2021年12月01日 10:01 弁護士ドットコム
ハロウィンの10月31日、京王線の車内で乗客17人が負傷する事件が起きた。報道によると、殺人未遂容疑で逮捕された20代男性は、今年8月に小田急線で起きた事件を「参考にした」としたうえで、「人を殺して死刑になりたかった」と供述した。
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さらに、11月8日には、九州新幹線の車内で放火未遂事件が発生し、逮捕された60代男性は「京王線の事件をまねした」と話したという。相次ぐ電車内の事件は、「模倣犯」、あるいは京王線の容疑者の衣装や犯行にちなんで「ジョーカー」として、ネットで注目を集めている。
精神科医の片田珠美さんによると、こうした無差別事件の背景には、容疑者の「自殺願望」が潜んでいることが少なくないという。コロナ禍の混乱が広がる中、私たちはどう向き合えばいいか、片田さんに聞いた。(ライター・渋井哲也)
――電車内の殺人未遂事件が相次ぎました。どのように捉えるべきでしょうか?
明らかに「模倣」だと思います。たとえば、10月31日に起きた京王線事件では、容疑者本人が「2人以上殺して死刑になりたかった。(今年8月の)小田急線の刺傷事件を参考にした。誰でもよかった」と供述しました。11月8日に起きた九州新幹線事件でも「京王線の事件をまねようとした」と容疑者が話しています。
これはコピーキャット、つまり模倣という現象です。無差別事件の犯人は「先行する事件を模倣する」。これは、無差別殺人事件では重要な要因になります。たとえば、2008年6月8日の秋葉原事件で、加藤智大死刑囚は事件の4日前、その年の3月に起きた茨城県土浦市の通り魔事件を思い出したと掲示板に書いています。
――先行する事件は、なぜ起きているのでしょうか?
6つの要因が重なった結果、起きると考えられます。アメリカの犯罪心理学者が以下の点について明らかにしました。
1つは「長期間にわたる欲求不満」です。加藤死刑囚もそうでした。仕事も恋愛もうまくいかず、非モテであり、格差社会の中で理不尽な扱いをうけていると感じていました。それが、絶望感につながったのです。
2つ目は「他責的傾向」です。こうした無差別事件の犯人は「自分がそういう境遇なのは社会のせい。上司のせい。親のせい…」と思い込みやすい。「全部、他人のせい」という思い込みは、怒りや復讐願望につながりやすいのです。それが、無差別事件を起こす原動力になります。その多くは、自殺願望を含むため、「拡大自殺」とも呼べます。絶望感と復讐願望が重なっているのです。
3つ目は「破滅的な喪失」です。少なくとも、そう本人が感じたと考えられるような出来事があります。その典型が、大切なものを失うこと(対象喪失)です。喪失体験に直面すると、「自分はもうダメだ」「人生は終わりだ」と思ってしまう。そう本人が受け止めたと考えられる出来事が、直近で起きています。
京王線事件の容疑者は、福岡で6月ごろまで携帯電話会社のコールセンターで営業販売のオペレーターとして働いていました。5月ごろ、顧客からクレームがきて、上司からは配置転換の提案があったけれど、退職した。仕事を失ったことを、容疑者が破滅的な喪失と受け止めた可能性は十分考えられます。
秋葉原事件の加藤死刑囚も同じです。派遣切りの不安がありました。もっとも、加藤死刑囚の場合、本当は切られるメンバーに入っていなかったのですが、自分の作業着がなくなっていると本人が思い込んだ。この出来事を本人が破滅的な喪失と受け止めたのではないでしょうか。
今は、コロナ禍ということもあり、一つの仕事を失うと、次がなかなか見つからない。それによって、相当なストレスが溜まる。京王線事件の容疑者は派遣社員でした。容易にクビを切られる立場でもありました。
――4つの目の要因はなんでしょうか?
4つ目は「コピーキャット」、つまり、以前の犯行の模倣です。秋葉原事件の加藤死刑囚はレンタカーで交差点に突っ込んで刃物を振り回しました。7人が死亡して、10人が重軽傷を負いました。実は1999年9月に起きた下関通り魔殺人事件の模倣です。この事件でも、レンタカーで駅構内の自由通路に突っ込み、車から降りた後、包丁で無差別に切りつけて、5人を殺害し、10人に重軽傷を負わせました。
日付も重要な要素です。秋葉原事件が起きた6月8日は、児童8人が死亡、児童13人と教職員2人がケガをした大阪教育大付属池田小事件の発生日です。
1999年4月20日のコロンバイン高校銃乱射事件もある意味で同じです。同校の生徒2人が銃を乱射し、生徒12人と教師1人を射殺しました。生徒2人はヒトラーとナチスに心酔していました。この日は、ヒトラーの110回目の誕生日でしたが、彼は史上最大の無差別大量殺人犯です。
京王線の事件は10月31日です。この日はハロウィンで、「人が多い電車を狙った」と容疑者は供述していますが、象徴的な意味があるのではないでしょうか。この手の犯人には、"楽しそうにしているのが許せない"という心情があります。自分が楽しくないからこそ、楽しそうな人を復讐の対象にするのです。渋谷のスクランブル交差点は象徴的です。加藤死刑囚も秋葉原の歩行者天国を狙いました。
また、この日が総選挙の投開票日だったことも大きいのではないかと思います。どこまで容疑者が意識していたかはわからないのですが、"選挙をしても、何も変わらないんじゃないか"と思っていたのではないでしょうか。
ただ、容疑者は、上京する前、神戸や名古屋にも寄っていました。これは、歯止めになるものを探していたからではないかと思います。本人は意識していなかったにせよ、知らず知らずのうちに探していたのかもしれません。しかし、残念ながらそういうものが何もなかった。東京まで来たが、何もない。やるしかない、と追い込まれていったのではないでしょうか。
――残りの要因はなんでしょうか?
