2021年11月21日 09:51 弁護士ドットコム
今年3月、名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)の収容施設内で、スリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなったことを機に、国会でも、組織の体制や収容者に対する処遇など、さまざまな問題が指摘され始めた入管行政。
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だが、牛久(東日本入国管理センター)や品川(東京出入国在留管理局)の収容施設に足を運び、面会活動を続けてきた支援者たちは、入管による収容者への厳しい処遇は決して改善されたわけではないと口にする。
「ウィシュマさんと同じ状況だった自分が、今生きていられるのは、最後に点滴を受けることができて、仮放免(一時的に身柄を解放する措置)が認められたからです」
こう話すのは、彼女と同じスリランカ出身のダヌカ・ニマンタ・セネヴィラタナ・バンダーラさんだ。入管によって、本名を偽名扱いされているダヌカさんは、この不正な扱いのため、11年間にわたって自由を奪われ、身動きの取れない状況に置かれている。
2017年7月から2019年12月まで2年5カ月余り、品川と牛久に収容されて、今も仮放免の状況にあるダヌカさんは、なぜトラブルに巻き込まれたのか。その経緯や現状を聞かせてもらった。(取材・文/塚田恭子)
6年前から日本人のパートナーAさんと暮らしているダヌカさん。現在、仮放免中の彼は、2019年12月まで2年5カ月余りの収容中、入管の処遇に対する精神的な苦痛から食事ができなくなり、体重が70キロから47キロに激減した。ダヌカさんは、当時の状況を次のように話す。
「2019年の夏ごろから吐くようになり、何も食べられなくなってしまって…。当時は水を飲んでも気持ち悪くなるので、少しでも水分補給できればと、水を数分間、口に含んで、あとで吐き出すような状況でした。入管の医師に『点滴をしてほしい』と頼んでも、医師は私の身体に触れもせず、『必要ありません』と言うだけ。
その後、外部の精神科の医師に鬱病と診断され、月に一度、診察してもらえるようになりましたが、12月には立っていられない状況になっていました。精神科の医師は『すぐに1日2回、ビタミン剤も入れた点滴をしてもらうように』と指示しましたが、人手が足りないのか、1日1回ブドウ糖のみの点滴を12月19日からようやく打ってもらっていました」
暦の関係で官公庁が9連休となった2019年の年末年始。この期間中、医師も看護師も不在となるので、点滴はできなくなると、ダヌカさんは言われたという。
「ところが24日に突然呼び出され、仮放免が認められて、9連休に入る前日の26日に、収容施設を出ることができたんです。支援者やパートナーが抗議をしたことで、おそらくこのまま点滴をせずに収容していたら『本当に危険だ』と入管の職員も思ったのでしょう。出てすぐに治療を始めましたけど、もし9連休前に仮放免されていなかったら、自分もウィシュマさんのように亡くなっていたと思います」
食べることに関しては、今でも収容時のように気持ち悪くなったり、吐き気がしたり、食欲がなくなると2~3日食べられないこともあるという。
「今も月に一度、精神科の病院に通っています。先生は、あまり考え過ぎないようにと言うけれど、そう言われても、いろいろなことが頭から離れないし、鬱がひどくなると、自分ではどうしようもありません。気をそらすことも必要だと、先生に勧められて、家庭菜園をやっています。作業しているときは集中できるのでよいけれど、そうじゃないと、やはり自分の状況を考えてしまいます」
そもそもなぜ、入管はダヌカさんの本名を認めず、彼を偽名で扱い続けているのか。このことについては、順序立てて説明する必要があるだろう。
ダヌカさんが最初に来日したのは1990年代後半。当時、未成年だった彼は、ブローカーから成人の身元を使うように指示されて、偽名のパスポートで入国し、そのことが発覚した2000年代後半、入管に強制送還された。
帰国後、貿易関係の会社を興したダヌカさんは、知人から事業を持ちかけられ、仕事の話をするため、正規のパスポートで再来日した。ところが、その人は詐欺師で、来日した彼に金を投資するよう圧力をかけ、3週間軟禁したのち、警察と入管に、ダヌカさんがかつて偽名で入国していたと通報した。
ダヌカさんを拘束した入管は、このとき本名のダヌカではなく、かつての偽名で彼の身元を認定する。この入管の間違いによって、ダヌカさんは入管法違反で罰せられてしまう。その後、入管の収容施設でも、ダヌカさんは違う名前で呼び続けられた。返事をしないと怒鳴られるだけでなく、「返事をしない」=「反抗的な態度」とされ、9カ月間、独房に入れられたという。
違う名前で呼ばれることは精神的な苦痛だと、ダヌカさんは入管に対して不服申し立てもおこなっている。だが、これに対して入管は「理由がない」という、理不尽な回答をしている。
