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後藤護の「マンガとゴシック」第1回:楳図かずおのゴシック・マンガ――「赤んぼう少女」から「まことちゃんハウス」まで

2021年11月02日 13:31  リアルサウンド

リアルサウンド

楳図かずお『かげ〈映像〉~鏡にまつわる怪奇と幻想~』

■ゴシック的筆法の二大スタイル――「恐怖マンガ」と「怪奇マンガ」


 日本のマンガを「ゴシック」という高性能な美学的レンズを通じて見ていく、ありそうでなかった連載のはじまりである。ゴシックが巨視的にみて「ホラー」の範疇に半ば含まれるとするならば、米沢嘉博『戦後怪奇マンガ史』(鉄人文庫)が間違いなくゴシックマンガ研究で最重要の一冊ということになる(これに続く画期的な通史、未だにない!)。


 「怪奇」と大々的にタイトルで謳っているものの、本書に以下のような目の覚める一文があって無視できない――「少女物は恐怖マンガであり、少年物は怪奇マンガであるような気がする」(106ページ)。何気ない一文のようだが、この「恐怖」と「怪奇」の二分類が実は重要で、両者はゴシック文学でいう「テラー」と「ホラー」の分類にほぼ等しいと思われる。


 「テラー」とは心理的不気味さを描くもので、いわば「カーテンの動き」で間接的にゴーストを表現するような知的かつ霊的筆法だ。これは米沢のいう少女的な「恐怖マンガ」に対応するだろう(「テラー」なゴシックの名手にはアン・ラドクリフなど、やはり女性作家が多かった)。一方「ホラー」とは肉体的おぞましさを描破するもので、「死体につまずく」など直接的かつ煽情的な筆法となる。こちらは米沢のいう「少年物」であり、悪の軍団や怪獣が跋扈するような「怪奇マンガ」に対応しそうだ。


 前者の少女趣味に結びついた「恐怖マンガ」では、安易な直接描写を避ける婉曲技法が、高度化するにつれて低俗でキッチュな表現をパージするに至り、最終的に萩尾望都『ポーの一族』に代表される「耽美幻想派」の純血精神と重なり合ってくる。一方で少年趣味に結びついた「怪奇マンガ」はグロテスクと悪趣味とこちらのドギモを抜く綺想を全面に押し出すもので、行くとこまで行くと日野日出志『蔵六の奇病』といったお汁垂れ流し系(?)暗黒見世物マンガのフリークス趣味に至る。


 なお耽美幻想派としての「恐怖マンガ」に関しては、『ポーの一族』の圧倒的インパクトが序文で語られる中野純+大井夏代『少女まんがは吸血鬼でできている』(方丈社、2019年)が、一方悪趣味な「怪奇マンガ」に関しては、日野日出志描く血走り目ん玉ぎょろり坊やが表紙のキクタヒロシ『昭和の怖い漫画 知られざる個性派怪奇マンガの世界』(彩図社、2017年)があり、それぞれの路線を知るうえで参考になる。一読を薦めたい。


 さて、以上のように米沢の言葉を敷衍して便宜上分けてみたが、実は恐怖と怪奇、テラーとホラー、耽美と悪趣味、少女趣味と少年趣味は一人のマンガ家・一つの作品の中でさえ分かちがたく(共依存的に)結びついている場合が多いから、この連載ではその両方を適宜見ていこうと思う。


 それゆえ「恐怖」と「怪奇」の絶妙なバランスを達成し、ゴシックロマンス界で言えば「テラー」と「ホラー」の融合を果たした『放浪者メルモス』の著者C・R・マチューリンに該当すると言ってよい、日本ホラーマンガ界のレジェンド楳図かずおを最初に取り上げるのは至極当然であるように思われる。


関連:米沢嘉博『戦後怪奇マンガ史』(鉄人文庫)などの参考文献


■ゴシック派としての楳図かずお


 事実、「楳図かずおゴシックホラー珠玉作品集」なるシリーズが講談社漫画文庫から五冊ほど刊行されているほどで、楳図をゴシック派に位置付ける試みは既にある。『かげ〈映像〉~鏡にまつわる怪奇と幻想~』など正にといった内容でシリーズ中でも必読の一作だが、ここではそこから漏れた傑作「赤んぼう少女」を敢えて取り上げたい。楳図作品における容赦ない「美」と「醜」の対立描写を考えるうえでこれ以上ないサンプルだからだ。


 施設で育てられた美少女・葉子、彼女の実の両親が判明してその豪邸に引き取られるも、醜い赤ん坊少女タマミが葉子の美に嫉妬した結果あらゆる手を尽くしてイジめにイジめ抜くという筋で、異様なまでに美と醜をシビアに対立させる楳図の筆法は、ヴィクトル・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』などのゴシック派と通じる強烈な明暗対比(キアロスクーロ)がある。卵が先か鶏が先かはさておき、醜い体と醜い心は楳図マンガではほぼ常にワンセットであり、「美」なるものが意識的にせよ無意識にせよ何を切り捨てて「美」たり得るか暴露するような内容になっていて怖い。


