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『範馬刃牙』読者を唖然とさせた「エア味噌汁」は必然だった? 名シーンが生まれた背景を考察

2021年11月10日 10:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『範馬刃牙(37)』

※ 本稿には『範馬刃牙』の内容について触れている箇所がございます。未読の方はご注意ください。


 先日Netflixでもアニメの配信が始まった「グラップラー刃牙」(板垣恵介/秋田書店)シリーズの第3弾『範馬刃牙』。今作でついに、刃牙にとって実の父親であり、地上最強の生物と誰もが認める範馬勇次郎との戦いが描かれたわけだが、その結末は当時、リアルタイムで読んでいた読者を唖然とさせた。


 そう、エア味噌汁(※壮絶な戦いのあと、お互いに想像上の食卓を囲み、勇次郎が刃牙に振る舞った想像上の味噌汁のこと)である。


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■江珠の最後


 なぜ、物語のクライマックスが「親子喧嘩」になり、決着が味噌汁になったのか。そこには一人の女性が大きな影響を及ぼしている。そう、刃牙の母親であり、範馬勇次郎が自ら手にかけた妻、朱沢江珠である。この江珠に対する勇次郎、刃牙それぞれの思いを理解することで、この“史上最大の親子喧嘩”が発生した必然性を明らかにしていこう。


 まず刃牙だが、彼にとって江珠は最愛の母親である。刃牙もふつうであれば当然受けられるであろう愛情を求めていたが、江珠にとっては勇次郎を繋ぎとめておくための道具にすぎない、という側面があった。


 母の視線、気持ちを自分に向けたい刃牙は、母親の期待に応えることが唯一自分に愛情を向けてもらえる手段であり、そのために強さを求めていた。やがて勇次郎との一騎打ちの機会を得たが、その時点での実力の差はいかんともしがたく、父親である勇次郎にとどめを刺されるまさにその瞬間、江珠が間に入って刃牙を守るために、子供を守るために勇次郎と相対した。その結果江珠は勇次郎によって命を絶たれるわけだが、そのほんのわずかなひととき、確かに刃牙は自分が求め続けたものを手に入れ、またそれを二度と手にすることが叶わなくなったのだ。


 そして江珠の「勇次郎を満足させるレベルに刃牙を強くする」という思いは、刃牙の中で母親を奪った敵でもある、地上最強の生物・、範馬勇次郎を超えるという呪いとなり、地上最強を求める修羅の道へと誘っていくのであった。


 しかし数々の強敵との戦いや梢江との交際を経て、成長した刃牙の中でいつしか大きな気持ちの変化が訪れる。少年から青年になっていった子供にふつうに沸き起こる感情。父親を超えたいという本能。ただそれだけのことで、地上最強を求めていたわけではなかったということに気づいたのだ。そして範馬勇次郎は江珠がいないいま、血を分けた唯一の肉親(腹違いの兄弟はいるが)であり、その勇次郎に父親としての愛情を求め始めるのである。


 肉親だから些細なことでも揉め事になる。親がちょっとしたことで子供を押さえつける。子供に痛いところをつかれた親が逆上する。もう江珠とはすることができない、親子としてのありふれた触れ合いを勇次郎に求めたのだ、親の義務として。


 そして勇次郎だが、ここでまず考えなければいけないことは、なぜ勇次郎はあのとき江珠を手にかけたかということである。


 勇次郎は実は女性としての江珠を本気で愛していたのではないかという仮説を立ててみる。最初に出会ったとき、勇次郎は仰々しい理由をつけて江珠にアプローチしていたが、要は単に一目惚れだったのだろう。そして勇次郎の信念=自分の我儘を貫き通す力でむりやり新婚の江珠を略奪、以後は江珠に自分を完璧に惚れさせて、自分の意のままにコントロールできる存在にした……はずであった。


■消すことのできない思い


 だがあの瞬間、刃牙を守るために自らの眼前に立ちはだかり、立ち向かってきた江珠の姿を見て、勇次郎はあることを悟った。そう、江珠は母親になり、自分に向けていた愛情の全てが刃牙に一瞬で移ってしまったことを。母親としての愛情と本能に突き動かされる江珠の存在は、勇次郎にとってはもはやコントロールできない、自分の我儘を押し通すことができないものになってしまったのだ。


 このとき勇次郎が感じたのは息子である刃牙への嫉妬心であり、自分のアイデンティを揺るがす、自分の強さを否定する存在になってしまった江珠をどうやっても認めることができないという、高い自尊心ゆえの怒りであった。もはや江珠の存在を消さないことには、これらの感情を否定することもできないという状況に一瞬にして追い込まれた勇次郎があのような手段に出たのは、彼の唯我独尊的な行動理念からするともむしろ必然だと言えよう。勇次郎はあの瞬間負けていたのである、命を賭して息子を守ろうとする母親の愛に。


 そのことを決して認めたくない勇次郎だが、刃牙を、その中に残る江珠の面影を見ているとどうやっても消すことのできない思いがあったに違いない。


 だから刃牙から親子喧嘩だと言われた際にそれを素直に受け入れたし、刃牙が求める家族の団欒、親子としてのふれあいに興じたのも、本当に知られたくない江珠に対しての思いを隠すためだったのではないだろうか? 


 それに理屈ではなく感覚的に気づいていたからこそ刃牙は、あえて勇次郎に江珠の話を振ったのだろう。それが勇次郎の触れられたくない、怒りのトリガーとなる決定的なファクターだと気づいていたから。結果、刃牙の思惑通りに地上最大の親子喧嘩は始まり、そして刃牙が望んだ家族としての姿、もしかしたら江珠も望んでいたかもしれないその姿、刃牙とその奥底にある江珠の思いに負けて、刃牙の我儘を受け入れ、エア味噌汁を作った。そして、その味がしょっぱかったことを誤魔化すことすら許されなかった。


 そう考えるとあの結末はやはり必然であり、範馬一家3人の壮大なドラマのクライマックスに相応しい、(それが一般的に考えてどれほど歪んだものであっても)愛に満ちたエンディングであったと言えるのではないだろうか。