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【11/22~11/28の運勢】11月4週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2021年11月22日 12:01  isuta

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isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡

1ヶ月ごとの運勢グラフ 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

なんでもないことを楽しもう

今週のおひつじ座は、「なんとかやっていく」術を磨いていくような星回り。

コロナ禍では、労働と余暇の境界線はますます曖昧になり、そうした状況に困惑したり疲弊したりする人もいる一方で、両者のあわいで生きる術を編み出し、そこから思いがけない効用を引き出せている人も少なくないのではないでしょうか。

つまり、私たちは「忙しすぎる」ことに文句をいいがちな一方で、突然できた暇に耐えられず、それを実にくだらない消費行動に費やして無駄にしてしまうのであり、今週のおひつじ座もまた、そうした“暇”に対してどのような戦術を用意していけるかということがテーマになってくるのだと言えます。

例えば、本やテキストを読むことは言葉なき沈黙の生産につながりますし、住むことは空間のゲームに参加して、与えられた場を生きるに値するものに変えうる可能性を切り開いていくことに他ならず、会話とは「決まり文句」をあやつったり、ふりかかってくる色々な出来事をしのげるものに変えて楽しんだりする術のひとつなのです。あなたもまた、どうしたら暇を享受して楽しむことができるかという問題に意識的に取り組んでみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

季節外れの返り花

今週のおうし座は、力強い「うた」が胸中からあふれ出していくような星回り。

それはまるで、「熱燗や国滅ぶとき歌おこる」(藤井元基)という句のよう。「国滅ぶ」とは尋常ではないですが、そもそも日本文学の源流にあたる万葉集の根底にあったのは、かつて都市文明があったが、それはもう壊れてしまったという「喪失の感覚」であり、そこで描かれていたのは「ポスト文明」をめぐるさまざまな心象風景でした。

現代の感覚では奈良・京都というと「悠久の都」というイメージがありますが、古代の日本は遷都が頻繁に行われ、万葉集の中心人物のひとりである柿本人麻呂の生きた時代も、次々に作られては捨てられる都に敗者の怨念が宿ることが恐れられていたという背景があり、詩歌などの「文学」はそれを慰め、鎮魂するために編み出されていった訳です。

その意味で、コロナ禍を経て明らかに人流が減ってしまった繁華街や飲食店などの光景もまた、「ポスト文明」の景であり、今こそ時代に翻弄され、疲弊し、怨念を抱いてしまった人びとの魂を慰めるための「うた」をおこす、そのときなのだと言えるかもしれません。あなたもまた、自身がどんな滅びのさなかにあるのかということに、改めて気付いていくことがテーマとなっていくでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

欲望をめぐってジタバタする

今週のふたご座は、両性からともに失われてしまった欲望の行方を探して。

悪女の歴史をたどると、中世までは「醜い女性」が悪女だったそう。つまり、社会が決めた美の基準が悪女をつくった訳ですが、逆にその反対に位置づけられる美女とは、美人であることに加え、「純潔で、権力をほしがらず、従順である」女性のことを指しました。

これは女性の主体性が家父長制のもとで、いかに社会文化的に否定され、貶められてきたかということをよく表していますが、現代に息を吹き返したフェミニズムはこうした女性の欲望を回復する力を再び貯えつつあります。

しかし、それは「女性の地位から男性の地位に上がろうとしている」といった単純なものではなく、追放された欲望をいかに取り戻して女性蔑視という痛みから立ち上がり、「女性」という使い古されたカテゴリーの解消に向かうのでなければ、「女性」→「性悪」→「悪女」という根強い連鎖は本当の意味で終わりが来ないのでは。あなたもまた、男と女のあいだに横たわる暗い河の真ん中に分け入っていくか、すでに自分が深みにはまっていることに気付いていくことがテーマとなっていきそうです。

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illustration by ニシイズミユカ

風のように吹き抜けていく

今週のかに座は、「無常」ということを語らずして語っていくような星回り。

「追ひぬきし人のふりむく枯野かな」(山尾玉藻)では、枯野をいく私を、追い越し、振り返った人がいたという情景が詠まれています。それはどんな顔だったのでしょうか。もし赤の他人であれば、わざわざ振り返ったりしなかったはずです。それに、枯野にそこまでの人通りがあるとも思えません。そう考えるとおそらく、振り返ったその顔とは、私自身に他ならなかったのではないでしょうか。

つげ義春の漫画に出てきそうな、いかにもうらぶれた枯野を行く私は、きっとどこかに戸惑いを宿した、自信のない貌をしているか、すべてを捨て去ってしまった者特有の、あっさりとした淡白な表情を浮かべていたに違いありません。

