入れているので、昼間に30分とか隙間時間があると寝てますね。夜の睡眠時間を合わせれば、1日に5、6時間は寝ていると思うんですけど」という。
「別に、そんなに長く働きたいわけじゃないんですけど、仕事が終わらないのでしょうがないですね。最近、会議がオンラインでおこなわれるようになりましたが、オンラインなので『内職』できるかというと、できない。会議に出ているとつい、口を出したくなるんですよね。『ちょっといいですか』って…」
請われれば、激務の合間を縫って月に5、6回はセミナーや講演会に登壇して、最新の状況を惜しみなく伝える。その発表資料も毎回100ページは下らないことは、もはや恒例。あまりに資料が大量となり、語り口もハイテンポとなるせいか、9月に一般財団法人情報法制研究所(JILIS)でおこなわれた講演では、ついに「個人情報保護法の現在ー令和3年改正法 2倍速徹底解説」とタイトルがつけられていたほどだ。
「個人情報保護法が改正されると、その講演もしょっちゅうやるのですが、資料はその都度、継ぎ足したり、一部作り替えたりしてます。今回は令和3年改正による条文構造の変化をきちんと見ることができたので、自分でも勉強になりました」
国内では「個人情報保護」、EUでは「データ保護」、アメリカでは「データプライバシー」などと呼ばれる分野は、第二次世界大戦後に生まれた。コンピュータの普及にともない、大量の個人データの処理が可能となると同時に、経済の発展とともに国境をまたぐ個人データの移転も盛んになった。そのため、現在にいたるまでデータ保護の国際的な協調が求められてきた。
日本でも、激しい世界の動きに対応する必要が生じており、たとえば個人情報保護法は3年ごとに見直しがされることになっている。板倉弁護士は、そうした時々刻々と変化するデータ保護をとりまく状況を常に把握している数少ない専門家といえる。
板倉弁護士のキャリアは少々、変わっている。まず、法学部出身ではない。千葉県立千葉高校から、慶應義塾大学総合政策学部に入学した。進学の理由をこう話す。
「単なる受験の結果ですね(笑)。政策や法律に関係する学部を中心に受けていましたが、結局そこしか受からなかったというだけで…。ただ、当時からあった『なんでもできる』という空気に惹かれました。誤算だったのは、日吉か三田だと思っていたキャンパスが、SFCだったことですね。千葉市の実家からは遠すぎて通えず、しばらくは世田谷区の知人の家に居候してました」
板倉弁護士が入学したのは1998年。Windows95が発売され、パソコンやインターネットが一般にも広がりつつあった時期にあたる。総合政策学部は神奈川県藤沢市にキャンパスがあり、通称「SFC」と呼ばれ、最先端の情報環境がととのっていることでも知られていた。
「入学したら、とにかくそこら中に情報コンセント——あ、今は情報コンセントとは言わないですね。LANケーブルの差し込み口です——があって、とにかく挿せばグローバルIPアドレスがふられて、インターネットにつなぐことができました。インターネットを通じてなんでもできるわけです。グローバルIPが好きなだけ使えましたからね、簡単にサーバも立てられます。ひたすらインターネットで遊んでました」
実は、板倉弁護士は中学高校の頃は格闘ゲームにはまり、欠かさず毎日のようにゲームセンターに通っていた。
「ひたすらゲームをやってたんですよね。今でいうeスポーツです。下手の横好きですが、ゲーメスト(ゲームセンター専門誌)の大会とかも出てました。まさか今になってこんなに市民権を得ると思わなかったですね」
そんな板倉弁護士が、大学に入ってから初めてWindows95のノートパソコンを買い、当時国内でも最高の情報環境でやったこととは?
