2021年11月09日 11:01 弁護士ドットコム
韓国人であることを理由に、上司からレイシャルハラスメント(国籍や人種にまつわる差別的言動や取り扱い)を受けたので、経営陣にうったえたところ、解雇されてしまった――。
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モルガン・スタンレーMUFG証券に14年間つとめていた40代男性がそのように主張して、2021年3月、解雇の撤回などを求めてモルガン・スタンレーMUFG証券と統括するモルガン・スタンレー・グループ株式会社を東京地裁に提訴した。
同社はグループをあげてダイバーシティ&インクルージョンを全面に押し出している。なぜ、こんな事態になってしまったのか。(ライター・碓氷連太郎)
「僕は自分の仕事を誇らしく思っていたし、自慢の会社でした。会社は、ダイバーシティ&インクルージョンについて、『組織の中で多様性を高め、誰もが個人として尊重され、一人ひとりの違いを活かし、力を発揮できる環境づくりに取り組んでいます』とうたっているので、声をあげれば正しいことをしてくれると思っていたんですが違っていました。とてもショックが大きいです」
そう語る男性(以下、Aさん)は、1999年から2002年まで日本の大学院で学んだ。兵役のために韓国に戻り、除隊後は、日本の証券会社の香港支社に就職し、韓国の投資家に対して債券の営業をしたが、日本関連の仕事がしたいと思うようになり、2007年に再来日した。
日本の証券会社に5カ月間勤務したあと、モルガン・スタンレーMUFG証券に転職した。
入社後は、証券化チームに配属されたが、2008年にリーマンショックが起きたことで、チームは解体され、債券デリバティブ部門全員が退社したことから、債券デリバティブ部門に移動し責任者となった。債券デリバティブを担当するのは初めてだったが、仕事はやりがいに満ち、充実していたという。
そんなAさんは2012年夏、上司に疑問を抱くような出来事が起きた。
2012年8月10日、韓国の李明博大統領(当時)が竹島に上陸し、その4日後に「韓国に来るなら日王(天皇のこと)は独立運動家に謝るべきだ」と発言した。
李大統領の発言が報じられた時、チームのトップで、取締役のB氏が、Aさんのデスクに来て「天皇を侮辱するな!」と興奮した声で言った。
「なぜ韓国の大統領の発言について僕にそんなことを言うのかと、不快感を感じ戸惑いました。でも上司なので、このときはスルーしてしまいました」
2013年からB氏はAさんの直属の上司となったが、1年後の2014年に再び、Aさんにとって忘れられないことが起きた。
この年の2月9日におこなわれた東京都知事選挙について、B氏は再びAさんのもとに来て、「残念ながらすべての韓国人があなたみたいではない。田母神氏じゃなかったら、どのように東京を中国人と韓国人から守ることができるんだ」と発言した。
立候補者のひとりだった田母神俊雄氏は、航空自衛隊の幕僚長だった2008年、自身の論文で「旧日本軍の朝鮮半島や中国大陸への進軍は侵略戦争ではない、朝鮮半島を含むアジア諸国は旧日本軍によって圧政から解放され、生活水準が向上した」などと主張したことが問題視されて、職を解かれている。
「僕に対して、『あなたは良い韓国人だ』と言いたかったのかもしれません。でも自分の民族をけなしながらそんなことを言われても全然うれしくないし、業務に関係ない韓国人と中国人に対する偏見をどうして韓国人である僕にわざわざ言うのか不快感を感じました」
それでもAさんは、収益性の高い取引を成功させるなどの功績が認められ、2011年にエグゼクティブ・ディレクターに昇進していたことや、私生活では子どもが生まれていたことなどから、業務に打ち込む日々を送っていた。
ところが、2016年ごろ、さらに理解できないことが起きたという。
「B氏から『マネージング・ディレクター(MD)に昇進するには、今の倍は収益をもたらさないと』と言われたんです。このときは『じゃあトライするしかない』と思いました。すると、私が7年間責任者でいた債券デリバティブ部門に、別の部署から、私より上席に当たるMDのCさんが異動してきました。B氏は当初『彼は1年間実績があがらなかったら、元の部署に戻る』と言っていたのですが、Cさんはその後4年間ほぼ収益を上げることがなく、僕はその数十倍の収益を上げていました。
