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河野裕が語る『君の名前の横顔』で家族小説を書いた理由 「世界に目を向けざるを得なくなった」

2021年12月10日 12:11  リアルサウンド

リアルサウンド

河野裕

 TVアニメ・映画化されたデビュー作「サグラダリセット」シリーズや、『いなくなれ、群青』から始まる「階段島」シリーズなど、現実とファンタジーの境目を書き続けてきた作家・河野裕。最新作『君の名前の横顔』は、河野にとってはじめてともいえる家族小説だ。


 世界の一部を盗む怪物・ジャバウォックの存在を主張する小学生・冬明に困惑する、母親の愛。亡き夫の連れ子で大学生の楓は、ジャバウォックの正体を検証しようとするうち、現実が少しずつ歪みはじめて……。


 すべての真実が明かされたとき、最初から読み返さずにはいられなくなる、優しくてかなしい物語。どのように怪物は生まれたのか、その裏側を聞いた。(立花もも)


関連:インタビュー中の河野裕


■世界がどんどん窮屈になっているような感覚が強くなった


――血の繋がらない小学生の弟・冬明から「ジャバウォックが紫色を盗んだせいで、十三本入りの絵の具セットが十二本になってしまった」と大学生の楓が聞かされたところから始まる『君の名前の横顔』。ジャバウォックとは何か、と伺う前に、家族小説を書こうと思ったきっかけをお聞かせください。


河野裕(以下、河野):そもそもは「兄弟ものを書きませんか」と編集さんからご提案いただいたんです。私の書く小説は男女の関係を書くものが多いけれど、男性同士の会話に人間らしさを感じて、とても好きだと。同性同士の関係性がメインの小説を読んでみたいと言われ、おもしろそうだなと思ったんですが、私自身、三年前に子どもが生まれたばかりということもあり、親の視点を物語に組み込んだ方が自然に書けそうな気配がしたんですよね。であれば、いっそのこと家族をテーマにしてみようと。


――血の繋がらない兄弟というのは、最初から想定されていたんでしょうか。


河野:そうですね。母親の愛にとって実子である冬明と、前妻の子である楓という対立構造は最初からイメージしていました。ただ、物語では最初から父親が亡くなっていますけど、もともとは現在進行形の四人家族を描いていくつもりだったんですよ。仕事より優先してしまうほど子どもたちを溺愛している父親が、社会的にうまくたちゆかなくなっていく。その溺愛が、本人も子どもたちも追い詰めていくというような……。


――作中の父親・英哉とは真逆ですね。むしろ彼は、どこか淡々としていて、鷹揚で、家族三人をまとめる存在だった。それなのにある事件で理不尽な死を遂げてしまったことで、遺された三人に傷を残してしまう。


河野:物語の枠組みがわりと複雑なので、個人同士の関係性はシンプルにしておきたかったのと、ジャバウォックの存在が作中で明確になっていくにしたがって、父親の役割も変容していった、という感じです。世界からモノを欠けさせていく未知なる存在、というのは、漠然とイメージしていたんですけど、最初は私自身もいったいそれがなんなのか、つかみかねていたんですよね。


――冬明は紫色の絵の具が消えたと主張しているけれど、愛は、絵の具セットは最初から十二本入りで、紫色など存在しなかったと信じている。そんなふうに、世界の一部を人知れず盗んでいくというジャバウォックは、どんなふうに生まれたんでしょう。


河野:なんとなく、世の中にはしゃべりづらいことが多いなあと感じていたんですよね。たとえば、Aという意見があったとして、どんなに正しいと信じている意見でもそれってだいたい8割のことで、残りの2割は必ず反論が必要なんですよ。でも今、反論を口にするとAに対する否定だととらえられかねず、10割正しいと信じているような顔をしていなきゃいけない。そんな状況が多いような気がして。2割が欠けたまま、8割を10割に水増しさせた状況があちこちで発生することで、世界がどんどん窮屈になっているような感覚が、3年前くらいから強くなってきたのが、きっかけといえばきっかけです。


――お子さんが生まれたのと同じくらいの時期ですね。


河野:ああ、そういえばそうですね。もともと私は社会にあまり興味がなく、自分の世界だけで生きていればいいと思っていた人間だったのですが、子どもが生まれたことで世界に目を向けざるを得なくなった、という影響はあるかもしれません。


――冬明の周辺にジャバウォックが現れるのは、2割の意見が不当に押しつぶされたり、世界の理不尽を感じざるを得ないときでした。自分ひとりのことなら「そういうもんか」と諦めることもできるけど、冬明のような子どもにまっすぐ「なぜそんなことが起きるのか」と問われると返事に窮してしまう、「そういうもんだと受けいれろ」とはなかなか言いづらいし言いたくない、みたいなジレンマは、楓と一緒に体感するところではありました。