そのような私とは、ただの抜け殻にすぎず、そこでは時だけが移ろっていくばかり。あなたもまた、そうしたある種の「脱皮」を遂げていくことになるかも知れません。

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illustration by ニシイズミユカ

わが身に悪を引き受ける

今週のしし座は、「こうむる悪」ということを改めて身近に感じていくような星回り。

哲学者の藤田正勝は、近代日本では個人の内面に分け入っていって、自分の意思に関わらず悪を犯さざるを得ない“宿業”を見据えていこうとする「おかす悪」の問題が盛んに取り上げられてきたのに対して、社会の中に存在する悪や、弱者たちが経験する悪などの「こうむる悪」という問題があまり積極的に考えられてこなかったのだと指摘しています。

一方で、ユダヤ人の哲学者レヴィナスは、攻撃に対して力なく横たわる人々のまなざしの中にある抵抗が、暴力をもつ側に殺害への誘惑を引き起こすのだ、というところに考察の基礎をおいて、現代における「こうむる悪」の問題と対峙してきました。

そうした力なく横たわる者の持つまなざしは、レヴィナスによれば二重性をはらんだ弱者のまなざしであり、攻撃するものは殺したいと思いつつも、「高さの次元」ゆえにそれを殺すことができない。だからこそ弱者のまなざしに立脚することではじめて、私たちは社会において倫理的な関係を構築していく可能性を切り開いていくことができるのではないか、と考えた訳です。あなたも、他ならぬ自分自身こそ、そうした悪の対象になりえるのだという認識から再出発していくといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

甘さの価値を認めていくこと

今週のおとめ座は、手持ちの武器を再評価していくような星回り。

「風邪床にぬくもりにける指輪かな」(中村汀女)は、風邪で寝込んでいる主婦の生活を背景に読み込むこともできますが、もっと大事なことを端的に詠んでいるようにも思えます。それは甘さということの価値。日本社会ではことに甘さとか感傷的であることを、どこか若さや未熟さの証しとして嫌うところがありますが、甘さも浅いのでなければ必ずしも排撃すべきではないのだと、掲句はあえて多くを語らずして伝えているのではないでしょうか。

体温と一体となった指輪を「ぬくもりにける」と詠んでみせた作者の胸の内にあるのは、おそらく指輪に込めているほのかな愛情であり、それを確かに感じさせてくれる叙情性は、単に「甘さ」の一言では片づけられない価値があります。

それは嫌味に流れない程度の適度の甘ったるさに、気の利いた観察眼と、言葉の巧みな駆使があわさった作者ならではの個性であり、それら三つが揃っていたからこそ、万人に愛吟されてきたのでしょう。あなたもまた、自身もまたすでにそうした条件をすっかり揃えていることに気付いていくことができるかも知れません。

続きはこちらから 今週のてんびん座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

琴線に触れる音を待つ

今週のてんびん座は、ただただ感性的な吐息を漏らしていくような星回り。

空から降る雪が何も語ることはないように、話せないことというのは自然の本質であり、その意味で自然とは嘆く存在と言えます。そしてその嘆きは決して十分に分節化されないまま、いつまでも続く無力な言語表現であり、それは感性的な吐息でしかないのです。

ベンヤミンはそんな自然を「伝達可能性(communicability)」を奪われた、悲しい世界とみなしました。日常的な意味での挨拶も通じず、いくら語りかけても何ら言葉らしい言葉の返ってこない、一切の伝達が遮断された孤立した空間。

なぜ雪は降り続けるのか、と問うても何も返答はないが、しかしそうしてすべてを白く塗り潰してしまうのは、自然が悲しんでいるからだ、と受け取る感覚は人間にとっても大事なことのように思います。あなたもまた、言葉を語りえない悲しみと一体化していく時間を意識的に作ってみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

僕たちは手を引かれ、支えられて生きている

今週のさそり座は、生活と言葉の一致をあらためて図っていくような星回り。

秋刀魚(さんま)は新鮮なものを塩焼きにして食べるのがいちばんですが、一夜干しにして食べるのもなかなかうまい。「冬空に吊して秋刀魚五千匹」は、作者・阪ひとしの故郷である、熊野あたりの漁港の冬景色を詠ったものなのでしょう。五千匹という数は海の豊穣を讃えるのには十分過ぎるくらいですが、むしろその数の多さは冬空とあいまって、濃厚な死の気配さえ醸し出しているように感じます。

現代では、こうした自分たち人間の生活がどれほどの犠牲の上に成り立っているのかを直接的に実感する機会はすっかりなくなってしまいましたが、だからこそ作者はあえてこうした句を詠んでみせたのかも知れません。

いったんそう考え始めると、掲句の秋刀魚もまた次第にただの食料ではなくなっていき、生者の傍らにある「死者の共同体」のようにも感じられてきます。あなたもまた、自分が思いがけないネットワークの一部であることに改めて気付かされていくことでしょう。