本名を偽名とし、偽名を本名扱いする――。入管のこの誤りを正してもらうため、ダヌカさんはスリランカ大使館に自身の身元を証明してもらい、それを入管に提出している。
「入管がチャミンダ(=偽名)と呼んでいる人はダヌカだと、スリランカ大使館は、私の身元を証明しています。入管が大使館の文書を受け取った時点で、退去強制者としての送還要件が揃わないことは明らかなんです」
入管が、2010年にダヌカさんに出した退去強制令書は、偽名のパスポートを使った過去の事実に対するもので、ダヌカさんは、そのとき退去強制令に従って帰国している。そして再来日は国が発行した正規のパスポートでの、違法性のない入国で、大使館もダヌカさんが本人であることを認めている。
「入管がチャミンダを、本名のダヌカと書き直してさえくれれば、問題は解決します。でも、私がダヌカであると認めることは、入管にとって自分たちの間違いを認めることになり、退去強制令書を出した意味がなくなってしまう。入管は自分たちのメンツを潰したくないというプライドのために、故意に私の名前を直さないのでしょう。
入管法には、入国審査官は、収容者が人違いでないか、確認しないといけないと明記されています。違反審判要領には、基本的な事実に変更がある場合、それを訂正すること、とあり、私の名前をダヌカに変更する義務があります。
職員は規則に基づいて仕事をするべきなのに、こうしたルールが守られていないのは、第三者が介在せず、すべてを入管内で判断しているからできることなんです。第三者が介在していれば、自分のようなケースが通用するはずありません」
再入国後、入管の間違いによる不当な懲役による刑期を終了後、入管に収容されたダヌカさんは、2013年に仮放免された。その後、Aさんと出会い、生活をともにし始めている。また、この時期、ダヌカさんは、偽名で出された2010年の退去強制令書が不当であることを訴える裁判を起こしていた。
地裁、高裁に負けたため、最高裁への上告を依頼していたものの、弁護団のミスにより上告期限が切れてしまい、ダヌカさんは入管に再収容されてしまう。前述の通り、2017年7月のことで、パートナーのAさんは文字通り、青天の霹靂だったと話す。
「仮放免の出頭日で入管に行った彼から『ほかの電話番号から電話するけど出てね』とラインが入って。嫌な予感がしていたら、そのまま収容されてしまって…。当時の私は入管のことをまるで知らなかったので、本当に頭が真っ白になりました」(Aさん)
仕事をしながら週に一度、ダヌカさんへの面会を続けたAさんは、「SYI収容者友人有志一同」メンバーの柏崎正憲さんと出会うまで、1人で入管職員に抗議をしていたという。
「面会に行くたびに、受付で抗議をしていた私のことを、職員の人たちも嫌になったんでしょうね。ある日、面会を終えて、エレベーターが来るのを待っていたら、『話をしましょう』と言われ、女性職員1人、男性職員15人に取り囲まれたんです。
以前から彼に『弁護士と一緒じゃなければ話はしないと伝えなさい』と言われていたので、そう話しても、しばらく私を囲み続けた彼らを振り切って、外に出ました。面会室で彼が来るのを待っていたら、職員が2人入ってきて、『あまり抗議すると、面会させないよ』と言われたこともありました」(Aさん)
収容されることがどれほど大変なことか。特に収容先が、品川から牛久に移ってからは移動時間も長くなり、精神的にも肉体的にも面会に通い続けることは苦しかったとAさんは言う。
「このままずっと面会を続けるのか、もう一生、外では会えないのかと思うと、すごくショックでした。会いに行くたびに身体が細くなって、(収容の)最後のほうは面会室に来るのも車椅子で、誰?と思うくらい痩せてしまっていて。このまま死んじゃうんじゃないかと思いました」(Aさん)
収容施設内で体調不良から食事ができなくなり、それぞれ23キロ、20キロと、体重が激減する状況に追い込まれたダヌカさんとウィシュマさん。2人の分かれ目は何だったのか。ダヌカさんが話すように、それは点滴、そして医療対応が通常以上に手薄になる年末年始の9連休前に、ダヌカさんの仮放免が認められたこと、その2点に尽きるだろう。
「15人ほどの職員中、きちんと対応してくれる人も3人いました。あとで個人情報開示請求をして確認しましたけど、医者に診てもらえるように私の状況を伝えてくれたのも、その3人でした。でも、その他大勢の職員は、収容者のことなど動物扱いです。医療相談をしても、現場の職員は専門知識がないにも関わらず、ここにいる以上、待つしかないよ、と鼻で笑っています。人をいじめて喜んでいるとしか思えない職員がいるんです」
入管の医療体制がどんなものか。身をもって経験したダヌカさんは、こう続ける。
「ウィシュマさんの弁護団が開示請求した、看守の勤務日誌や支援者との面会簿などの行政文書はほぼ黒塗りでしたけど、私は黒塗りの8割くらいは話せると思います。なぜなら自分も同じ扱いを受けているからです。
