isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
1ヶ月ごとの運勢グラフ 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
キノコは踊る
今週のおひつじ座は、「一に主人公という考え方を舞台から追放した、二に主題という偉そうなものと絶縁した、三に筋立ての作り方を変えた」というもの。
ロシアにはドフトエフスキーやトルストイなど、普遍的な主題を扱いながら重厚かつ長大な大長編をものした世界的な小説家がいますが、ロシア文学者の沼野充義はそんな彼らを鬱蒼とした大森林の巨木に喩えつつ、短編小説や戯曲を書いたチェーホフをそれらの倒木を解体し、新たな植生の下支えとなるキノコに喩えました。
確かに、キノコの世界には誰が主役で誰が脇役なのかといった区別はないでしょうし、「神の愛」であるとか「美しい人間とは何か」といった大袈裟な主題とも無縁そうですし、「成長」とか「成功」といったありきたりな帰結に収斂されていくような直線的な展開の物語性に、自身の生きている時間を重ねていくこととも無関係なのではないでしょうか。
同様に、私たち人間もまた、ドラマや映画のように過剰に盛り上がる必要はなく、特にいまのおひつじ座には、改めて、そうしたいかにも巨木的な価値観から自身を解き放っていく必要があるように思います。あなたもまた、マッチョな方向にではなく、不思議で、遊び心のあるキノコの方へ生き方の標準を合わせていくといいかも知れません。
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石ころみたいに存在してみる
今週のおうし座は、忘れてはいけない原点に立ち返っていくような星回り。
「石ころも露けきものの一つかな」(高浜虚子)の大意としては、何もかも露にぬれてしっとりとしている。見ればそのへんの石ころも、露にぬれて風情ありげに見えることだ、といったところでしょうか。
一句に描かれているのは石ころと露のみですが、石ころだけではなく、その周囲に広がっている秋の景色やそこに生きている生き物やひとびともまた露を帯びているのです。しかし、石ころもその一つであるところの「露けきもの」とはいったい何なのでしょうか。伝統的に和歌などでは「露けし」とは涙にぬれている意を表わすことが多いですが、この句はそこまで感傷的なものではありません。
むしろ、作者はここでこの世界は苦の世界であるという原点に立ち返っているのであり、道に落ちている石ころでさえそのことを感じているのに、自分を含めた人間の方は、ずいぶんと「なまくら」だよな、と痛感しているのでは。もちろん、世の中の九割方はそういう人な訳ですが。あなたもまた、虚子のような俯瞰的まなざしを自身やその周囲に向けていくことになるかも知れません。
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便利じゃない方が面白い
今週のふたご座は、「あのね、人間は機械じゃないからね、ただ命令しても言うことなんて聞いてくれないの」という自己教育をしていくような星回り。
グローバル経済はAIの導入という後押しを得て、「AIを導入すれば、煩わしい手動作業や人間関係の摩擦を省略し、便利な生活が手に入りますよ」といった消費者への売り込みを劇化させていますが、そうして私たちはなし崩し的に便利さを押しつけられる一方で、その分なんらかの人間としての能力を失いつつあるのではないでしょうか。
AIが普及して当たり前のように生活に浸透すれば、「言ってもなにもしてくれない」という他者への不満を大きくしていくということでもありますし、必然的に他者との関係そのものが分からないという子供も増えてくるかも知れません。
つまりAIとの共生には、私たち自身が人間としての能力を保ったり、そもそも人間固有の能力とは何かということを再発見していく必要があり、その前提としてAIと同化してしまわないよう脱AI化を図っていく必要があるように思います。あなたもまた、どういう方向へ自身を教育していくべきか、またしていくべきではないかということを、ひとつ考えてみるといいでしょう。
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川の流れのように
今週のかに座は、必要なものを必要な分だけ手元に残していこうと、改めて意図していくような星回り。
冷蔵庫の扉ほど、私たちが日々、何の気負いもなく無意識に開けているものはないが、「生も死も冷蔵庫にも扉あり」の作者・今瀬剛一は、ここで死というものもまた、それと変わらないほど不意に迎えるものなのだという。
作者の自解によれば、自身の主治医であり、俳句の門下生であった人物を見舞って、愉しく歓談してきたその夜のうちに訃報が飛び込んできて、取るものも取りあえず駆けつけるとあれだけ元気だった人物画すでに冷たくなっていたのに接し、思わず「冷蔵庫にも扉あり」と叫んでいたのだそうだ。
つめたい死への扉を開けたとき、ガランとしているのはさみしいが、溢れだすほど物がパンパンにつまっているのも節操がない。どうしたって私たちは不安に駆られて物を買い込みすぎたり、自分のことをおろそかにしたりしてしまうけれど、こういう句に接すると、やはり日頃から整えていくしかないのだろうと改めて痛感せざるを得ない。あなたもまた、つねに自身のかたわらにある「冷蔵庫」を眺めつつ、返すまなざしで自身のいのちの在り様を見つめていくべし。
