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「幻冬舎plus」編集長・竹村優子が語る、WEBの可能性「すぐ役に立つだけじゃない文章の面白さを伝えたい」

2021年11月22日 10:11  リアルサウンド

リアルサウンド

「幻冬舎plus」編集長・竹村優子

 幻冬舎が2013年に立ち上げたWEBサイト「幻冬舎plus」。チャレンジを続ける同サイトで編集長を務めるのが、竹村優子氏だ。


 竹村氏は大学卒業後、実業之日本社に入社し、WAVE出版を経て、幻冬舎へ。『世界一の美女になるダイエット』、『後悔と真実の色』、『弱いつながり 検索ワードを探す旅』、『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』、『しらふで生きる 大酒飲みの決断』などのベストセラーを手がける一方、PR誌『星星峡』の編集長、そしてWEBメディア「幻冬舎plus」の立ち上げを担当した。


2018年からスタートとした大人のためのカルチャー講座「幻冬舎大学」は、幻冬舎plusと共同で運営、2020年以降はコロナ禍によりオンラインでの配信も始め、宮台真司×上野千鶴子×鈴木涼美による『「制服少女たちのその後」を語る』など、話題の講座を手がけてきた。


キャリアを通じて感じさせられるのは、「挑戦」とその「スピード感」だ。今回はそんな竹村氏を直撃。編集者として挑戦し続ける意義、WEB事業の今後についてじっくり聞いた。(編集部)


関連:新刊を手に持つ竹村氏


■自分が面白いと思わないとできない


――まずは幻冬舎に入社するまでの経緯を教えてください。


竹村優子(以下、竹村):新卒の就職時に大手の出版社から順番に受けていって、実業之日本社に入社することになりました。『実業の日本』(現在休刊)という明治時代に会社の設立とともに創刊されたビジネス誌があって、そのとき会社も雑誌も100周年だったのですが、私が100年目にして初めての女性編集部員として配属されました。


――それは歴史的瞬間ですね。


竹村:他の部署にはもちろん女性の方がいましたし、『実業の日本』編集部にも事務や契約の女性はいらしたのですが、新入社員の正社員で女性の編集者は初めてだったようです。


――『実業の日本』では、どのようなページを担当しましたか?


竹村:ビジネス周りで面白いなと思うテーマを見つけてきて、自分で取材して自分で書くという記事を月に数本。あとは女性起業家の方をよく取材していました。


――記事も書いていたのですね。


竹村:ライターやカメラマンに作りたいページのイメージを伝えて取材を進めてもらうには、あまりにも経験値が足りませんでした。私は大学卒業したばかりで、そもそもビジネスというのもなんだかよくわかっていないし、編集者としての勘所もなかったので、しばらくは全部一人でやっていました。


――『実業の日本』が休刊してからは、書籍を担当されていたんですよね?


竹村:ビジネス書の部署にいました。そのなかで私は、正攻法のビジネス書よりも、ビジネス周りなんだけれども、自分の興味に引きつけて作ろうとしていました。例を挙げると、そのまんま東さんが早稲田大学に入学したことを書いてもらった『芸人学生』という本などです。


――ビジネス書なんですかね?(笑)


竹村:社会人大学とか社会人入試が出てきた頃なので、一回働いて、もう一回勉強し直すという視点で見れば、そうかな? と(笑)。あとは『トーキョー・リアルライフ』という、東京に暮らす42人の一般の人たちの消費生活――1か月間、なにを買って、なににお金を使ったかを日記形式にまとめた本を作りました。朝日新聞の書評欄で取り上げてもらい、自分が作った本が、こういう風に受け止めてもらって話題になっていくんだというのを初めて経験しました。


――いま竹村さんが担当している本を見ると、その頃から一本の線で繋がっている感じがします。興味のあることを突き詰める、という。


竹村:そんなにいいものではなく、言われたままのことが、本当にできなかったんですよね。


――編集者は、やりたいことを実際にやらせてもらえるようになるまでが、大変じゃないですか?


竹村:大変でした。今思うと、ちょっとした厄介者みたいだったかもしれません(笑)。


■絶対に出さなきゃいけない緊張感


――その後、実業之日本社からWAVE出版に移ります。


竹村:実業之日本社は伝統の土壌がしっかりあるいい会社だったのですが、もっと幅広く本を作りたいなと思っていました。それで30歳で転職しました。


――WAVE出版ではどういったお仕事を?