■家族の肖像――「不気味なもの」と「家」をめぐって


 また「赤んぼう少女」には古物蒐集趣味をもつ父と狂気の母という設定、(楳図の代名詞的な)巨大洋館趣味、鏡、人形、球体、甲冑、ギロチン、地下室など明らかに通俗ゴシック小説から借り受けたモチーフ群満載で、楳図のゴシック趣味を感じる。この作品にはゴシック小説の常套である「隠された親族関係」も終盤出てくるが(読んでのお楽しみ)、よくよく考えれば「母がじつはヘビ女だった」など楳図作品では、最も怖いのは「家族」であるといったテーマが頻出している。


 例えば『吸血鬼ハンターD』シリーズで知られる作家・菊地秀行はこう述べている。


「この世で最も怖ろしい現象――いままで味方と信じていた人々が、家族が、友人が、隣人が、ふと気がつくと悪鬼に変わっていた――を、この天才は最初から自家薬籠中のものとしていたのだ。」(『文藝別冊 総特集 楳図かずお』、河出書房新社、77ページ)


 ようするに親密(ファミリア)なものがもっとも馴染みのない(アンファミリアな)ものに転ずる恐怖であり、この「アンファミリア」なる形容詞は無論「ファミリー」に由来する。これをドイツ語に言い換えると「ウンハイムリッヒ」で、1919年にジグムント・フロイトが発表した元祖ホラー論文「不気味なもの(ダス・ウンハイムリッヒ)」の原題となる。何やら小難しい語源考になってしまったが、ここに含まれる「ハイム」が重要なのである。ドイツ語で「家」を意味することから、どうも「不気味なもの」とは「家」と骨絡みの何かであるようなのだ。


■「ストロベリー・ヒル・ハウス」から「まことちゃんハウス」へ


 ここで「ダリの男」という異色作に目を向けてみたい。醜い(と自ら信じ切っている)男が主人公で、憧れの美女が未亡人となった瞬間を狙って彼女の借金を肩代わりし、その交換条件として彼女を妻にすることに成功する。形だけでなく本当に自分を愛させるため、男はアンソニー・ヴィドラー言う所の「不気味な建築」というか、シュルレアリスム的(=ダリ的)なトンデモ建築に妻を閉じ込め、その建築の作用で徐々に彼女の美意識を歪ませ崩壊させていき、グロテスクな自分を最終的に愛してくれるように仕向ける。


 具体的には女の部屋には床一面の目玉模様カーペット、ベッドには脳みそ型の枕(ほ、欲しい…!)など夥しい悪趣味オブジェ満載で、家の内装(インテリア)がこの奥さんの内面(インテリア)を歪めていったことが分かるだろう。「不気味なもの」と「家」はこのような共犯関係を結ぶのだ。とはいえそれ以上に問題なのは、よくよく考えればこのグロテスク極まりないびっくりハウスとは、作者本人が暮らす吉祥寺の「まことちゃんハウス」の等価物ではないかという点だ。


 暗黒美学のゴシックホラーを描くマンガ家が、赤と白のボーダーの不思議な家に住んでいるチグハグ感。しかしこのチグハグ感こそがゴシック文化のキモなのである。元祖ゴシック小説と目される『オトラント城』(1764年)を書いたホレス・ウォルポールが暮らした名高いストロベリー・ヒル・ハウスもまた(当時にして)ヘンテコな時代錯誤のお城で、古物蒐集に狂った貴族のグロテスク趣味炸裂の珍品だらけで(なんといってもロココ風貝殻ベンチの悪趣味さ!)、「早過ぎたまことちゃんハウス」の様相を呈していたのだから。ウォルポールの小説も自宅のびっくりハウスぶりを身ぶりするように、超巨大兜が空から落っこちてきて人間をぐちゃぐちゃに潰す(!)など荒唐無稽なものだったので、まさにこの家あってこの作品あり。


 ようするに寄せ集めと超細密描写とショック効果を狙ったゴシックの怪奇趣味が、「ダリの家」には顕著なのである。さてここまで来ると、ゴシックと踵を接するマニエリスム、すなわち「奇想の系譜」(辻惟雄)への道は拓けたようなものである。例の「楳図かずおゴシックホラー珠玉作品集」の『かげ〈映像〉』のさいしょの一頁目にも、「瞑目する細密で流麗な楳図マニエリスム」という謎めいた惹句があり、ゴシックとマニエリスムの血縁関係を予感させている。


 というわけで、次回は「マニエリスム」「綺想」「笑い」「ピクチャレスク」などをキーワードに、さらなる楳図ゴシックの地下世界に潜っていく予定だ。


■後藤護
暗黒批評。著書に『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン、2019年)、『黒人綺想音楽史 迷宮と驚異(仮)』(中央公論新社、2021年予定)、『グレイテスト・ヒッツ・オブ・暗黒批評~音楽篇~(仮)』(Pヴァイン、2022年)。「キネマ旬報」「映画秘宝」「文藝」「ele-king」「朝日新聞」に寄稿。『機関精神史』編集主幹。note:http://note.com/erring510。Twiiter:@pantryboy。