「大学では忙しかったので、あまりゲームはしてなかったのですが、ネットゲームも買ってみたんです。MMORPGの『Ultima Online』の英語版だったんですが、ちょっとやってみて、やばいなと思って(笑)。現実に帰ってこれなくなると思って、解約しました。学校に行かなくなるところでした」
学部生時代、所属していたのは2つのゼミだった。一つは、2年から入った法学者である阿川尚之教授(現在は名誉教授)のゼミだ。
「阿川先生のゼミでは、アメリカ憲法の判例を英語の原文で読んで発表するということをしていました。法律の勉強というよりは、判例を通じてアメリカ社会を学ぶという感じでした。今でこそ、トランプ前大統領が有名になりましたが、阿川先生は当時、珍しい親米保守でした。よくよく考えたら、とても貴重な話を聞いていたと思います」
もう一つは、3年から入った政策学者である印南一路教授のゼミである。
「印南先生は、意思決定論や医療政策の専門家なんですね。まだ行動経済学という言葉はあまり聞かれず、当時は意思決定論と言っていました。印南先生のところでは幅広く学ばせていただき、各地でおこなわれているビジネスプランコンテストにゼミで応募したりしてました」
充実した学生生活を送る一方、日本は超就職氷河期の最中にあった。
「勉強はしていましたが、僕たちの一学年上の人たちは、100社受けても全滅なんてことがありました。すごい景気が悪くて、これは就活してもダメだなと思いました。それから、実家の教育方針で、どんな専攻でもいいから修士までは取るようにと言われていましたので、大学院に進学することにしました」
大学院で何を学ぶべきか。阿川ゼミにいたこともあり、法学も頭をよぎったが、進学したのは、京都大学大学院の情報学研究科社会情報学専攻だった。導いてくれたのは、インターネットで遊んでいるときに知り合いになった、観光学者で金沢大学の井出明准教授だった。
「当時まだギリギリ学生だった井出先生に、『どこか進学しようと思ってるんですけど』と話したら、『うちを受けたら受かるよ』みたいなことを言うわけですよ」
井出准教授が在籍していたのが、京大大学院の情報学研究科だった。工学系をベースにした研究科ではあったが、板倉弁護士は子どもの頃からプログラミングやコンピューターに親しんできた。
「コンピューターやインターネットで遊んできたことを応用して、勉強して受験したら何とか入れました。京大なんて考えたこともなかったんですけどね」
そのフットワークの軽さが、板倉弁護士らしさなのかもしれない。
「大学院では、人工知能を専門とする石田亨先生の講座にいました。講座の中にはそれぞれ分野があって、野村総研(NRI)から来ていた篠原健先生が僕の指導教官でした。実質的にはNRIの研究室にいたのです」
当時、ITベンチャーがブームとなっていた。NRIも広い研究室を学内や京都市役所の裏に構えていたという。「そこでまたインターネットで快適に遊んでましたね」
京大では、工学系の研究や情報社会論などに取り組んだ。学会発表や英語での論文執筆に勤しむ日々。「その頃から、サイバー法みたいな話もかじってはいました。NRI経由の資料作成なども手伝っていたのですが、後で気づいたら、当時のe-Japan戦略やu-Japan政策の下調べでした」と振り返る。
板倉弁護士が学部時代、急速なインターネットの普及によって生まれた新たな法的問題についてまとめた「インターネットと法」(有斐閣)が出版された。ようやくまとまった議論がされようとしていた時期であり、板倉弁護士が修士課程を修了する2004年は、慶應義塾大学にロースクールが開校されるタイミングでもあった。
「最初から、インターネット関係の法律家になろうと思ってロースクールに行きました。ただ、当時はそれがビジネスになるなんて、誰も思ってなかったんですよね。個人情報保護法の施行が2005年ですから」
新しい分野を開拓しようという思いから進学したのかと尋ねたら、こんな答えがかえってきた。
「僕はただひたすらインターネットで遊んでるだけなんです。その関係の法律をやるだけですよね。とにかくずっとインターネットにつながってるんですよ。ロースクールに入ってからも、当時あった常時接続のカードでノートパソコンにつないでましたから」
ロースクールの未修一期生として2007年に修了、司法試験にも合格した。しかし、いざ法律事務所に就職しようとしたところ、今度はリーマンショックが日本経済を直撃していた。
「就職は相当苦労しました。インターネットに関係することをやりたいと言っても、採用する立場で考えたらお金にならないわけです。リーマンショックもあって、就職先がまったくありませんでした」