河野:子どもに対してフェアな姿勢を貫くのって、すごく難しいですよね。これは販促用のエッセイにも書いたんですが、私は、コロナ禍で極端に行動が制限されることに違和感があったんですよ。私の両親は高齢なので、できるだけ孫に会わせてやりたい。でも2020年の夏、帰省を提案したら、両親に遠慮されたんですね。他県ナンバーの車が訪れることで近所の人たちが不安になるかもしれないから、って。もちろん、その気持ちはよくわかりますし、状況も状況だったから、帰省はとりやめたんですが……両親の余命というものを考えたときにやはり、納得しきれないものがあった。そして一年経った今年の夏、父親に重い病が見つかって、いまだに入院先を見舞うこともできずにいる。しかたない、ということはわかっています。去年の夏、なにがなんでも帰省するべきだった、とは思わないし、私たちは社会的に正しい判断をしたのだと断言できる。でも、それでもやっぱりそれは、8割なんです。残りの2割は「どうして?」と思っている。どうしてすべての正義をふりはらってでも自分にとっていちばん大事なものを大事にすることができないんだろう?と。


――それは、2割の意見を押し通す、ということではないですよね。ただ、2割の反対意見、感情が存在していることを、なかったことにはしたくないという。


河野:そうですね。どちらが正しいとか間違っているとか、ジャッジをしたいわけじゃない。ただ、ある種の正義にはもう戦いようがない、ひれ伏すしかないみたいな状況に対する違和感が、ジャバウォックの中心にあるのでしょうし、できるだけ世の中に対してフェアであろうとする冬明を通じて、そのひずみを描きたかったんだと思います。正義を固定してしまうことへの恐怖心自体は、昔から抱いていて。正義って、時代によって移ろうものじゃないですか。百年前に正義だと信じられていたことが今はめちゃくちゃ非人道的だったりもするし、逆に、今から百年後の未来からふりかえったら、私たちの正義なんてめちゃくちゃである可能性も高いと思うんですよね。であれば、常に、疑う気持ちは持っていたほうがいい。正義を信じすぎてしまうと、先に進む速度が遅くなるのじゃないか、という個人的な考えも、けっこう反映されている小説だと思います。


――ジャバウォックは、その「2割」を盗んでいくわけですが、盗まれてしまったほうがいい、と思う気持ちもわからないでもないのが、読んでいて切ないところでした。10割信じられたほうがラク、ってことも世の中にはたくさんあるので。


河野:本当に、難しいですよね……。ジャバウォックを受けいれるのが正しいとも言いたくないし、間違いだとも言いたくない。だからといって、どっちでもいいよと突き放すのもまた違うなと思うし、その塩梅が小説でうまく醸し出せていたらいいなと思います。


――途中まで、ジャバウォックは、冬明のイマジナリーフレンドなんじゃないかと思っていたんですが、名前を盗まれたという少女が登場したり、冬明と愛のやりとりで明らかにおかしなところが出てきたり、「これはどういうことだ!?」と惹きつけられていく過程は、ミステリーのようでもあり、おもしろかったです。


河野:ありがとうございます。読者を疑心暗鬼にさせつつ、ジャバウォックという存在を受けいれざるを得なくなるにはどうしたらいいかは、めちゃくちゃ意識して書いていたので。私はファンタジー要素を物語に導入することが多いんですけど、それは、完全に現実の物語として描くと読み心地が重くなりすぎるから、でもあるんですね。現実の痛みや苦しみをファンタジーに置き換えることで、読者が物語に没入しやすくなり、でもある面ではより切実に問題を感じられるようになる、という塩梅は毎回気をつけているところなので、そこが成立していると嬉しいです。


――いや、ラストまで読み終えるとだいぶつらいお話ですよね……。もちろん最終的には希望もありますけれど、父親(英哉)の死の裏に隠されていた真相や、ジャバウォックの正体は、一読しただけでは受けとめづらかったです。でももう一度、頭から読み返してみると、また全然見える景色が違っていて。自分たちが置き去りにしてきた「2割」のことを考えながら、何度も読み返してしまいました。


