京王線刺傷事件で、電車やホームのドアが開かず、乗客が窓から脱出を余儀なくされたことが議論を呼んでいる。非常時の対応に正解はあるのだろうか。(取材・文=昼間 たかし)
ドアが開かなかった理由
車両内で刺傷事件が起き、火災まで発生しているにもかかわらず、ドアが開かなかった経緯はこうだ。
(1)事件の発生を受けて、乗客が非常通報装置を押した。
(2)通報を受け、車両は国領駅に緊急停止した。
(3)乗客が「非常用ドアコック」を操作したこともあり、車両は最終的に定位置と2メートルずれたところで停止した。
(4)ホームドアと車両ドアの位置がズレているため、ドアを開けると乗客が転落する可能性があった。車掌は危険を考慮して両方のドアを開けなかった。
事件では、刺された男性のほか、煙を吸うなどして16人が病院に搬送された。
幸いにも脱出の際に負傷者は出なかったが、車内で凶行が発生した際に乗務員や乗客がどう対応すべきかについて、あらためて活発に議論がされている。
今回のような事件に巻き込まれたら、とにかく一目散に逃げたくなるだろう。しかし、「非常用ドアコック」を操作して外に出るのが、どんなときでも正解というわけでもないようだ。
過去の教訓「非常用ドアコック」が義務化されたワケ
「鉄道は事故の経験をもとに問題を解消に努力してきました。しかし、それは、ひとつの問題を解消しても次の問題が起こることのくり返しの歴史でもあるんです」
そう話すのは、鉄道を始め日本の近代産業史を研究するTwitterユーザー名「墨東公安委員会」(@bokukoui)氏である。氏によれば、過去の鉄道事故でも非常用ドアコックが被害拡大に一役買った事例はあるという。
車両に非常用ドアコックの設置が義務づけられ、周知が広がったのは、1951年に神奈川県横浜市の東海道本線支線(現在の京浜東北線及び根岸線の一部)で発生した桜木町事故以降だ。
事件は、工事ミスで垂れ下がっていた架線に電車が接触しショートしたことで火災が発生、使用されていた車両が窓から脱出が困難な構造だったことに加えて、設置されていた非常用ドアコックの位置がわからなかったため、脱出できずに106名が焼死する惨事になった。
これ以降、非常用ドアコックは設置が義務化され、乗客がわかりやすい車内表示がされるようになった。
160人が亡くなった「三河島事故」の悲劇
一方、1962年に東京都荒川区で発生した三河島事故では、非常用ドアコックを使って車外に出た乗客160人が、別の列車に轢かれて死亡するという大惨事が起きた。
事故のきっかけは、脱線した貨物列車に旅客列車が衝突したこと。実はこの時点では、軽傷者が出ただけだった。ところが、乗客たちが非常用ドアコックを使って車外に脱出し、近くの三河島駅へと線路上を歩いていたところ、事故を把握せずに進行していた別の列車に次々と轢かれてしまったのだ。
「事故対応に正解はありません。例えば1972年には、北陸本線で走行中の急行列車で火災が発生し、多数が死傷する北陸トンネル火災事故が起こっています。『走行中に火災が発生した場合には直ちに停車する』という運航規程に従ったところ、トンネル内で停車したため被害が拡大したものです。列車が燃えたらすぐに停車するほうが利にかなっていたはずなのですが、この事故ではそうはなりませんでした。以降、運転規定も改定されています」(同氏)
こうして、いくつか概要をみただけでも、いくら安全対策を施しても「想定外」が起きてきたことがわかる。
「今回の事件ではホームドアの問題点も明らかになっています。車内で凶行が起こるよりは、酔っ払いがホームから転落する可能性のほうが高いわけですから、ホームドアの有効性は明らかでしょう。ただ、今回、ホームドアの車両側に非常用スイッチが設置されていることが知られていないことや、車両の停止位置がずれていた場合には脱出が困難になることが明らかになりました。もちろん設計者は非常事態を考えて設計しているはずですが、それを越える事態が起こってしまったわけです。この事件を教訓に、また新たな対策が行われることになるでしょう」(同氏)
万全の対策をしたつもりでも、常にそれを越える事態が起きてきた。それが公共交通機関の歴史だ。今回の事件をもとに、また新たな対策が行われていくことになるのだろう。