高畑勲監督作「じゃりン子チエ 劇場版」が、開催中の「第34回東京国際映画祭」で本日11月1日に上映された。上映後のトークショーには、同作の美術監督を務めた山本二三が登壇した。
【大きな画像をもっと見る】「じゃりン子チエ 劇場版」の上映は、3月に死去したアニメーター・大塚康生の功績を振り返る特集「アニメーター・大塚康生の足跡」の一環として行われたもの。上映後に登壇した山本は、「久しぶりに映画館で観て、すごく感動しました。高畑勲監督の素晴らしいドラマ性、大塚康生さん、小田部羊一さんの作画がものすごくよくて……」と懐かしそうに微笑む。「天空の城ラピュタ」をはじめ多数のスタジオジブリ作品や、「時をかける少女」などで美術監督を務め、近年では「天気の子」に登場する天井画を手がけるなど、今や日本のアニメーション美術における大家と言える山本。そんな山本も1981年に公開された「じゃりン子チエ 劇場版」の制作当時は27歳の若さであり、「私が役に立てるかどうか危惧してたんですが、完成したときはうれしかったです」と振り返った。
映画祭の「ジャパニーズ・アニメーション部門」プログラミングアドバイザー・藤津亮太の司会のもと、トークショーは進行。山本と大塚康生との初対面は「未来少年コナン」の現場だったという。「当時日本アニメーションで別の作品をやっていたんですが、『未来少年コナン』の美術が大変だというので、プロデューサーに頼まれて手伝いに行ったところ、宮崎駿さんの隣に大塚康生さんがおられて。大塚さんは性格がすごく明るかったので、チームワークはすごくよかったです」と回顧した。さらに大塚の思い出を聞かれると、「大塚さんは機関車を描くのがすごく上手で。米軍のジープも持ってらして、日本アニメーションの駐車場に1台停めてたんです。趣味もすごく多い方でした」「『未来少年コナン』のインタビューで『作画と演出は素晴らしい、でも美術のクオリティが少し低い』と言われたんです。それを大塚さんに嘆いたら、『君は一生懸命やったし、ほかの人にはできなかった』と慰めてくれました」と、大塚の人柄が伺えるエピソードを披露した。
また「じゃりン子チエ」制作時の高畑監督との交流についても語られた。山本は「高畑さんは怖いんですよ(笑)」と冗談めかして言いつつ、「ロケハンで木賃宿に泊まったんですが、『なぜ“木賃宿”というか君は知ってるか?』と聞かれるんですね。あとはタクシーに乗ってると、多摩地区に“乞田”という地名があるんですが、『あの漢字読めるか?』って聞いてきたり」と、博識な高畑からたびたび知識を試されていた思い出を語った。
「山本さんというと、ディテールががっちりした背景を描かれる印象があるんですが、『チエ』は少しタイプが違うと思うんです」という藤津から、「じゃりン子チエ」ならではの美術の工夫についての質問も。山本は水彩画家の大下藤次郎から影響を受けた“洗い出し画法”や、石版画のマチエール(質感)を使ったら面白いんじゃないか、といったアイデアを高畑に出していたという。「高畑監督と相談しまして、はるき悦巳さんの原作を大事にしようと。キャラが3~4等身しかないので、そのぶん天井を少し低くしたり、日本の家屋は壁が多いので、壁やふすまのマチエールをどうやって出していこうか、というのを相談しました」と、当時の貴重なやり取りについても聞くことができた。
最後に改めて「大塚さんはどういう方でしたか?」と尋ねられた山本。「すごく優しくて包容力のある人で、博識。宮崎さんや高畑さんを立てて、少し後ろに下がるような感じで支えてくれました。『じゃりン子チエ』でオファーをくれたことについても、すごく感謝をしています」と語り、穏やかな笑顔でトークショーを締めくくった。