2021年11月17日 11:31 弁護士ドットコム
現在、日本では約289万人の外国人が暮らしているが、在日外国人の中でもアフリカ出身者は約1万6000人と、決して多くはない。
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在留資格統計(2018年6月末)によれば、日本に在留するアフリカ人は1万6304人。ナイジェリア、ガーナ、エジプトがベスト3位で、その多くが首都圏で暮らしているという。
アフリカ出身の人たちは、日本で暮らす中で、どんなことを感じているのだろうか。日本在住のアフリカ人たちを取材した。記事の第一弾は、カメルーン出身の三味線奏者として日本で活動する、ワッシー・ビンセントさんに話を聞いた。(ジャーナリスト・肥沼和之)
ワッシーさんは25年以上日本に暮らし、日本人の婚約者もおり、日本語も問題なく話せる。
音楽一家に生まれたワッシーさんは、小さいころからドラムとパーカッションを始め、10代で国立オーケストラに参加。国賓がカメルーンに来たときに演奏でもてなしたり、国外での演奏会に参加したりと、音楽家として華々しいキャリアを築いていく。
30歳のとき、演奏のために初来日。知り合いの家にホームステイしていたところ、聞いたことのない楽器の音が聞こえてきた。その家のおじいさんが弾く三味線だった。
「すごく音色が美しいと感じました。長く音楽をしてきたけれど、あの音は初めて聞きました。おじいさんにそう伝えると、三味線を本気で勉強したいなら先生を紹介する、と言われ、チャレンジすることにしたのです」
それからワッシーさんの修業生活が始まった。
三味線の扱いから、演奏中は正座をしないといけないことなど、最初は苦労ばかりだった。特に難しかったのは、悲しい音色を奏でること。美空ひばりの『悲しい酒』という曲を練習したが、師匠からは「全然悲しくない」とダメ出しされた。そこで、歌詞の意味を理解するために、日本語を猛勉強した。
ワッシーさんにとっての日本語学校は居酒屋だった。ほかのお客さんと話すうちに、自然と日本語が上達していった。ちなみに好きな言葉は、お酒をオーダーする時に使う「濃いめ」なのだそう。
三味線の腕も上達し、アフリカ人として初めて「名取」(いわゆる名人)を取得。現在は日本の民謡だけでなく、ブルースやラテンやアフリカンなど、さまざまな音楽を取り入れて、新しい音楽を追究している。
そんなワッシーさんは、日本で活動をするうえで、苦労した経験はほぼないという。出会った日本人も信頼できる人ばかりで、たくさんの方に応援してもらい、理想に近い形で音楽活動ができている。
ただ、音楽活動やキャリアを守るために、メディアとの関わり方には注意を払ってきた。こういったメディアはごく一部だと前置きしたうえで、ワッシーさんは話す。
「三味線を弾いているアフリカ人が物珍しいからか、前にテレビのバラエティ番組に出てほしいと言われたのですが、音楽とは関係ない内容だったのでお断りしました。出演すると、一時的に注目されて、仕事や収入は増えるかもしれません。
けれど『面白い人』『珍しい人』といった取り上げ方をされると、音楽活動にも悪い影響が出てしまうので、気を付けています」
だからこそ、縛りも制限もなく活動できるよう、事務所に所属せず、音楽家としての立ち位置を大事にしているワッシーさん。ミュージシャンとして成長していることも自覚でき、根強いファンや支援者もたくさんついた。
「一部のメディアの求めに応じて、タレント活動に走っていたら、今の自分はなかったでしょう。たくさんは稼げていないけれど、自分で決めた道だから幸せです」と笑顔を浮かべた。