5つ目は「社会的、心理的な孤立」です。一連の事件ではみんな孤立していました。京王線事件の容疑者は、福岡から神戸、そして名古屋、最後に上京しました。東京まで来て、お金がないので、サラ金でお金を借りています。
小田急線事件の容疑者も同じく孤立していました。この事件の容疑者は「(事件の)数カ月前から生活保護を受けていました」と供述しています。生活保護につながったという面ではよかったのかもしれません。一方で、生活保護を受給することを惨めと感じ、被害的に受け止める場合もあるのです。ただ、この容疑者の場合、精神疾患を抱えている可能性も否定できず、精神鑑定が行われると予想されています。
6つ目は、大量破壊を可能にする武器の入手です。一連の事件では、刃物あるいは火でした。秋葉原事件や下関事件で使われたレンタカーは免許証があれば借りられます。小田急線事件で使用されたのはサラダオイルでしたね。2019年の京都アニメーション放火殺人事件以後、ガソリンを入手するのはむずかしくなったかもしれませんが、普通の油は簡単に入手できます。京王線事件で使われたのはライターの油。誰もが入手可能です。
――格差社会の恵まれなさについて考えると、最近では「親ガチャ」という言葉が話題になりました。
精神科を受診する患者を見ていても、親の収入や受けた教育レベルで子どもが受けられる教育も変わってくると感じます。そうなると、必然的に子どもが稼げる収入も変わってきます。京王線事件の容疑者は母子家庭だったという報道がありますが、社会の格差を感じていたのかもしれません。そうした不満が復讐願望へつながった可能性もあります。
もちろん、それだけでかたづけられません。秋葉原事件の加藤死刑囚は恵まれていたほうです。父は金融機関に勤務しており、母は専業主婦で、教育熱心でした。加藤死刑囚は青森県内でトップレベルの高校へ進学しています。しかし、途中までは成績が良かったのですが、高校で挫折したタイプです。事件の4日前、6月4日の掲示板には「負けっぱなしの人生」と書き込んでいました。
――社会福祉や障害者雇用の社会的サポートを受けることで、不満や孤立は解消されるのでしょうか?
2018年6月、富山県のファーストフード店で働いていた男性が、上司とトラブルになり、叱責されたあと、殴打して、ケガを負わせました。その後、交番へ行き、警察官を刃物で殺害した。さらに、銃を奪って、近所の小学校の正門へ向かい、警備員を射殺した。小学校に向かったのは、無差別殺人を起こそうと思っていたからではないかと言われています。
この事件の裁判のとき、新聞の取材を受けました。被告人は自衛隊にいたことがありますが、どこでもコミュニケーション能力が低く、いじめにあっていました。母親が精神科に連れて行ったことがありますが、医師に対して、「こんなやつに言っても、何も変わらない」と思ったらしく、何も話さなかったようです。事件後、精神鑑定で自閉症スペクトラム障害と診断されています。
この事件の被告人のように、困っていても、発達障害について本人に自覚がない場合があります。当然、診察を受けても拒否的で、きちんとした診断がついておらず、治療も受けていませんでした。こういう場合、社会福祉や障害者雇用といったサポートにつなげるのは難しいのです。
また、たとえ障害者雇用で働けても、本人が不満を募らせる場合があります。すると、イライラして、攻撃衝動をコントロールできないので、どうしてもトラブルが起きやすい。そのため、上司の配慮でしばらく休むようになることもあるのですが、本人は「休みたくなかったのに、上司のせいで休職に追い込まれた」と被害的に考えるわけです。
また、障害者雇用だと、もともと賃金が低いうえ、なかなか上がらないので、なぜ上がらないのかと不満を募らせることもあります。自分の問題や状況を受け入れられず、怒りと恨みを抱く。そんな状況で、もしクビになったら復讐願望の塊のようになりかねません。
――すべてではないにせよ、一定の自殺願望と表裏一体ということでしょうか?