それなのに、B氏は2017年、『Cさん(ポスト)はもう1年延長された』と言い、2018年には、「あなたがもっと稼ぐと彼は帰る」といいました。なぜ僕には倍の売り上げを求め、実績のほぼないCさんは、僕がもっと稼がないとMDとして居続けるのか理解できませんでした。モルガン・スタンレーグループは人事にはシビアな会社です。なのに、なぜB氏の当初の説明と異なりCさんが上席に居続けるのか。私のみならず、同僚たちも本当に理解ができませんでした」
その後も、B氏はAさんの席まで来て、徴用工問題に対する文在寅政権への不満をぶつけたり、韓国海軍が自衛隊の哨戒機に対してレーダーを照射したとして日本政府が抗議した際に「レーダー照射、どうにかしてくれ。あなたの先輩だろ」と言うなどしていた。
当時Aさんは、社外の友人にLINEで「上司がレーダー照射、どうにかしてくれと私に話しました。あなたの先輩だろうと。私は空軍出身で、あれは海軍だと適当にかわしました」「何か起きるごとに、私に不満をいうんですが。右翼だから。アメリカの会社でこれは許されるんでしょうか。私はボーナス減るんでしょうか。文在寅のせいで」「僕にどうしてほしいんだ。文在寅のせいで僕は永遠に昇進できない」などのメッセージを送っている。
また、2020年1月、AさんはCさんへの疑問を再度B氏に訴えたところ、「なぜ彼を嫌うのか。いい人じゃないか」と言われたそうだ。
「Cさんが来た2年後の2018年ごろから睡眠障害になり、2020年2月には産業医に相談するようになりました。3月になると組織変更とと、僕の部署に新たにもう1人が来ることを聞かされました。Cさんが元の部署に帰ることはないと確信しました。
これ以上のハラスメントと不合理な説明に耐えられなくなり会社にB氏の僕へのレイシャルハラスメントと、Cさんが4年も上席にいる理由に、僕への差別はないのかということの調査を依頼しようと思いました。
なぜこういうことが起きたのかの説明があれば、これ以上苦しまずに済むと思ったからです」
2020年3月、Aさんは人事部にB氏の発言がハラスメントであり、差別である旨を申告した。人事部において調査チームが結成されたが、その際、Aさんは調査がおこなわれていることと、調査結果を社内外に話すことを禁止する「秘密保持契約書」に署名するよう求められた。契約書には「調査期間中の秘密について」と書いてあった。
4月に調査チームは、B氏の発言内容のほとんどを認めたが、「『天皇を侮辱するな』は強制的で攻撃的であったものの、アン・プロフェッショナル(専門外)であり、ハラスメントには当たらない」とし、それ以外の発言は強制的で攻撃的でなかったとして「ハラスメントではない」と回答した。そして、調査内容を社内、社外の誰にも話してはならないとの業務命令を下したという。
抗議したが、受け入れられなかったAさんは、5月に「重度ストレス障害」と診断され、2カ月間休職した。
休職中のAさんは、ある手段をとった。
「アメリカでBLM運動(人種差別の撤廃を訴える運動)が盛り上がっていることを受け、米国本社CEOが社員に向けて、『モルガン・スタンレーグループは一切の差別やハラスメントを許さない』というメッセージを送信したんです。それを見て僕は、CEOあてに自分の身に起きたことをうったえるメールを送りました」
送信2時間後、インターナショナル人事責任者から再調査するという返信があったが、2日後に「結果は変わらない」と言われた。Aさんはさらにグローバルダイバーシティ責任者や、もう1人の直属上司への相談を希望したが、いずれも会社から許されなかった。
これらの経緯を同僚の1人に相談したところ、その翌日、人事部から「名誉毀損で訴えられる可能性がある。社内外、いかなる人間にも今回の件についての相談を禁じる」と念を押された。
それでもモルガン・スタンレーMUFG証券の代表を含む3人にメールで相談を試みると、退社を前提とした解決金の支払いを提示されたという。同時に、今回の件について、人事部以外に連絡しないという内容を誓約するまで、無期限の自宅待機命令を受けた。
