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「カツ丼」ってなんで揚げた後に卵とじするの? めんどくさくない? →その理由は

2021年11月24日 11:50  キャリコネニュース

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仕事で腹が減った時、食べたくなるのがカツ丼。みんな大好きなトンカツの……はずが、丼になったとたん、急に揚げたトンカツをさらに卵とじで煮込むという、手間のかかる料理になる。なぜ、そんなことになったのか?(文=昼間たかし)

早稲田の名店「三朝庵」

「カツ丼発祥の店」として幾度もメディアに取り上げられてきたのは、早稲田大学の近くにあり、ものすごく惜しまれながら2018年に閉店したそば屋の名店「三朝庵」だ。

三朝庵には、1918年(大正7年)ごろ、冷めてしまったトンカツを美味しく食べる方法として「卵とじカツ丼」が考案されたという説が伝わっているそうだ。わざわざ、揚げたカツをつゆで煮て卵でとじるという複雑な調理法の由来を説明する、完璧なエピソードである。

ところで、実は三朝庵よりも早い1913年に、やはり早稲田大学の近くにあった「ヨーロッパ軒」がカツ丼を考案していたという説がある。

ただ、こちらのカツ丼は卵とじのない「ソースカツ丼」である。ヨーロッパ軒、初代の高畠増太郎はドイツで修業を積んだ人物で、海外で覚えたウスターソースと仔牛の肉を使うカツレツの技術を、日本人の口にあうようにアレンジしたのが「ソースカツ丼」だったようだ。

卵とじもソースも、どちらも等しく美味しいカツ丼だ。だがやはり「カツ」をご飯に乗せるという、シンプルなバージョンの方が、卵とじバージョンよりも早く存在していたようだ。

福井では名店として知られる「ヨーロッパ軒」だが、過去の新聞記事などをみると「カツ丼発祥の店」として取り上げられたのは、たいていが三朝庵だった。ヨーロッパ軒を「カツ丼発祥」として取り上げたものは少なく、あっても「ソースカツ丼発祥」とカテゴライズされていた。

同じ早稲田近くの店だったのに、三朝庵に比べて「ヨーロッパ軒」の名が一般に知られていないのは、この店が後に神奈川に移転し、さらに1923年の関東大震災後、福井県に移ったからだろう。

「卵とじじゃないカツ丼」は全国にある

ところで、「カツ丼」で画像検索すると、卵とじバージョンのものばかりが出てくる。しかし、実は卵でとじない「カツ丼」は様々な地方にある。

筆者の出身地である岡山県岡山市ではカツ丼といえばデミグラスソースをたっぷりにぶっかけたスタイルが定番である。しかも、岡山では、そんなカツ丼とラーメンを一緒にぶっこむ文化が存在する。

多くの店ではラーメンとカツ丼の両方を扱っていてランチタイムにはハーフサイズを注文して、一緒に食べるのが定番である。ただ、このハーフサイズの概念も様々である。ハーフというのに「これが本当にハーフなのか?」という量が運ばれてくる。

岡山市内の「だてそば」は妙にラーメンの量が多い。おまけにこの店ではカツ丼の上に生卵を落として運ばれて来るものでサクサクと食べることができてしまう。危険すぎる。

長野県の伊那谷エリアも「ソースカツ丼」が名物だ。この地域ではカツ丼といえば、ご飯の上にまずキャベツをのせ、驚くほど分厚いカツをのせてソースをかけたものが定番。卵とじというのは、よその土地に出かけた時に初めて食べた珍しい料理扱いである。

ちなみに、あまりの分厚さに注文してから運ばれてくるまで30分近くかかる店もある。腹が減っている時には待たされすぎだが、それでも分厚いのが、このエリアの常識だ。

え、明治時代にあったの?

つい脱線したが、なんと最近は「山梨」がソースカツ丼の元祖だという説もあるそうだ。農林水産省が令和元年につくった「うちの郷土料理」というサイトの「山梨県 かつ丼」という項目には、次のような記述がある。

〈山梨県の「かつ丼」の発祥は明治時代の蕎麦店からといわれている。甲府市で360年以上続く老舗そば店の「奥村本店」の当時の主人が、東京へでかけた際にカツレツを食べ、感動してメニューに取り入れようとした。しかし、当時出前が主流だった蕎麦店では器がひとつで済む丼物が中心だったため、丼にのせる「かつ丼」が誕生したのではないかといわれている。〉

なんとまあ明治時代とは。やはり地方には、東京一極集中のメディアがなかなか拾えない話、そして旨いメシが埋もれているものだ。