なんとか泣きついて紹介してもらったのが、現在の勤め先である法律事務所だった。ちょうど弁護士を増やそうというタイミングだった上、ボス(藤原宏髙弁護士)はパソコン通信大手ニフティサーブで起きた名誉毀損訴訟で原告代理人を務めていた経験もある。
「今思えば、理解してもらえる数少ないボスに、拾ってもらいました。足を向けては寝られないですね」
2008年、弁護士としてスタートしてからは、著作権関係や発信者情報開示請求などの仕事が多かったが、珍しいものとしては、当時社会問題となっていた大学の投資による資産運用の失敗の後始末もあった。
「大学がFXとかに手を出して、巨額の損失を出していました。その後始末をボスが何件か引き受けてきたのですが、あれはすごい大変で、金融商品の中身を詳しく調べたり。巨大消費者被害みたいな感じですね。ただし、大学は事業者なので消費者法は使えませんでした。ボスは金融法務だって言ってましたが…いわゆる金融法務ではないですね。大変勉強になりました」
消費者庁の個人情報保護推進室で国際担当の公募がかかったのは、その頃だった。現在の個人情報保護委員会事務局の前身にあたる部署である。
「ボスがいつもどこかに一度は出向した方がいいと言っていたのを逆手にとって、2年目のときに応募しました。他の省庁の出向だと弁護士として応募するときは、だいたい最低でも3年、できれば5年以上のキャリアが求められました。でも、消費者庁のそのポジションは弁護士である必要はなく、歴代の担当者をみると研究者でしたので、大学院の時の研究も履歴を書いて応募してみました」
晴れて採用となり、弁護士2年目で出向することになったのだが、当初から消費者問題や個人情報保護法に興味があったわけではないという。
「そんなに詳しくはなかったですよ。でも、国際担当での採用でしたので、留学する代わりに英語も勉強できるなと思って。今考えたら下調べが足りずに応募していて、いきなり大変な目に遭いましたね」
消費者庁で板倉弁護士を待っていたのは、怒涛の出張と国際会議だった。
「行くまで知らなかったのですが、日本の役所ってすごい少人数で回してるんですよ。日本の個人情報保護の国際担当専任は僕しかいないという状態で、あちこちに行かされました。まず4月に入ってから、いきなり6月に仙台でAPECがあるから行って、日本の立場からしゃべって、議事録とってきてと…。もちろん、最低限の英語はできるんですよ。大学院で国際学会発表したり、英語の論文書いたりしているし。でも、通訳とかはいないんだ、と思って」
首脳会談の印象が強いAPECだが、報道されない事務レベルの会議も同時に開かれる。その中には、データ保護やプライバシーに関係するものがあり、板倉弁護士はひたすらそうした会議に参加することになる。
「年間、APECが2回、OECDが2回、これ以外にも各国のデータ保護関係者が集まるプライバシーコミッショナー会議(現・GPA=Global Privacy assembly、世界プライバシー会議)が1回、アジアの関係者が集まるアジア太平洋プライバシーフォーラムが2回あって、最低7回は海外出張して会議に参加していました」
海外出張ならではの体験もあった。
「プライバシーコミッショナー会議で、イスラエルに行く機会がありました。ネタニヤフ首相がキーノートスピーチをしたのですが、会場に入るのに警備が厳しくて。銃を持った軍人が『人を殺したことがあるか』とか『weapon(武器)を持っているか』と聞いてくるわけです。一瞬、意味がわからなくて。weaponなんて単語はゲームでしか使ったことがないですからね(笑)。あと、手にも何か塗られたんです。何だろうと思ったら、硝煙反応を見ていました。イスラエルってそういう国なんだと思って、各国を取り巻く環境の違いを実感しましたね」
そんな多忙で刺激的な日々を送りながら、今につながる国際的な人脈を築くことができた。
「役所は人が足りないから、偉い人はなかなか国際会議までは参加してくれないわけです。だから、ペーペーの僕が各国のコミッショナーと話さないといけない。中には大臣クラスの人もいたのですが、仲良くなりました」
ほかにも、FTAやEPAなどでプライバシーに関する交渉があれば、消費者庁の中で板倉弁護士が担当。国際的に影響力ありそうな事件が起きれば、他国のデータ保護機関と情報交換をした。
「法改正担当ではなく、日常業務をやってましたから。役所がどういう意思決定をして、実際にどうやって動いているのか見ることができたのが面白かったです」
消費者庁ではおよそ3年を過ごして、2013年に法律事務所に戻った。すると、今度は厚生年金基金の仕事が待っていた。
