2021年11月13日 09:01 弁護士ドットコム
この秋、都内の公民館で、ある劇団の稽古が始まっていた。若手俳優らの活気ある現場に姿を現したのは、馬奈木厳太郎弁護士だ。
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馬奈木弁護士は、ミニシアター「アップリンク」をめぐるパワハラ訴訟で、元従業員側の代理人をつとめたことで知られる。また、自身もドキュメンタリー映画の制作を手がけるなど、演劇や映画の文化を支えている。
この日は、劇団のメンバーたちに向けて、「ハラスメント講習」をするためにやってきた。
通常の企業とは異なる演劇の現場で、どのようなハラスメントがあるのか、加害者にも被害者にもならないためにはどうしたらよいのか――。稽古が本格化する前に俳優やスタッフに伝えていく。
いま、演劇や映画、芸能界でのハラスメントをなくそうという大きな動きがある。その中心人物となっている一人が、馬奈木弁護士だ。現場で、どのような取り組みをしているのだろうか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
「演劇の場合は、演出する人と受ける人など、フラットな関係ではないところにハラスメントが起きることがあります。また、役者さん同士であっても、いじめが起きたりします」
馬奈木弁護士の話に真剣に耳を傾けているのは、11月に都内で公演をおこなう劇団「TremendousCircus」(トレメンドスサーカス)のメンバー。この日の講習では、馬奈木弁護士は一般的なケースの説明にとどまらず、演劇空間で起こるハラスメントの特殊性にもふれた。
「演出家と役者の関係は、企業における上司と部下の関係とは異なり、労使関係にはありません。ただし、演出家と役者の関係には権力性があり、演出家が優越的地位に立つことが一般的です。
もちろん、業務上の指示と演出上の指導は同一ではありませんが、優越的地位に基づく指導であることが留意される必要があり、暴力的な言動や人格を否定するような言動や、執拗な指導はハラスメントに該当する可能性があります」
こうしたハラスメントを防止するにはどうしたらよいのか。馬奈木弁護士は「現場における相談窓口の設置」や「ハラスメントがあった場合の対処方針の作成」「稽古期間中のメンバーによる振り返り」などを挙げ、メンバーからの質問にも丁寧に答えていた。
演劇の世界をよく知る馬奈木弁護士ならではの講習だった。
演劇界でハラスメントの問題が注視されるようになったのは、「TremendousCircus」の団長をつとめる知乃さんの告発だった。知乃さんは2017年、高校時代に演出家の男性から受けたとして、セクハラを告発し、演劇界の #metoo 運動の先駆けとなった。
その際に知乃さんの代理人をつとめたのが、馬奈木弁護士である。現在は、知乃さんらがハラスメント撲滅のために立ち上げた団体「演劇・映画・芸能界のセクハラ・パワハラをなくす会」の顧問もつとめる。「なくす会」の窓口には、現在までに100件を超える相談が寄せられている。
また、映画の配給やミニシアターの運営をおこなっているアップリンクで、元従業員5人が取締役社長のパワハラを告発した事件は記憶に新しいが、元従業員側の代理人も、馬奈木弁護士だった。
知乃さんのケースも、アップリンクの元従業員たちのケースも、和解となっているが、「ハラスメントは起きないのが一番」と馬奈木弁護士は強く言う。
「訴えました、和解しました、判決で勝ちましたと、メディアでは報じられて終わりになりますが、被害者はその後も人生が続きます。たしかに、法的な解決は一つの区切りになりますが、被害者の気持ちが晴れるわけではありません。それでも、業界が変わってほしいという思いでみんなやっています」
業界を変える。そのために弁護士ができることとして、馬奈木弁護士は、冒頭のように、劇団や、ミニシアターの関係者団体であるコミュニティシネマセンターで講習をおこなっている。地道な作業かもしれないが、大事なことだという。
「だいたいメディアで注目されるのは、裁判がはじまりますよとか、そういう段階です。実際、弁護士が関わるのも、なにか事件が起きてからです。もちろん、弁護士の仕事として依頼を受けますが、また別の事件が起きて、新たな被害者が生まれる。
でも、ハラスメントを再び起こさないために、弁護士はもっと予防に力を入れたほうがいいと思っています。弁護士には持てるスキルや知識があり、それを有効的に使える場があります」
「企業のような労使関係じゃない関係性の中で起きるハラスメントには、どうしても評価の難しさがあります。ですから、そのあたりの専門性——業界もある程度わかり、ハラスメントについての知識もある——も必要です。
それができる弁護士はまだ数は少ないですが、予防としてどういう行為がハラスメントにあたるのか、どのような解決方法があるのか、といった情報提供は、大事な仕事の一つだろうと思っています」
馬奈木弁護士によると、少しずつ業界も動き出しているという。
歴史のある劇団や、著名な演出家が主宰する劇団でもハラスメント講習がおこなわれるようになった。日本劇作家協会では昨年、ハラスメントの予防・解決に向けた取り組みとして、「セクシャル・ハラスメント事案への対応に関する基本要綱」を策定している。課題はまだ残っているものの、被害申告の手順をまとめ、演劇界全体からハラスメントの一掃を目指している。
また、アップリンクの件では和解条項に従業員との定期的な協議の場を設けることや、社外の識者による第三者委員会の設置も盛り込まれた。ミニシアター関係者向けの講習も定期的に開催され、労働環境やハラスメントに対する意識も変わりつつある。
「来月もまた数件のハラスメント講習があります。僕は現場の人たちと関わり、現場で続けることが自分の役割だと思っています。それで業界が変わっていければいいんじゃないかな」
【馬奈木厳太郎弁護士の略歴】
福岡県出身。大学専任講師(憲法学)を経て弁護士に。 「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟弁護団で事務局長、福島県広野町の高野病院、大槌町旧役場庁舎解体差止住民訴訟などの代理人を務める。演劇界や映画界の #Me Too やパワハラ問題にも取り組み、ハラスメント予防のための講習もおこなっている。弁護士として活動する一方、ドキュメンタリー映画にも関わっている。『大地を受け継ぐ』(2015年)で企画、『誰がために憲法はある』(2019年)で製作、『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』(2020年)で製作協力、『わたしは分断を許さない』(2020年)でプロデューサーをつとめた。