ウィシュマさんは収容施設で亡くなったのに、入管庁は、当時の名古屋入管の局長に訓告しただけです。家庭で親が子どもに食事を与えず、虐待すれば、親は罰を受けます。同じことを、入管が被収容者に対しておこなっていて、記録のある2007年からだけで17人が命を落としているのに、担当者が注意を受けただけで終わっている。
ウィシュマさんを放置したのは、佐野豪俊名古屋入管局長(当時)なのか。佐々木聖子出入国在留管理庁長官なのか、上川陽子法務大臣(当時)なのか。責任の所在をきちんとするべきです。結局、調査委員会も内部の人間でやっているし、外部の識者を入れたといっても、名前も、その人がどういう基準で選ばれたかも公表されていない以上、意味はないでしょう」
ダヌカさんは、日本語を流暢に話す。話すだけでなく、日本人でも勉強していなければ理解するのが難しい、法律関係の専門的な文書も自分で読み、漢字も問題なく書く。
「ここまで勉強したのは、自分が事件に巻き込まれたのは日本語ができなかったから、という気持ちがあるからです。実際、日本語力が上達して、個人情報開示で請求した入管の調査報告書を読むと、彼らが事実を捏造していたことがわかります。だから、自分と同じような被害者を出さないためにも、まずは入管の間違いを、世の中の人に知ってもらいたいと思っています」
入管による明らかな捏造とは、何を指しているのか。スリランカ大使館が作成した文書と、入管が大使館に聞いて作成した報告書の内容は、まったく違うとダヌカさんは言う。
「スリランカ大使館は、預けたパスポートをもとに私を調査したうえで、私がチャミンダではなくダヌカだと証明する文書を、日付とサイン入りで、入管に送っています。ところが入手した入管側の記録を見ると、まったく違うことが書かれています。
入管は、スリランカ大使館が収容中の私宛に送った手紙も、名前が違うといって受け取らず、手紙は大使館に返送されました。大使館と私のやりとりを止めることは、領事関係に関するウィーン条約第36条にも違反しています。こんなおかしな話はスリランカでも通用しないことです」
名前についての話をするなら、公安委員会の管轄下、日本で交付されているダヌカさんの普通二輪車免許証には、彼の本名が記載されている。
「仮放免許可書などには、偽名と本名が併記されています。運転免許センターの人も、なぜ名前が2つあるのかと疑問に思ったようで、別室に呼ばれました。『日本でも本名と通称、2つ名前があるケースはあるけれど、誕生日が2つあるのはどういうこと?』と担当者に聞かれたので、事情を説明すると、その人はすぐ、入管に連絡を入れたんです。
警察に対しておかしなことは言えないのか、『判断はそちらに任せます』というのが入管の返答でした。それで免許証は、ちゃんと本名で発行してもらうことができました」
入管の一貫性のなさは、こうしたところにも表れている。
本名と偽名を逆に扱うという入管の間違いによって、ダヌカさんは退去強制令書(出国命令)を出されている。だが、ダヌカさんは出国命令を出したその入管によって、出国できない状況に置かれている。
繰り返しになるが、スリランカ大使館はダヌカという名前が本名であることを認めている。偽名を使い続ける入管が本名を認め、退去強制令書の名前が書き換えられなければ、ダヌカさんは出国することもできない。仮放免という立場が続く限り、働くことも、保険に入ることもできず、文字通り、身動きを取ることができない。
「2017年7月に再収容されて、2019年12月末に施設を出るまで、私は7回、仮放免を申請しました。仮放免を申請して不許可になった人のところには、出国審査部門の人が話しに来ます。でも、彼は私にだけは『あなたには帰国しなさいと言えないけれど』と言っていました。
そして、『どうして名前を書き直さないのか、自分たちにとっても疑問だけど、上の人があなたを送還したいと思ったら、名前を変えるだろうから、それまで待つしかないよ』と言われました」
ダヌカさんとAさんは、先が見えない状況にいる。
「ゴールが見えれば、がんばることもできるけれど、それがないのは精神的にきついことです。ずっと婚姻届けを出せないのも、名前のことが解決しないからです。役所に書類を提出しても受理されるかどうか。法務省から入管に連絡がいって、手続きが止められてしまうのではないかという不安があります」と2人は言う。
若いときからビジョンを持って生きていたダヌカさんは、事件に巻き込まれるまで、自分で働いて、収入を得てきた。
「だけど、今は人に与えられるもので生きているだけです。それは、言葉にできないくらい、自分にとってつらいことです。移動の自由を奪われ、食べたいものも食べられず、具合が悪くても10割負担の医療費を考えると、病院に行くのも我慢するしかない。そんな状況をつくったのは入管です。なぜ自分がここまで苦しまないといけないのか。そう思うと、居ても立っても居られなくなります」
自分たちの間違いを11年間、正そうとせず、1人の人間とその人のパートナーを身動きの取れない状態に放置し続ける。そんな権利は入管にも、誰にもない。
品川や牛久で、地道な面会活動を続ける支援者たちが言うように、入管による収容者や仮放免者への厳しい処遇は今も改善されてはいない。