「またボスが引き受けてきた仕事なのですが、大学の資産運用と同じようにやっぱり失敗して損失が出ていたので、その後始末をしました。ボスはこの時も金融法務っていってましたけど…やっぱり金融法務ではなく、凄い特殊な投資被害ですね。膨大な金融関連規制と社会保障関連規制と格闘したので、ものすごい勉強になりました」
一方、世界ではデータ保護のルール作りが大きく動いていた。世界各国が個人情報保護法制のモデルとしてきた「EUデータ保護指令」が、「一般データ保護規則」(GDPR)として一新され、2018年から施行されることになったのだ。これに伴い、EUの個人データの処理や移転がより厳しくなり、EU外でも規制が適用され、もしも違反すれば莫大な制裁金が課せられることがわかった。
「2012年にはそうしたGDPRのドラフトが出たので、大変なことになりますよと言いまくっていたのですが、みんなまじめに聞いてくれなくて(笑)。それでも、GDPRの施行直前には、対応しなければならない企業から相談がくるなど、データ保護の仕事は増えていきました」
国内でも、マイナンバー制度の導入、2015年には個人情報保護法の大規模改正(27年改正)などをきっかけに、データ保護の必要性が高まってきていた。その結果が、板倉弁護士の「仕事の9割がデータ保護」の現状である。データ保護で困ったら、板倉弁護士のところへ駆け込む企業は少なくない。
「確かに大手に頼めば、若手弁護士が一生懸命調べてやってくれるのでしょうが、どうしても時間がかかってしまう。僕だと打ち合わせ中に解決するので、お客さんからすればタイムチャージ料が安上がりなんじゃないですかね」と笑う。しかし、その信用は、膨大な知識と現場での経験に裏打ちされている。
今、気になっているのは来年にひかえる改正個人情報保護法の施行だという。
「個人情報保護法は令和2年改正と令和3年改正(の前半部分)が、2022年4月1日に同時施行されますが、多くが間に合わないのでは、という心配があります」
一体、どういうことなのか。
「プライバシーポリシーを全ての会社や自治体、法人で書き換える必要がありますので、早めに着手する必要があります。また、令和3年改正によって、大学、病院や研究機関などの独立行政法人は、民間法の規律が適用されることになります。そうすると、今までは独立行政法人等個人情報保護法をベースに作成していた文書をすべて民間法ベースに書き換えるかどうかのチェックをして、必要があれば書き換えの作業が発生します。おそらく東大や京大にはそういう文書が何万本もあるので、とても見切れないです。しかし、今回は書き換えないと違法になってしまいます」
1日も早く手をつけるしかないと板倉弁護士は指摘する。「この同時施行が大変すぎてみんな呆然としてますが、早めに意識してやるしかないです」
未曾有の事態だが、対応できる専門家が少ないことも、板倉弁護士は懸念を示す。
「今は個人情報委員会や総務省、経産省の個人情報保護関係部署に出向する弁護士が増えていますが、任期を終えるとインハウスの弁護士になったりして、プライベートプラクティスに帰ってこない人もけっこういます。戻ってきてくれた人の中で、さらに興味を持って集中的にデータ保護をやってくれる人になるとさらに少ないです。とりあえずなんでも対応できるという人は、現状、国内では多くて数十人じゃないですかね」
どう考えても、需要と供給のバランスが悪いという。「僕たちは仕事を独占するつもりはないので、どんどん興味のある人に来て欲しいと思っています。複数あった法令も令和3年改正で一本化されるので、勉強しやすくなると思います。向き不向きはあると思いますが、楽しんでもらいたいです」
セミナーや講演を断らないのは、後進を育てたいという気持ちからという。そのためにも、100枚を超える資料を作り続ける。
そんな激務の中、板倉弁護士がこつこつと続けているのが、ゲーム「ポケモンGO」だ。イギリスのコミッショナーとはモロッコで一緒にポケモンを取った。「当時彼はニュージーランドのコミッショナーだったのですが、まだ友達機能がなかったので、再開したら今度こそ友達登録しないといけません」と、どこまでもスケールが大きく、楽しそうな板倉弁護士だった。
▼プロフィール
板倉陽一郎(いたくら・よういちろう)弁護士
1978年千葉市生まれ。2002年、慶應義塾大学総合政策学部卒、2004年、京都大学大学院情報学研究科社会情報学専攻修士課程修了、2007年慶應義塾大学法務研究科(法科大学院)修了。2008年弁護士登録(ひかり総合法律事務所)。2016年4月よりパートナー弁護士。2010年4月より2012年12月まで消費者庁に出向。2017年4月から理研AIP客員主管研究員、2018年5月から国立情報学研究所客員教授。2020年5月から大阪大学社会技術共創研究センター招へい教授。
(季刊誌「弁護士ドットコムタイムズ」より転載)