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ほころんでナンボ
今週のしし座は、凝り固まった思い込みやプライドを捨てて、ほや~っとしていくような星回り。
文学研究者の芳賀徹は、日本の紀行文学の最高峰とされる松尾芭蕉の『奥の細道』のクライマックスは、通説では松島とか平泉とか、いわゆる名所旧跡とされ、伝統的に和歌に詠みこまれてきた場所にあるとされるのに対し、むしろそういう伝統文化の形式がほころびていく出羽あたりにあるものとして読まれるべきだろう、ということを述べていました。
和歌に詠まれた名所やその痕跡としての歌枕なんてものは、しょせん都会の貴族文化をモデルとして辺境を切り取ろうとする眼差しの副産物に過ぎず、逆にお高くとまった都会人の固定観念や想念体系が、みちのくに息づく古代的な地の霊のようなものに触れ、破られ、打ち捨てられるにしたがって、目に映ってくるものが生き生きと立ち上がってくるそのリアリティこそ、大切にされるべきだと言う訳です。
このあたりの話は、おそらく今のしし座の人たちの星回りにも通底するのではないでしょうか。つまり、さまざまな記号やしがらみにがんじがらめになった「都会人」である以前に、お前は現に生きているひとりの人間であり、生命体だろう?と。あなたもまた、そうしたほころびや破れということを肯定的に受け入れてみるといいでしょう。
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サーファーから葦笛へ
今週のおとめ座は、生産性や効率の追求といった文脈から外れて、ボーっとしていくような星回り。
浅黒く日に焼けて永遠の青春を享受しているかのように見えたサーファーも、秋も深まり冬が近づいてくれば、自然と海からあがって帰るべき居場所を探し始める。渡り鳥のように南国へと移動していくサーファーも少なくないのかも知れないが、「晩秋のサーファーひとり火を作る」(堀本裕樹)では、群れから外れたように「ひとり火を作る」姿が詠まれている。はぐれ鳥ならぬ、はぐれサーファーだ。
浜辺で流木や枯れ木を集め、焚き火をしている。はぐれサーファーは、器用に環境を変え、永遠の青春を続行しようとする代わりに、失われた青春に思いを馳せつつ、その事実を受け入れることで、自分のなかで何かが変わっていこうとしているのを、ただ感じようとしたのだとも言える。
たとえ今いる環境が厳しくとも、熱源さえ確保できれば、多少時間はかかってもそうした変化に対応していくことはできる。それは新たな事物に興味を持つことや、ちょっとしたことに感動すること。火を作らなければ、そんなことさえも難しくなるのだ。あなたもまた、心の奥底のほうでくすぶっている火の種にそっと息を吹き入れていくことがテーマとなっていくように思う。
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素朴な人間になっていく
今週のてんびん座は、素朴さやその美しさみたいなものに浸っていくような星回り。
教養人たちと交わって風流を楽しむというのは、金も時間も学識も美感もそろっていないとなかなか出来ない贅沢であり、教養とはそうした文化的コードに乗っかっていったり、楽しんだりする力のことを指しますが、あらゆる文化的コードが溢れかえって混線状態にある現代において最も教養があるのはむしろそうした伝統的な風流を捨て、教養人ぶらずにいられる人のように思います。
つまり、ただ素朴な人生やさびしい自然の風情にひたりたいと思う心が、肉体的にわいてくるまま、孤独な人間存在自身のさびしさを余計な知識や価値観をはさまずに直接感じていけるということ。それはたとえば、心がさまよう晩秋に、白く光る田舎の街の道を旅人となって歩いていく時に最も感じ取りやすいのではないでしょうか。
というのも、素朴の美というのはどこか色褪せたろころがあることが大切であり、新商品や新サービスが目まぐるしく展開されていく資本主義社会では色褪せた方が金の価値は下がる一方で、美的価値は逆に向上するのです。あなたもまた、他者や現実との交わり方に関して少し見直しをはかっていくといいかも知れません。
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ワナビー天使
今週のさそり座は、語らずして語ることを目指していくような星回り。
枯れ果てて、水面に折れた矢が刺さっているかのような無惨な茎ばかりの姿になった蓮のことを「枯蓮(かれはす)」と言いますが、それ自体が沈黙のうちに、大いに魅力的な語りと成り得ているように思います。
「始まりの終りのなくて蓮枯るる」(山尾玉藻)では、枯れ果てる姿を醜く不気味なものとして見るのではなく、「始まりの終り」すなわち物語が完結しきっていない不完全燃焼感が残っていない見事な姿として捉えているのです。