竹村:女性向けの実用書とか、エッセイ本などを手がけました。印象深いのは、宮沢章夫さんの読書格闘エッセイ『「資本論」も読む』です。実は、実業之日本で企画を立てて、連載を始めて、その原稿を持ってWAVE出版に行って単行本にして、幻冬舎に移って文庫にしたんですよ(笑)。周りの方たちがいい人たちで、「すごい思い入れを持ってやってたから、持っていっていいよ」と言ってくれて。


――著者も含めて、竹村さんがちゃんと関係性を作ってきたからこそですよね。WAVE出版はどんな会社でしたか?


竹村:実業之日本社は社員が200人弱くらいだったんですけど、当時、WAVE出版は全体が20人くらいで、編集者が4~5人なんですよ。この月に出すって決めたら、絶対出さなきゃいけないという、小さな会社の緊張感と一体感がすごくありましたね。


――失敗できないですよね。


竹村:営業の人たちと編集者が一緒にいろいろ考えて、注文のファックスをこういう風に作ろうとか、販促はこうしようとか、1日の注文数がどれだけあったとか、そういうことを常にみんなで共有していました。営業との距離の近さが新鮮でしたね。印刷費や紙代の見積もりや発注など、印刷所や紙屋さんとのやりとりも自分でやっていました。すごくいい経験をしたなと思います。


――WAVE出版はそんなに少人数で、いい本をたくさん出していたんですね。優秀な人が揃っていたというか。


竹村:そうですね。少数精鋭で鍛えられました。


■幻冬舎最初の本が重版


――幻冬舎に転職した理由は?


竹村:WAVE出版には2年半くらいいたんですけど、規模の小ささが楽しくもあり大変でもありという感じで。たまたま幻冬舎の募集を見て、ちょっと行ってみようかなと思ったんです。


――幻冬舎に入って、最初に作った本はなんですか?


竹村:2007年9月に入社して、翌年1月に出した『牛丼一杯の儲けは9円――「利益」と「仕入れ」の仁義なき経済学』(坂口孝則)という新書です。入社前から企画は考えていて、入社してすぐ会議に出して、進めていました。この本が何度か重版したので、ホッとしました(笑)。一気に原稿を書いてくださった坂口さんのおかげです。入社当初は新書を中心に編集していましたが、次第に小説も編集するようになり、最初に担当したのは貫井徳郎さんの『後悔と真実の色』です。元々は文芸編集者に憧れがあって、小説の編集はずっと心の中にあったので、嬉しかったですね。


――いろいろなタイプの著者とお仕事されていますが、どういうところで出会って、出版までの判断をされていますか?


竹村:例えば、辻田真佐憲さんは「ゲンロン」のパーティーで名刺交換したんですけど、そのときはどういう方かはよく知らなかったんです。でもなんとなく面白かったなと思って、辻田さんが登壇される、戦時下の軍歌を聴くイベントに行ったんですよ。そうしたら辻田さんのお喋りがすごく面白くて。軍歌というのは、戦争のための押し付けられた特別な音楽じゃなくて、戦前においては大衆音楽の一つだった、というような話が興味深く、これは本にできるのではないかなと思ったり。出会いや企画はそんな感じで偶然を大事にしています。


――そこから『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』に繋がっていくと。辻田さんとはそのあとも『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』などを出されり、人文書では、担当された東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』が「紀伊國屋じんぶん大賞2015」を受賞しました。


竹村:『弱いつながり』は『星星峡』というPR誌での連載が下敷きになっているのですが、担当者が退社したので連載途中から引き継いだものです。『検索ワードを探す旅』という連載タイトルを、書籍ではもう少し大きな構えにしたいなと思い、東さんと相談して、『弱いつながり』となりました。


■自分たちでできることは自分たちでやる


――書籍の編集を経て、幻冬舎plusを立ち上げる経緯を教えてください。


竹村:2010年くらいからさきほども出てきたPR誌『星星峡』の編集長を担当していたのですが、WEBメディアがどんどん出てくるなかで、PRが書店で無料配布するだけでいいのかなと思ってしまって、行き詰まりを感じるようになったんです。


――PR誌を通して新しい層を取り込むのは難しそうですね。本読みにとっては、いつも書店でもらえて「ラッキー!」みたいな感じですが。


竹村:そうなんです。本読み以外に広げるとなると本当に難しい。紙だけで新しいことをやるのは限界だなと思い、WEBに移行することを提案したんです。すでに「幻冬舎ウェブマガジン」というサイトがあったので、それと『星星峡』を合体させるような形で「幻冬舎plus」を立ち上げたのが、2013年ですね。


