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【11/8~11/14の運勢】11月1週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2021年11月08日 13:01  isuta

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isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡

1ヶ月ごとの運勢グラフ 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

自然なボケ・ツッコミ

今週のおひつじ座は、「コの字型」カウンターの大衆酒場でひとり吞みをしつつ、ほどよい共同体意識に浸っていくような星回り。

一口に大衆酒場と言っても、さまざまな形や規模のカウンターが見られます。日本の居酒屋文化に詳しいマイク・モラスキーによれば「コの字」という形は比率では一番多くなくとも、最も客同士の共同体意識を生み出す形ではあるのだそうです。

まっすぐなカウンターの場合、両隣以外の客くらいしか意識することはなく、顔も見えにくく、すぐ近くに座っていてもしばらく飲んでいれば、次第に自分ひとりの空間に没入していくような感じさえ覚える。対して、「コの字」だと、誰もがほかの客の顔を見ることができますし、また常に見られてもいるから、カウンターは自然と「みんなの場」になっていきやすいのだと。

タイミングを見計らって気配りさえすれば、他人の会話に入っていくことが最も自然に許されるのが「コの字」型カウンターの最大の特徴であり、寛容な雰囲気の中で、ほどよい秩序が自然に保たれるのがその魅力という訳です。あなたもまた、自然とそうしたほどよい繋がりを感じさせてくれるような距離感を取り戻していこうとするはずです。

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illustration by ニシイズミユカ

走馬燈の疑似体験

今週のおうし座は、何事であれ内にあるものを見せつけられていくような星回り。

「霧黄(き)なる市(まち)に動くや影法師」は、作者の夏目漱石が留学先のロンドンで詠んだ句。前書きには「倫敦(ロンドン)にて子規の訃を聞きて」とあります。

言うまでもなくロンドンは霧の街ですが、「霧黄なる」とはおそらく濃霧の中にぼんやりと浮かび上がる街灯のことでしょう。異国の地で日本人であることや、日本語でなにかを書くということに否が応でも向き合わざるを得なくなり、神経衰弱に苦しんでいた作者が、その果てに目の当たりしたのが掲句の描かれた光景だったのかも知れません。

おそらく「影法師」とは必ずしも盟友であった子規の面影に重なるものではなく、故国からの友の訃報を機に、夜霧に映し出された作者の内なる不安や想像が投影され、茫洋としたロンドンの街は一種不可思議な幻想空間となっていたのであり、そこで作者はありったけの投影を吐き出し切ってから、帰国の途についたのではないでしょうか。あなたも吐き出した夢を通して、かえって自分なりの現(うつつ)と向き合っていくことになりそうです。

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illustration by ニシイズミユカ

直観と指さし確認

今週のふたご座は、衣服の胸のボタンを外して、左右に大きく開いていくような星回り。

よく美術や絵画の作品解説などを読んではじめて感動したという人がいるけれど、それは感動ではなく単に知識の理解で「わかった」に過ぎない。作品につきあう瞬間に私たちが働かせているのは直観であり、ストレートに意識の中核をうつ、言葉を超えた力に感応していくとき、そこで何かが決定的に変わってしまったりする。

そうした芸術作品の純粋鑑賞にとって、作品に描かれたシンボルや記号の意味を解説したりされたりすることは時に邪魔になることがある。意味など分からなくたって、作品のもつパワーやエネルギーは感じ取られるのであって、そこでは「何が描かれているのか」は大して重要ではない。

私たちが作品や人物をすぐに論じたり、説明したり、評価しようとしてしまうのは、もしかしたら誰か何かを「開かれた心でただ受け入れる」ことが下手になってしまったからなのかもしれない。あなたもまた、これはという人やモノがあったなら、できるだけその無意識な情報が語りかけてくるままにしていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

懺悔とトーテム

今週のかに座は、そういえばと「思い当る節」が、不意に提示されていくような星回り。

「わが死後に無花果を食ふ男ゐて」(下村槐太)を一読して、「わが死後に」というのは「自分が死んだあとのこの世に」、という意味なのかと思っていたら、どうも「死後」というのは「死後の世界に」という意味であるらしい。そうすると、悪魔か何かから自分の死後を見せられているようで、じつに変な句である。

「無花果を食ふ男」とは、あの世での自分の暮らしぶりを捉えた一光景なのか。それとも、新たに生まれ変わった自分の姿なのか。「無花果」は古来より女性の性的なシンボルとされ、ルネサンス期には禁断の果実として多くの絵画作品や天井画に描かれてきた。死後に自分がタブーを破っている(かもしれない)という観念は、すでにどこかでタブーを破ってしまっているか、少なくともその兆しがある、という観念に非常に近い。

つまり、ある種の告白や懺悔の句とも解釈できるが、56歳で病死するまで生涯にわたって不遇であり清貧に甘んじる生活であった作者の人生を踏まえると、妙に余韻が残る句へと変貌する。あなたも、自覚していなかった他者への影響や関与について気付かされていくことが出てくるかも知れない。

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illustration by ニシイズミユカ

失礼ですが、どなたですか?