ここでのポイントは、自分の生きた証しを、権威的な物言いや過剰な装飾によって表わすのではなく、ただその枯れっぷりによってのみ表わすその示し方。俳人においても、俳句は作者の思想や哲学から生まれるのではなく、まず作品が先行し、そこからおのずと滲み出るものが、その作家独自の思想や哲学として誰かに発見されるのでは。あなたもまた、歳を重ねることの醍醐味を追求されていきたし。
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時代的不安との闘い
今週のいて座は、めんどくさくても、意味のありそうなことにはとりあえず泥臭く格闘していこうとするような星回り。
ネット社会での議論というのは、どうしても特定の言葉を抑えれば理解できるという具合に「キーワード化」されていく傾向があります。
ただでさえ何かを「分かる」ということはいくつもの自動ドアをただ機械的に開け続けるようなことではありませんが、自分たちが置かれている現実を巧妙に複雑化し続ける今の日本社会において、少なくとも「簡単に分かる」というイージーな手段に飛びつく習慣はまず最初に捨てるべきものであるように思います。
あなたもまた、惰性的な知性の使い方にいかに見直しをかけていけるかということが問われていくでしょう。
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現実に遊ばされる
今週のやぎ座は、不意に頭がからっぽになっていくような星回り。
ひとりで「何もないとこ」をなんとなく歩いていてつまづく、ということは確かにたまに起こる。あれはどういう理由からかはよく分からないが、感覚的には突然歩き方や足の動かし方がわからなくなってしまった、というのに近い。
そうすると、足そのものや筋肉の問題というより、頭の中の回路や記憶の揺らぎやそれに伴う誤作動のようなものなのかも知れないが、いずれにせよ、それは他の動物に比べて脳の発達に進化の方向性を全振りした「頭でっかち」な人間に特有の現象なのではないか。
「何もないとこでつまづく猫じゃらし」(中原幸子)では、その横で道端の「猫じゃらし」が風にゆられているという訳ですが、それはどこか人間の滑稽さをくくくくくと声に出して笑っているようでもあります。しかし、笑われることで初めて、人間はしがらみや執着から脱け出せるのであって、逆にそういう機会を失った人間ほど憐れでかなしい存在はないのだとも言える。あなたもまた、自身の存在の根底にある悲しさや滑稽さを笑ってもらうだけの余白をもうけていくべし。
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生きたリズムを呼び込む
今週のみずがめ座は、「ささやかな遊び」と「ひそやかな愉しみ」をきめ細やかに織り込んでいこうとするような星回り。
山林伐採の労働者たちは、老練になればなるほど入って日が浅いアルバイトの性急さをあざ笑うかのように、ほとんど禁欲的なほど小さな歩調でゆっくりと山道を登り、十分すぎるほどの「食休み」を取りながら、最後まで汗をかかないで仕事を終え、長老格になるとそこに周囲を退屈させない話術さえ加えながら、山を下るのだといいます。
彼らは「山林」という苛酷な環境において、ちょっとしたストレスや焦り、神経の摩耗がどれだけ自分たちの身を危険に晒し、命取りになるかをよく知っており、からだやこころの緊張を和らげるための習慣づけを日頃からよく心がけているのでしょう。
一方、精神科の患者には休息が不得手だったり、ほとんど休息抜きの労働を長時間続けがちで、そのために結果的に働けなくなってしまったような人が少なくありませんし、歴史的にもいかなる職業であれ「ささやかな遊び」と「ひそやかな愉しみ」は存在してきたのです。あなたも、真剣さを休みなく働くことに直結させるのではなく、逆にどれだけそのリズムを健全なものに整えられるかがテーマとなっていきそうです。
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売れるが負けよ
今週のうお座は、「ウザくならない凄さ」を目指していくような星回り。
ある大木が落葉して、葉の茂っている時でも大きく見えた幹がいよいよ大きく見えるようになった。その木を人間に見立てて話しかけ、お前もそのうち切られて臼にされるんだよ、と言ったというのが「落葉して汝も臼になる木かな」(渡辺水巴)の大意。
「馬子にも衣装」といったように、普通はむしろありのままのその人を肩書きやファッション、仕草やふるまいなどで大きく見せがちなものですが、その逆の在り様ということが言われている訳です。例えば、江戸時代中期に生きた木村蒹葭堂(けんかどう)は表向きは大阪の造り酒屋であり、歴史に名を刻むような偉業をなした訳ではありませんでしたが、あまたの学問や知識に精通した当代随一の知識人であり、個人としては最大の知のネットワーカーで、一大文化サロンの主でした。
こういう世に隠れた大人物というのは、いつの時代もいるところにはいるものですが、ネットの発達によってそうした存在を許さなくなってしまった現代社会は、ある意味で社会としての奥行きや豊かさを失ってしまったのかも知れません。あなたもまた、いきなりそうした大人物になる訳ではないにせよ、その前提としての「落葉の大木」という在り方を参考にしてみるといいでしょう。
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