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恋愛のあらゆるはじめてを描く『はじめてのひと』 私たちはいつまでも谷川史子に泣かされ続ける

2021年11月04日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

私たちは谷川史子に泣かされ続ける

 『ココハナ』(集英社)で連載中のマンガ『はじめてのひと』(谷川史子)は、大人になってから体験するさまざまな恋愛の「はじめて」を描いたオムニバスシリーズだ。


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 すべての人が、大人になる過程で、たくさんの「はじめて」を経験してきたはずだ。それでもまだ「はじめて」は突然やってくる。どうしていいか分からず、戸惑い、時には涙する。そんな大人の「飾らない部分」がこまやかに描写されている。本稿では、全6巻のエピソードの中から、いくつか恋愛における「はじめて」の物語を2編紹介したい。


はじめて愛した人は家庭のある人でした

 発売されている単行本6巻の中で、橘与(たちばなくみ)の物語が1番の長編だ。博物館で美術作品の修復士として働く与。あるとき誘われて行ったライブでチェロ奏者の16歳年上の諏訪内と出会う。



「朗らかで、笑った顔がかわいらしくて人懐っこくて、でも時々ちょっと寂しそうで」



 与を「ワンコくん」と呼び、いつも笑顔の諏訪内に、与は次第に惹かれていく。そして、諏訪内も。両想いになり、幸せに浮かれる与だったが、やがて諏訪内には妻と娘がいることを知る。



「家族がいてもいい」「諏訪内さんの人生のついでなんて嫌だ」「犬なら大好きなことも隠さなくていいのに」



 与の心は振り子のように揺れる。それでも、ずっと一緒にいたい。「一生そばにいたいです」。そう与が伝えた瞬間に、諏訪内は「重いよ」と突き放す。もちろん、与の将来を考えてのことだ。が、読者は知っている。いい人そうに見えても、諏訪内がやっていることはいけないことなのだ。与のキラキラした“はじめて”の恋心を丁寧に描きながらも、諏訪内の愚かさも突き付ける。残酷だが、そこにリアリティがあるエピソードだ。


結婚を前にした大人の恋の「はじめて」

 第6巻に登場するのは、39歳の税理士の女性・蒔田と50歳の漫画家の男性・倉間の物語。倉間からエンゲージリングをプレゼントされ、お礼として腕時計を贈ることを考える蒔田。しかし、腕時計を選ぶ段になって倉間からは「いらない」「ほんとうにほしくないんだ。君からはなにも」と言われる。自分と結婚をしたくないのか、とショックを受ける蒔田だったが、実は倉間なりの理由があって……。


 好きだという気持ちは年を重ねても変わらない。ただ、結婚をするとなると少しだけ気持ちは変わってくる。若いときは、2人の時間が永遠のように感じられる。しかし、年を重ねると自分たちの気持ちだけではどうにもならない別れの可能性も考えるようになる。だからと言って、別れがないように誰とも一緒にならなければいい、というのも極端だ。


 恋の“はじめて”は、年齢そのときどきによって違う。初恋じゃなくても、たくさん恋をしたあとにもはじめての恋はまたやってくるのだ。


作品の瑞々しさが心を潤していく

 作品のエピソードは、幸せな結末を迎えるものもあれば、別れを選ぶ物語もある。別れはどうしたって悲しいが、それでも本作が読者の心を温かくするのは、そこに登場人物たちの本音が描かれているからではないだろうか。


 本音を吐露する姿は生々しいが、登場人物が出した結論に、安心している自分がいるのだ。生々しさゆえに共感して、登場人物の心とリンクし、涙してしまう。彼ら、彼女らは私たちではないが、いつかの自分の心と通じるものがある。そして、教えてくれる。間違ってもいい、立ち止まってもいい。自分の心のままに生きていいのだということを。