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『ハコヅメ』はなぜ常に「今」がいちばんおもしろい? すべての道筋が伏線となる化学反応

2021年12月07日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『ハコヅメ~交番女子の逆襲~(19)』

 常に「今」がいちばんおもしろい、とマンガ『ハコヅメ~交番女子の逆襲~』(講談社)を読むたび思う。


 戸田恵梨香&永野芽郁主演でドラマ化された同作は、岡島県警という架空の管轄で、交番(ハコ)に勤務する女性警察官の物語。といっても、同作で描かれる警察官たちは、巨悪に立ち向かったり、内部の不正を告発したりは(めったに)しない。交通整理で違反を取り締まったり、窃盗犯や痴漢を取り調べたり、どちらかというと物語にはなりにくそうな、地道な日常業務をメインに描かれるのだが、にもかかわらず、一コマ一コマから目が離せず、夢中になって読んでしまうのは、某県警で10年務めたという著者・泰三子だからこそ描きだせるリアリティゆえだろう。


関連:『ハコヅメ 交番女子の逆襲(15)』表紙


■等身大の姿に胸を打たれてしまう


 泰の描く物語には、過去の傷をわかりやすくトラウマとして抱え続けていたり、それゆえ過剰に正義感を燃やしたりする警察官は、ほとんど登場しない。主人公の新人警察官・川合麻依からして「安定した職業=公務員をめざして片っ端から試験を受けてみたら、たまたま警察官になってしまった」という、どちらかというとかなり意識の低い人間だ。川合とペアを組んで指導する巡査部長の藤聖子は、警察学校時代にミス・パーフェクトと称されたエリート警察官だけれど、交通整理で態度のわるいドライバーにあたれば、おおっぴらには書けない言葉で毒づき「そもそも子どもが好きなんて優しくてまともな女が警察官になる訳ない」なんて豪語する。


 〈「警察って、君が思っているより、もっとしょうもない人たちが、それなりに楽しく仕事をやっているし、そういう人たちが頑張って、世の中にとって大事なことをやっているんだよ」と、そういうことを伝えたいなって考えました〉と2018年のインタビュー(日経ビジネス「警察は“しょうもない人”が頑張る仕事です」)で泰が答えているとおり、『ハコヅメ』に登場するのは、川合と藤を筆頭に、およそ“正義の味方”からは程遠いキャラクターばかり。厳しい訓練のあと飲みすぎて通風を発症したり、ペアっ子や同期が自分より先に恋人をつくりそうになると全力で駄々をこねたり、むしろ、かなり、しょうもない。けれどそんなしょうもなさを持った、ごくごく普通の人間が、制服を着ているときだけは、警察官としての矜持を貫きとおす。生まれ持った強い正義感から、ではなくて、自分を鍛えてくれた教官や、地獄の訓練を並走してきた仲間に恥じない自分でありたいと思う心で、胸を張る。その等身大の姿に、胸を打たれてしまうのである。


 とくに川合は、やる気が薄かっただけに、その成長には目を見張るものがある。たとえば15巻で、とある大事件に参加した際、川合は警察に憎しみのまなざしを向ける被疑者の娘にこう告げる。〈つまんない仕事かもしれないけどルールを守ることの積み重ねがその社会で生きていく自分の大切な人を守ることにもきっと繋がるって思ってる〉。藤のうしろに隠れるばかりだった川合が、藤と娘のあいだに割って入って事をおさめたその姿にもグッとくるものがあるが、何よりいいなあと思ったのは、そのセリフを言った川合が、薄汚れていてとんでもなくむくんだ顔をしていたことだ。事件解決のため、川合は風呂に入ることはおろか、公用車から一歩も出ることなく、被疑者の自宅を見張り続ける生活を送っていた。その地獄のような日々を乗り切ることができたのは、被疑者と因縁をもつ同僚の刑事や、事件に関わったすべての警察官たちへの想いがあったからこそだと語る彼女は、やっぱり〝正義の味方〟からは程遠い。けれど、人として誰よりも誠実だ、と思う。


 私たちが警察官に注目するのは、ドキュメンタリー番組『警察24時』等で派手に事件を解決する姿を見たり、不祥事を起こしたニュースを耳にしたりするときばかり。だけどきっと川合のような警察官が、人知れず、私たちの穏やかな日常を守ってくれているのだろうと、『ハコヅメ』を読むたび実感する。もちろんフィクションだから、多少、理想的に描かれているところもあるだろうけれど……それでもきっと、『ハコヅメ』で描かれる理想を守りぬきたいと思っている人たちが大勢いるはずだと。


 そう信じられるのは、泰が描いているのは物語ではなく「人間」だからなんじゃないか、と思う。捜査一課のエースだったのに、なぜか急に交番勤務となった藤。殉職した父にかわり育ててくれた警察官である伯父との間に、かすかな屈託を抱えていた源。源の父親の死に、大っぴらにはしていないけれど、かかわりをもつくノ一捜査官の黒田カナ。王子様系のイケメンで、幼なじみの藤にも明かすことのできない傷を抱えていた刑事・如月昌也。誰もかれも、常日頃から暗い影に引っ張られているわけではないけれど、ふとした瞬間、ふとしたしぐさや言葉から、隠されていた事実の断片がこぼれ落ちて、彼らの素顔が垣間見える。その断片が少しずつ積み重なって、新しい物語が生まれていく。


 ドラマの主軸となった、とある警察官のひき逃げ事件。岡島県警史上最大の薬物摘発・奥岡島事件。コミカルに描かれる日常の隙間を縫って、ときおり、シリアスな事件シリーズが何話にもわたって描かれるけれど、それらはすべて、突発的に起きたものではない。予兆はすべて1巻から断続的に仕込まれており、読み逃してしまいそうなほどささいなセリフや登場人物の言動、すべてが伏線だったのだとわかるたび、ぞくぞくしてしまう。警察をやめるまで、マンガを描くことはおろか、読んだ経験も多くはなかったという泰が、いったいどうすればこれほどの作品を描くことができるのか。


 本当にこの人は天才なんじゃないかと読めば読むほど震えてしまうが、きっと、泰のなかではすべてのキャラクターが生きているからなんだろうな、と思う。ほんの一瞬、登場したキャラクターでさえ、自分だけの人生を背負っている。交錯した数だけ、物語も増える。だからどんなときも『ハコヅメ』は「今」がいちばんおもしろいのである。たどってきたすべての道筋が伏線になって、思いもよらぬ化学反応が起きて、未来を形作っていくから。


 20巻では、川合と藤が勤務する交番所長・伊ケ崎警部補の過去がどうやら明かされるらしい。自分がラクをするためなら全力を尽くすという伊ケ崎は、当初、平々凡々としたおっちゃんとして描かれていた。けれどふとした瞬間に見せる鋭いまなざし、あまりに手際のいい仕事ぶり、そして中盤で明かされた秘匿捜査員を経験していた過去など、たびたび描かれてきた思わせぶりな描写が、どんなふうに結実するのか。1巻から何度も読み返しつつ、刊行にそなえたい。