今週のしし座は、「トワイライト・シーン」に、いっとき自分をあずけていくような星回り。

ほんとうに劇的な変化とは、むしろ弱弱しい微妙な変化にこそ潜み、稲垣足穂が『一千一秒物語』で描写した、影がはじけたとか、シガレットの煙が逃げたとか、「ちょっとしたこと」のうちに宿るもの。

松岡正剛はそうした何かが起こりそうな気配がおこる、わずかなトランジットの場面のことを「トワイライト・シーン」と呼び、それを手っ取り早くつくってくれるのが夕方だったのだと指摘した(『フラジャイル』)。

夕暮れどきが「たそがれどき(誰そ彼どき)」と表現されてきたのも、人びとが誰それという指定からも、どこどこという目的のある区域からも離れ、ただ何ものでもないanybodyに溶けだし、「誰ですかあなたは?(who are you?)」と尋ねられねば分からない状態へと自然と変わってしまう刻限だったからで、そこに身をあずけていくとは、そのまま「あちら」と「こちら」を繋げてしまうことをいうのである。あなたも、こうしたおぼつかない「あわい」の感覚にこそ身を添わしていきたいところ。

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illustration by ニシイズミユカ

質素と叡智の深い繋がり

今週のおとめ座は、質素さに立ち返っていこうとするような星回り。

「ストーヴの小(ち)さき煙突小書斎」(高浜虚子)は、作者が76歳のころの作。小ぶりな書斎に、小型のストーブが設えてある。煙突の造作もまた小さい。これは作者自身のことというより、ある種の小説的な材料を取り扱った句なのでしょう。そこでどんな仕事がなされているのか、書斎の主はどんな人で、どんな風に暮らしているのか。すべては読者の想像に委ねられています。

ただ、良寛さんの遺した「行じ難きをよく行じ忍び難きをよく忍ぶ」という言葉のように、質素な生活のなかでどんな不便や窮乏に負けない忍耐力を身につけることこそが真の修行であり、そうした質素さこそが本当の意味での叡智を含んだインスピレーションの源にもなっていくということを、作者はどこかで分かっていたのではないでしょうか。

その意味で、掲句は作者の理想であり、このようにありたいと願った境地をさりげなく示そうとしたのかも知れません。あなたもまた、忘れていけない美学や流儀を大切にしていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

エゴをぬいで、それで?

今週のてんびん座は、自分なりの創意工夫の方向性をつかんでいこうとするような星回り。

料理家の土井善晴さんは「おいしいもの」を人間が作るという考え方を否定し、「おいしさ」とはやって来るものであり、「ご褒美」なのであり、料理する人間とは、素材と料理の媒介に過ぎず、自然に沿いながらそれを整えることしかできないのだと語っています。

つまり、「こんなおいしいものを作ったのは私だ」というのは思い上がりであり、むしろお料理を置いたらそこに人間が残ったらいけないのであり、おいしさや美しさを求めてはいけないのだと。そうではなく、ひたすら淡々と仕事をしていくと、結果的にそこに「おいしさ」や「美しさ」が現れたり、宿ったりしていくのだと言うのです。

あなたもまた、何に関わるにせよ「自分が創る」のだという姿勢とは真逆の、淡々と整え、媒介し、「自分の業をなくす」姿勢を大切にしてみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

夢に浮かんでいるものとしての日常

今週のさそり座は、「見れども飽かず」ということの意味を知っていくような星回り。

「土間にありて臼は王たり夜半(よは)の冬」の作者、西山泊雲の家の庭にはふるい「臼(うす)」があって、長年にわたって少しずつその臼が朽ちていく様を観察してきたのだそう。掲句では冬の夜、土間に置かれた臼がすべてのもののうちで一番くらいの高い、王者のごとく見えるのだと言うのです。

これなどは、特にずっと臼を見続けてきた作者の心中から、おのずから醸し出てきた感慨であり、と同時にあくまで事実の写生でもあることで、絶妙な味わい深さを打ち出すことに成功している。

そうした、長年にわたって観察してきたものがあるかどうかということが、どうも俳人としての面白さや魅力ということと繋がっているところがあって、これは恐らく俳人に限った話ではなく、すべての表現者に通じていくことであるように思います。あなたもまた、何気なくでも長年まなざしを送り続けてきたものに自分が支えられているのだということを実感できるかも知れません。

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illustration by ニシイズミユカ

的確にかましていくには

今週のいて座は、すっかり硬直している状況や、文脈に風穴をあけていこうとするような星回り。

松尾芭蕉が仲間たちと詠んだ俳諧「冬の日」の出だしは、「狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉」という発句から始まり、それに続いて「狂句こがらし」をテーマに一門が順番に詠んでいったのですが、とにかくこの出だしがカッコいいのです。