河野:生きていれば、誰かから嫌な思いをさせられることって、多かれ少なかれあるじゃないですか。でもきっと、私のせいで嫌な思いをした人もいるはずなんですよね。気づいていないだけで。でもこれは、自分に甘いのを承知で言うんですけど、仮に私が本当に悪かったんだとしても、どうしようもなくそうなってしまった場合って、あると思うんです。悪いことが発生する背景って、誰かひとりの明確な悪意だけで成るものではないし、いろんな事情が絡み合って結果的にそうなってしまった、ってことのほうがむしろ多いような気がする。口にすると言い訳だと糾弾されてしまうようなことでも、本人にとってはきっと真実なんですよ。自分のことを悪人だとまっすぐ認められる人って、そう多くはないと思うから……だから、英哉の死因に重なるようにして、愛が巻き込まれてしまった事件のどうしようもなさを丁寧に描きたいなと思いました。世間的には加害者と呼ばれる人たちにも、多少の優しさがあってもいいんじゃないか、という思いを託して。まあ、悪いことは悪いですし、正義なんて不要だと思っているわけでもないので、やっぱり、塩梅が難しいんですけどね。


――本作では“名前”ということも、大きなテーマでしたね。ジャバウォックが存在を奪う、ということはつまり、名前を失わせるということ。名前を奪われた謎の少女もそうですが、言語化することで明確になっていくもの、明確になりすぎて本質から遠ざかっていくもの、なども本作では多岐にわたって描かれていました。


河野:最初は、冬明の名前を考えるところから始まったんですよね。息子にはなにも背負わせたくない、という英哉の意向で、冬明の名前にはなにも“意味”がないんですけれど、それは私自身が小説を書くうえで、百も二百も名前を考えてきた結果、どれだけ意味をこめても足りないな、と思ってしまったからなんです。〈愛情は解体しなくちゃいけないんだよ〉と英哉が言う場面がありますが、正常な愛情を築いていくためには、知らず知らずのうちに身につけていたエゴとか、いびつな愛情を全部一度解体して、まっさらな場所から始めなくてはいけないんだ……という彼の言葉は、名づけという最大の愛情表現に苦心した経験があるからこそ、生まれたものだと思います。


――意味をこめすぎるとそれは、呪いにもなりかねませんしね。楓はずっと、冬明からお兄ちゃんとは呼ばせず、愛のこともお母さんとは呼びませんが、二人のことを心から大事に思っているからこそ、家族と名づけ、関係性を固定したくないという彼の気持ちもわかるような気がしました。


河野:名付けてしまいたくない、という感覚は私のなかにも昔からあって。定義すると、形がきれいに揃いすぎて、自然ではなくなっていく感じがしてしまうので、できるだけそのままの状態で置いておきたいんですよね。とくに愛情は、純度の高いままで置いておきたいんです。たとえば好きな小説に対しても、どこに惹かれているのかを言語化するのは楽しいですし、便利だなとも思うんですが、根っこの部分では常に「今、私は嘘をついているな」という気持ちがある。「どうしたって、正確に言い表せるはずがないのに、言い表せているふりをしているぞ」って。その「嘘をついているな」という感覚は大事にしていきたいですし、名前をつけられない関係性、みたいなものは私にとって小説を書くうえで一つの大きなテーマかなとも思います。


――何を書いてもネタバレになってしまうので、テーマ的なところばかりをおうかがいしてしまいましたが……ご自身として、書き終えてみた手応えはいかがですか?


河野:だいたいいつも、書いた直後はよくわからないんですが、やれるだけのことはやったかなと思います。複雑な設計のわりに、エンターテインメントの文脈をうまくとりこんで、意外と読みやすくまとまったかな、と。あとは、親という立場を使って書いた最初の小説でもあるので、思い入れの強い作品にはなりました。親から子への愛情、というものをある程度想像はしていましたけれど、実際に子供をもって具体的に理解できたものが、小説にもいい影響を与えてくれたかなあと。あと、スピッツの歌詞を引用させてもらえたのが何よりも幸せでした……。


――「運命の人」ですね。


河野:私が作家として影響を受けたのは、秋田禎信さんの文体と乙一さんのプロットだと公言してきましたが、小説をできるだけフェアに書きたいという思いの原点はスピッツの歌詞なんです。世の中に存在するポジティブなものとネガティブなもの、どちらかだけを切り取ってデフォルメしたほうが曲としてはつくりやすいはずなのに、スピッツの歌詞にはほぼ確実にどちらも入っている。生きていれば当然、悲しいことも嬉しいことも両方起きるんだということを前提としている温度感が好きなんです。前作、『昨日星を探した言い訳』というのは、理想の世界を探している女の子の物語なんですが、刊行したあとにスピッツが出した新曲「紫の夜を越えて」の歌い出しがまた、作品のテーマとほとんど一緒だったんですよね。しっかり影響を受けて育つと、先回りして影響を受けることもあるんだなあと思って、嬉しかった。だからこそ、より、今回引用させてもらえたのが嬉しかったです。その部分もふくめて、ぜひお楽しみいただければ嬉しいです。