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藤本タツキ短編集『22-26』から探る、繰り返し描く“対立構造”の原点

2021年11月24日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

藤本タツキが繰り返し描く“対立構造”の原点

 藤本タツキが22歳から26歳の頃に書いた短編漫画をまとめた『藤本タツキ短編集22-26』(集英社)が発売された。


 9月には漫画家を目指す小学生の少女を主人公にした漫画『ルックバック』(集英社)、10月には『藤本タツキ短編集 17-21』が発売されており、この3カ月は“月刊藤本タツキ”とでも言うような怒涛の出版ラッシュだった。


 短編集は作者の短編執筆時期の年齢がタイトルとなっているのだが、この2作の短編集と『ルックバック』を読むと、藤本タツキの作風がどのように変遷していったのかが、よくわかる。


 本書の収録作は以下の4作。


 『人魚ラプソティ』は海辺の街で暮らす少年と人魚の出会いを描いたファンタジー漫画だ。海の底に沈んだピアノを弾くことを日課としている少年が、セーラー服を着た人魚と出会って仲良くなっていく姿はとても幻想的だが、同時にライトなラブコメとしても楽しく読める。この世界の人魚は人間を食らう存在として恐れられていて、少年もいつ人魚に食われるのかわからない。それでも人魚と交流を続ける少年と人魚を恐れる世間との衝突は、その後の作品でも繰り返されている対立構造で、藤本タツキがもっとも描きたいことの一つだと言えるだろう。


 『目が覚めたら女の子になっていた病』はWEBに掲載された短編で、タイトルのとおりの主人公の少年・トシヒデが、起きたら女の子になっていたという性別入れ替わりモノ。性別が変わった理由を「目が覚めたら女の子になっていた病です」と医師が一言で語る場面を筆頭に、細かい説明を端折って話がグイグイと進んでいく。


 作劇手法としては『藤本タツキ短編集17-21』に収録された『佐々木くんが銃弾止めた』の系譜にある作品で、本作でも「セックス」という単語がやたらと連呼されるのがおかしい。性別が変わってしまったことに対する主人公の感情の整理がつかないまま状況がどんどん加速していく展開が藤本タツキらしい。女の子に変わったトシヒデが、恋人のリエの兄に「女の子が男の子を視る感じでカッコいいと思ってしまった」と告白すると、リエが戸惑い「セックスする」と唐突に言い出す場面にそれは強く現れており、『人魚ラプソティ』にあった自分を傷つけるかもしれない「怪物のような女とどう生きていくか?」というテーマが、女体化した身体に芽生えた性的欲望とどう折り合いをつけるのか? という形で描かれている。


 そして、この「怪物のような女とどう生きていくのか?」というテーマが、もっとも強く出ているのが『予言のナユタ』である。本作は、世界を滅ぼす災いの元凶と恐れられる妹のナユタを守ろうとする兄の物語。ナユタは角の生えた少女で、人の心を持たず世界を滅ぼす存在だと予言されている。動物を食い殺し、口にする言葉は「曇天暗黒吹雪殺戮…」「斬首内蔵」といった不穏な単語の羅列ばかりで、何を考えているのか全くわからない。か弱い妹であると同時に、いつ自分を殺すかもわからない怪物というナユタは、藤本タツキの描く女性の二面性が強く反映されている。


 なお、『チェンソーマン』第1部のラストには、ナユタという同じ名前の少女が登場する。また、角の生えた少女が動物を生で食べる姿は同作に登場する魔人・パワーを思わせる。


 コマ運びの巧みさでストーリーを見せる作劇手法は本作で一気に洗練されており『チェンソーマン』の原点と言えるアイデアも多数確認できる。何より、引用によって物語を紡ぐ作劇手法は『予言のナユタ』で全面開花したと言えるだろう。


 たとえば、ナユタが「ゴメンナサイ」と文字を書く時、「イ」という文字が反転しているのだが、これは庵野秀明が監督したOVA(オリジナルビデオアニメーション)『トップをねらえ!』からの引用だろう。また空を舞う巨大な剣が登場する場面は、庵野が大学生時代に関わった短編アニメ『DAICON Ⅳ OPENING ANIMATION』を彷彿とさせる。庵野は影響を受けた過去作の引用によって作品の強度を深めていく映像作家だが、藤本タツキにも同じことが言える。『チェンソーマン』や『ルックバック』における他作品からの引用はとても自覚的におこなわれた批評的表現となっており、作品のテーマとリンクさせることで作品の強度を高めている。


 最後の『姉の妹』は美術高校に通う姉妹の話で、作者曰く『ルックバック』の下敷きとなった話。妹が描いた姉の裸婦画が学校主催のコンクールで受賞し玄関前に張り出されるというショッキングな導入部が物議を呼んだが、今読むと映画『アマデウス』のような才能をめぐる話だとよくわかる。掲載当時は裸婦画を晒すという露悪性に引っ張られて素直に楽しめなかったが『ルックバック』を経由した上で読むと違った読後感があった。


 巻末には短いあとがきが掲載されており、執筆当時の思い出が書かれている。前作の短編集でも感じたが、藤本タツキは文章も素晴らしい。どちらのあとがきも短編小説のような読み応えがあるため、この文章も必読である。