続きはこちらから 今週のいて座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

器をいったん空にする

今週のいて座は、あきらめからあきらめに移行していくような星回り。

ヨブは金持ちであり、子供たちや友人にも恵まれ、その人生はすべてが順調で、しあわせであった。しかし突然、彼は貧乏になり、病気になり、人びとから見捨てられてしまいました。現代人はこれをあまりに理不尽な話だと感じることと思いますが、ヨブにとっては当然のことのよう見えていました。

というのも、ヨブの生きた世界では、この宇宙はわれわれ人間よりもはるかに力の強く、ひとりの人間がいくら決意をもって対峙し、訴えようとも、びくともせず、何ら変更できないものであったからです。そこではこの世界はすべて、ただ一つの意志から始まり、人間の精神はまだ眠っており、そこにはただただ圧倒されるだけの、あきらめだけが残されていたのだと言えます。

しかしヨブは、自分にすべての原因があったのだと認めるように忠告してきた友人の勧めに反して、唯一の神、残忍な神を拒絶しました。その根底にあったのは、精神の目覚めであり、あえてやる力の発動であり、自らを救ってくれるのは自分しかいないのだという、これまでとは別種のあきらめに他ならなかったように思います。あなたも、みずからの身に重くのしかかっていた呪いをくみほどいていくことがテーマとなっていきそうです。

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illustration by ニシイズミユカ

制限と遊び

今週のやぎ座は、さまざまなものが自分を通して交錯していくような星回り。

あやとりの「エッフェル塔」と言えば、どちらかというと「東京タワー」という名称の方が一般的ですが、「あやとりのエッフェル塔も冬に入る」の作者・有馬朗人は、実際に行ったことのある本物のパリのエッフェル塔に思いを馳せたのでしょう。灰色の空に、どんよりと雲が低くたれ込めたパリの冬が、身辺にはじまったように感じた訳ですが、思いを馳せる先のはるかな遠さと対照的な手元の近さや細やかさが掲句の大きな特徴ともなっています。

じつはあやとりは日本人に限らず、さまざまな民族によって世界中で独自に編み出されてきた遊びであり、特に文字を持たない民族にとっては、大切な神話や伝承を伝えていく役割を担っており、動物や自然、神話の登場人物を含めると、少なくとも約三千種類の形が確認されているそうです。

その意味で、糸と指の関係を記号化する遊びは掲句のように異なる空間を繋ぐだけでなく、はるかな過去と未来とを結んでいく営みでもあるのだと言えます。あなたもまた、自分がどのような伝承の繋ぎの役割を果たしていくべきなのか、改めて思いを巡らせてみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

否応なしにそうするしかないこと

今週のみずがめ座は、いつの間にか巻き込まれていた事態に改めてまなざしを向けていくような星回り。

チェーホフの『かき』は、晩秋のモスクワを舞台に、すでに5カ月間も失業状態が続いている父親が登場する短編小説。ついにお金がなくなって、路上で物乞いをするしかなくなったシーンが、父親を見つめる少年の視点から描かれていきます。

父の姿をじっと眺めていた少年は、通りの向かい側に「かき」の文字を見つけ、父親にそれが何を意味するのか教えてもらうと、空腹に耐えきれなくなって、通りの人たちに向かって「かきをおくれよ!」と懇願し、じゃあ食べてみろよとお店で笑いものにされてしまいます。

そういう、非常に冷徹かつ残酷な描写が出てくる小説なのですが、ここには人間の尊厳がいかに壊れやすいものであるか、そして、容易に踏みつぶされてしまうかという社会悪の問題が的確に表現されているように思います。あなたもまた、もし自分が上記のような場面に接したならどのように振る舞うべきか、鋭く問われていくことになるかもしれません。

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illustration by ニシイズミユカ

固い<わたし>がほどけゆく

今週のうお座は、自分は猿と作者のどちらの立場に立っているのか考えてみるべし。

「岨(そば)行(ゆ)けば猿に打たれる木実哉」(巌谷小波)の「岨(そば)」とは、山の切り立った斜面のこと。その歩きにくい場所をいくと、猿がいてなにやら威嚇してくる。それでもすすむのをやめないで猿に近づくと、猿が何かものを投げてきた。それが体にあたったので見てみると、木の実であった。

どこか童話や昔話のようなテイストの句ですが、木の実は猿が厳しい冬を越すために必死でかき集めてきた貴重な食料源であり、それだけ必死の威嚇行為だったはず。しかし、それでも作者が引き返すことはなかったのではないか。やはりどこか物語や夢のワンシーンのように、起こった出来事に反応はすれど、それを受け入れるのが当たり前のような雰囲気が掲句の底に流れているように感じます。

猿に共感はできなくても、その行為を受け止めていくことはできる。これは、人間同士においても話はそうは変わらないように思います。あなたもまた、いかに自分とはまったく異質な他者と共感ベースではない仕方で付き合っていくことができるかが問われていくはず。

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