そうです。欲求不満があり、そして孤立している。そこに、破滅的な喪失と本人が受け止めるような出来事が起きる。すると、自分はもうダメ、人生は終わりと思い込んでしまう。自殺願望が芽生えても不思議ではありません。
秋葉原事件の加藤死刑囚は、何度か自殺未遂をしています。大阪教育大付属池田小事件の宅間元死刑囚も自殺未遂をしています。「捕まえて死刑にしてほしかった」と話していますし、犯行の1週間前にはネクタイを使って自殺未遂をしています。土浦の事件の金川元死刑囚も強い自殺願望を抱いていて、死にきれないので、誰かを殺して死刑になりたいと考えるようになったのです。「自殺は怖い、痛い。死にきれないかもしれない」。そう考えていたようです。
見逃せないのは、非常に強い復讐願望があることです。その根底には強い他責的傾向が潜んでいる。とにかく、ほかの誰かのせいにせずにはいられないのです。社会のせい。他人のせい。環境のせい。誰でもいいから巻き添えにしたい。そして、一矢を報いたい、と。
――死刑願望を抱いている人もいます。
土浦の事件の金川元死刑囚は死刑願望を抱いていました。金川元死刑囚は「自殺を考え始めたが、痛い思いをするだけで死ねないかもしれない。手っ取り早いのが死刑」と言っていました。ただ、精神鑑定で金川元死刑囚は「こんなに時間がかかるなら自殺すればよかった」とも話しています。
こういう人は、他人を殺害し、死刑になることによって自殺を完遂しようと思っているため、あまり未練がありません。当然、死刑制度が犯罪の抑止力になりえないわけで、それが一番怖いと私は思います。
ただ、死刑制度があっても、別の方法を考える場合もあります。たとえば、アメリカの銃乱射です。アメリカでは、もし銃を乱射したら、すぐ警察官に射殺される。それを最初から期待して事件を起こす場合もあります。警察官に射殺されることをあらかじめ想定して銃を乱射するわけで、スーサイド・バイ・コップ(Suicide By Cop)と呼ばれています。
――一定のサポートが目の前にあれば、事件は起きないということになりますか? 福祉や医療、教育が受け止めきれないのでしょうか? それとも、犯罪者の個性に帰結するのでしょうか?
たしかに、社会的サポートが必ずしも十分ではないという側面もあるでしょう。もっとあればいいとは思います。しかし、ある程度サポートがあっても、そのサポートを受けるかどうかは結局のところ本人次第です。コミュニケーション能力が低く、どこの職場でもうまくいかない場合、障害者雇用で働く人もいますが、同時にこのようなサポートを受けたくない人、受けるのが嫌な人も一定数います。とりわけ、自己愛が強く、プライドが高い人に多い。"自分は心療内科や精神科に行くような人間ではない"と思っている人はいる。自分の身になって考えるとわかるのですか、なにかしらの障害を持っていることを受け入れるには、ある程度の高さのハードルを超えなければなりません。
「親ガチャ」という言葉は、親の収入、教育レベル、職業、血縁などによって、受けられる教育、ひいては得られる収入も結婚相手も変わるという現実を表しています。あまり高い教育を受けておらず、収入が低い人は、結果として、報われない。だから、努力なんかしてもムダと思い込んでいる人が非常に多く、真っ当な努力も地道な努力もしない。当然、学力も伸びない。収入も得られない。余計に報われない。だからこそ貧困の連鎖が生まれるのです。努力しても報われないと思い込んでいる人をなんとかしないと、この手の事件はもっと増えるのではないでしょうか。
――こうした事件は恐ろしいですが、多くの人は、一生に一度、遭遇するかどうかです。そのため、他人事にすることもできますが、向き合う必要はありますか?
どんなところに住んでいても、この手の事件は起こりえます。地方だからといって、起こらないというわけではない。田舎ほど、職は限られていますし、人口の流動性もないからです。職を失うと次がない。恋愛や結婚のチャンスも限られている。そのため、今は「いつ、どこで無差別殺人が起きても不思議ではない」ということを認識しなければならないのです。
そのうえで、どう向き合うか。どう対処するのか。いつも逃げられるようにしておくとか、すぐに鉄道会社がドアを開けるようにするとかいう対処も必要でしょう。しかし、何より大切なのは、先ほど挙げた6つの要因をできるだけ減らすことだと思います。
とくに重要なのは、破滅的な喪失と受け止められる出来事、つまり犯行の引き金をできるだけ減らすことです。具体的には、たとえ失職しても経済的に困窮しないようにするとか、生活保護を申請しやすいようにするとかいうこと。
ただ、小田急線事件の容疑者は、生活保護を受給していました。プライドが傷ついた生活保護受給者を数多く診察してきた長年の臨床経験から申し上げると、若いほど諦めきれないし、生き甲斐も感じられなくて悩むようです。強い承認欲求の持ち主が増えている現代社会において、「生活保護で最低限の生活を送れればいい」と諦めて生きるのは難しいのかもしれません。