「このころはコロナ禍でテレワークが続いていましたが、人事は僕が自宅待機命令を受けたことを同僚に話すことを許さなかったので、同僚は数日間私を探していました。『口外しないという書面にサインしなかったことは、これが合法になったら、ハラスメントを受けた側の口をつぐませることが、これからも続くかもしれない。
だから、僕は署名を拒否して、『自宅待機命令や、解雇を背景とした威圧的な対応はハラスメントではないか』と再度本社の経営陣にメールを送りました。すると、会社は就業規則違反による『けん責処分』を言い渡してきました」
Aさんは2020年9月、懲戒処分無効を確認する訴訟を提起すると、会社に連絡した。12月に同社は訴訟を阻止できるか探るために、Aさんに訴訟代理人の連絡先を求めたが、Aさんは拒否した。
すると2021年1月、Aさんが調査結果を受け入れず経営陣にメールをしたこと、けん責処分を受け入れず書面にサインしなかったことなどが就業規則違反に該当するとして、Aさんを2月28日付で解雇すると予告通知してきた。また2020年度の賞与も、支給しないことも伝えられた。一方で解雇予告通知書には、「今からでも署名すれば解雇は撤回する」と書いてあった。
「解雇されると思っていなかったので、この日は家で泣きました。会社がダイバーシティを強調するのはイメージアップに必要だからで、人事部は社員の人権ではなく、会社と役員を守るために存在していると思い知りました。
でも直属の上司で取締役から、自分の国への文句を言われることは、レイシャルハラスメントだと認めさせたいし、不当な扱いを誰にも話してはいけないという業務命令は、違法だと示したいです。しかも、B氏はモルガン・スタンレーMUFG証券のダイバーシティ&インクルージョン委員の一人です。署名はしませんでした」
Aさんによると、同社は就業規則において、「社員は、敬意と品位が尊重される職場環境の維持に協力しなければならない。また、社員は、業務と関係するあらゆる状況下において(モルガン・スタンレーグループにおける雇用に基づいて知り合いになった個人と職場外で接触する場合を含む)ハラスメントをおこなってはならない」と定めている。
「相手の意に反する言動で、個人に不快感を生じさせ、他者の権利を尊重せず、あるいは当該言動が他者に与える影響を理解せずにおこなわれたもの」
「攻撃的な言動、威圧的な言動、悪意に基づいた言動、侮辱的な言動や相手にとって屈辱的な言動、または権限の濫用で、個人や特定の集団を傷つけ、または不快感やストレスを生じさせ、または就業環境を害しうるもの」
はハラスメントに該当し、「差別、ハラスメントおよび報復行為は、当社のポリシーに反する行為であり、法令にも違反する可能性があります。当社は、このような行為を禁止しており、一切容認していません」と宣言しているという。
AさんへのB氏の発言は国籍を理由に「敵意や嫌悪の情を示すもの」であり、この「差別及びハラスメント禁止に関するポリシー」の禁止対象行為であると主張している。
一方、被告側は「AさんとB氏の関係は良好」「B氏の発言はハラスメントとは言えない」「昇進したい。できなければ高額の退職金を受け取りたいから、8年も前の発言を取り上げて『ハラスメントで、昇進できなかったのは差別だ』と申し立てている」などと主張し、けん責処分と解雇は有効だと反論している。
しかし、Aさんは、お金のために裁判を起こしたのではないと断言する。
「今は収入がないので、子どもたちを私立から公立の学校に転校させました。書面にサインして、会社が示した解決金を受け取って転職していれば、これからも生活はできます。裁判をしても僕には金銭的なメリットはありません。
だから、会社はそれを見越して『正義を貫いて損するわけがない』と思ったのでしょう。でも、僕と家族が受けた傷は浅くないし、ダイバーシティ&インクルージョンをうたっていながら、差別に声をあげた社員を解雇する姿勢が許せなかった」
なお、事実関係についてモルガン・スタンレーMUFG証券とモルガン・スタンレー・グループ株式会社に問い合わせたが、期日までに回答は得られなかった。裁判は進行中で、11月に第4回口頭弁論が予定されている。