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ウイリアムズF1の元空力責任者アントニア・テルツィが死去。“セイウチノーズ”を手がけた女性エンジニア

2021年11月02日 08:21  AUTOSPORT web

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ウイリアムズF1の元空力責任者アントニア・テルツィ
かつてフェラーリやウイリアムズでF1空力エンジニアを務めたアントニア・テルツィが、10月31日、イギリスで自動車事故により死去したことが明らかになった。50歳だった。テルツィは女性としては初めてF1エンジニアとしてチーム内の主導的な地位に就いた人物で、ウイリアムズFW26の独創的なノーズコーン設計にかかわったことでも知られる。

 イタリア出身のテルツィは、モータースポーツへの情熱から流体力学を学び、学位を取得した後に1990年代後半にスクーデリア・フェラーリに加入した。フェラーリで徐々に出世していったテルツィの仕事ぶりに注目したウイリアムズの当時テクニカルディレクターのパトリック・ヘッドが、彼女を同チームへと引き抜き、その後、エアロダイナミクス部門責任者のポジションを与えた。

 テルツィがウイリアムズで手がけた最初の大プロジェクトは、2004年のウイリアムズFW26だった。このマシンは、当時の一般的なデザインと比べるとかなり高い位置に取り付けられた短く幅広いノーズが特徴で、「セイウチノーズ」と呼ばれ、注目を集めた。


 しかしFW26はチームが期待したような結果はもたらさなかった。ファン・パブロ・モントーヤが第2戦に2位、第4戦に3位を獲得するにとどまり、パートナーのBMWから早急にパフォーマンス改善を行うようプレッシャーをかけられたチームは、シーズン半ばのハンガリーGPからフロントを変更、より一般的なデザインを用いることになった。モントーヤは最終戦ブラジルGPでこのマシンによって優勝を飾っている。

 テルツィはこのシーズン末にエアロダイナミクス部門責任者のポジションをロイック・ビゴワに譲ることになり、フェラーリのオファーを断り、モータースポーツの世界から去った。オランダで大学教員を務めた後、イギリスで空気力学の講義を行っていたが、最近、オーストラリア・キャンベラのオーストラリア国立大学の講師を務めることが決まり、同国が外国人の入国制限を緩和するのを待っていたところだった。