――WEBと書籍では勝手が違ったのではないでしょうか。


竹村:全然違いますね。まず時間の進み方が、書籍からすると速すぎるし、逆にWEBの基準だと書籍編集がうまく回らない。いまだに並行させるのは難しいなと思います。


――しかしそのなかでも、幻冬舎大学など、意欲的な取り組みが話題になっています。


竹村:幻冬舎大学は別の者が立ち上げ、社内でトークイベントなどを開催していて、オンラインにしたのはコロナになってからです。配信に関して、社内に詳しい人が誰もいない中、本当に手探りでした。


――今年8月に配信された『宮台真司×上野千鶴子×鈴木涼美「制服少女たちのその後」を語る』を視聴した際に、上野千鶴子さんが「そろそろ時間じゃない?」とかタイムキーパー役までされていて、内容もですが、その部分も面白かったです。


竹村:上野さんと鈴木さんによる『往復書簡 限界から始まる』の刊行記念だったので、担当編集の私が司会で入りましたが、登壇者の方々の場数と鋭さにはまったく及ばないので、本当に緊張しました(笑)。でも本の存在を伝えるには、目に触れる機会を多くする必要があると思うので、とにかく自分たちでできることからコツコツとやっていこうというスタンスです。


■好奇心がなくなることへの恐怖心


――ここまで話を聞いていると、竹村さんはずっと新しいことに挑戦し続けていますよね。


竹村:挑戦というより、「自分が飽きないように」という感覚が近いですね。編集者として好奇心がなくなったり、面白いと思えることがなくなったりしたらどうしよう、という恐怖心があるんです。そもそも好奇心がなくなったら、辻田さんのトークショーに行こうとも思わないだろうし、行っても軍歌の本を作ろうとか思わないかもしれない。面白いものに心が反応する状態を維持したくて、多少無理してでも、ちょっとなにか新しいことをやってみてるのかもしれません。


――見城社長を含めて、幻冬舎は新しいことを受け入れてくれますか?


竹村:受け入れてくれますね。というより、新しいことを止められた経験をあまりしたことがないです。今回のこういう取材も、どんどん出ていいですし。


――竹村さんから見て、見城社長はどんな方ですか?


竹村:編集者としてのセンスはずば抜けていて、助けられた経験がたくさんあります。例えば『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(町田康)は当初、まったく違うタイトルだったんですよ。それが会議で見城に「このタイトルはよくないんじゃないか?」と再考を迫られ、考え直して、うまくハマったのが『しらふで生きる』でした。それ以外でも、帯のコピーやタイトルについて、見城が言ったことは「なるほどな」というものが多いです。


――やはり敏腕編集者だと。


竹村:そうですね。本当にすごいなと思います。いつも同じフロアにいるので、普通に話しかけたり、直接、LINEしたりもします。それに、幻冬舎には、「実用書」「文庫」「新書」といった専門の部署はないので、企画さえ通せば、編集者はどんなジャンルの本もつくることができます。そういう自由さはありがたいですね。


■文章が醸し出す“楽しみ”を伝えたい


――幻冬舎plusをこれからどうしていきたいですか?


竹村:いまの時代、WEB記事で受けるものといえば、芸能とかニュース的な記事だったり、すぐ役に立つ記事だったりすると思うのですが、「幻冬舎plus」はそういう文脈にあまり乗っていないんです。すぐ役に立つだけじゃない文章の面白さを、面白い書き手と作り上げていきたいと思います。面白さの種類は無限にあると思うんですね。文章が醸し出す“楽しみ”を伝えたいです。そこから、紙の本でも電子書籍でも、少しでも長い文章を読む人が増えることにつなげていきたいです。


――WEBでは長い文章は読まれにくい傾向もありますね。


竹村:行間のニュアンスもあまり読んでもらえなくなってますからね。


――小説や人文書なんかは、気持ち良くなるまでに時間がかかったりしますよね。


竹村:そうなんです。心がうごめくまでにエンジンが必要な作品ってありますからね。だからこその余韻も大きい。そういうものが、どんどん伝わりづらい世の中になっているので、幻冬舎plusは、PVを狙うだけではない、そういう部分を大事にしたいなと思っています。