「竹斎」とは江戸時代初頭の仮名草子の主人公で、やぶ医者のこと。それで京都で失敗して、東海道を行脚しながら江戸に下ってくるのですが、そのときに各地でしゃれや風刺をきかせた狂歌(短歌)を詠んでいる。いわば芭蕉の先輩にあたるのですが、芭蕉はここでその竹斎に自分を重ねているんですね。

そもそも俳諧というのは、雅な和歌では絶対にしない表現をしていくものですが、芭蕉はここで日本文化の根底にある和歌に風穴をあけやるぜ、という決意表明をしている訳です。もし現代語訳するなら「北風ピューピュー吹いてる中、竹斎みたいにやってきたぜ。旋風を起こしていくからよろしくな!」ってなところではないでしょうか。あなたもまた、厳しい「冬」の時代にあえてかましていく挨拶を考え、そこに自身を賭けてみてはいかがでしょうか。

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illustration by ニシイズミユカ

繋がり直せば、豊かさはそこに

今週のやぎ座は、いつの間にか失っていた心地よい余韻を取り戻していくような星回り。

「女湯もひとりの音の山の秋」(皆吉爽雨)で詠まれているのは、ただ一人温泉の静けさに浸っていると、壁ひとつ隔てた女湯の方でも、こちらと同じくただ一人らしい湯を汲む音や、桶の音がかすかに聞こえる、そんな情景。

そうして浴場内を反響していく音は、作者の脳裏に女体を描かしめただけでなく、また山ちかくの温泉の静けさをも深めたのでしょう。これは「ひとりの音の」の最後の「の」がじつに巧みにきいた効果で、それまでの一人ずつの情景を「山の秋」と並列につなげていくことで、そこにさらに情趣を含ませ、どこか心地よい余韻をのこしえている訳です。しかし、いまの日本社会では日々の生活や人間関係から、こうした心地よい余韻というものを感じることがどんどん少なくなっているように思います。

それは自分優位か相手優位に偏り過ぎてしまっていて、そのあいだに「山の秋」のようなそのときどきに自然にもたらされる偶然や人間以外のことに関するリアリティの余白に、人びとの目が行かなくなってしまっているということと、表裏にあるのでは。あなたも、身の周りに秘かにたたずんでいる偶然や余白にしみじみと浸ってみるといいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

変容への許可

今週のみずがめ座は、自分のすむ世界をもう前の世界ではないものへと変更させていく潜在的な力を解放していくような星回り。

美術史家のメイヤー・シャピロは、ポール・セザンヌの描いた静物が単なる造形的意義を超えた特別な意味を持っているとして、「静物は、人工的にせよ自然なものにせよ、使用、処理、享受の要素として人間に従属する物体からなっている。(略)それらは人間がそれらを作り、利用するとき事物に及ぼす力についての人間の感じ方を伝達する。」(「セザンヌのりんご」)と、言及しています。

つまり、セザンヌにとって林檎などの静物はそれを観察する主体に対してただ受動的に置かれているのではなく、能動的に働きかける力を持っており、実際彼は知り合いの美術家に「林檎一個でパリを驚かせてやりたい」と語っていたのだとか。

世界に林檎が投げ込まれることで、その世界のあり方、社会関係をひっくり返す可能性さえセザンヌは想像したのであり、その念頭にはギリシャ神話のパリスの審判や、そのきっかけとなったエリスが投げ入れた「最も美しい女神へ」と書かれた林檎のことがイメージされていたはず。あなたもまた、現在目の前にある景観が別の景観へと変容するだろう予兆そのものに身をあずけていきたいところです。

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illustration by ニシイズミユカ

大きく終わりを思い描く

今週のうお座は、大きい言葉の代わりに小さく、ささやかな言葉で自身の現状を語っていくような星回り。

かつて、俳句の社会性ということがよく言われた時代がありました。俳句は花鳥風月などの“非現実的”なモチーフに終始するばかりでなく、日本戦後社会の歪みと結びついた“、現実的”なモチーフを取りあげるべきだと言う訳です。しかし、そうした当時の風潮に対し、「冬曇身の行末を機械にもたれ」の作者・細谷源二は、それでは「スローガンや愚痴になったりしてしまう」と指摘した上で、次のように述べていました。

「いかなる場合と言えども文学を政治に従わせることは、あきらかに間違った考えで、政治と文学は同等の位置づけにあって平行線をもって進むべきものである。(中略)はたらく人間の常に追いもとめる美を生活の中からつかみ出し文学に創り上げることで、生活にうるおいを加えるために生活俳句は存在すると言っても過言ではない。」

彼の言うように、詩はもともと純粋な感動や発見から出発しているもので、結論や目的のために詠うものではなく、そこで発見されたものが、たとえ「そこはかとない不安」であったとしても、あくまでそれに繊細に寄り添って、洗練された言葉に置き換えていくのが詩人や俳人の仕事というもの。あなたも、自身の生活の背景にある景色についていつも以上に目を凝らしてみるといいかも知れません。

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