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ハライチ岩井勇気が明かす、初小説に込めた“皮肉” 「定義が分からないから、エッセイみたいに書いた」

2021年10月15日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

ハライチ岩井が初小説に込めた“皮肉”とは?

 お笑いコンビ・ハライチのボケ&ネタ作り担当にして、俳優に、ゲームの原作・プロデュース、漫画原作など、縦横無尽に、飄々と飛び回っている岩井勇気(以下、岩井)。10万部突破のエッセイ集『僕の人生には事件が起きない』に続き、「小説新潮」「Book Bang」の連載エッセイ22本と、書き下ろしのエッセイ1本に加え、初の書き下ろし小説を収録した第2弾『どうやら僕の日常生活はまちがっている』も発売となり好評だ。


(参考:【写真】“異世界に迷い込んだみたい!?”撮り下ろし写真はこちら


 本著でも、「喉に刺さった魚の骨に悶絶」したり、「スピーチを頼まれた同級生の披露宴をすっぽかし」たり、「まったく興味がなかった寅さん映画に涙」したり、「天使の扱いが雑になっていること」を嘆いたりと、取り立てて大事件が起きるわけではない日常が、しかし岩井の視点によってユニークな日々へと様変わりする。


 さらに、スーパーに向かう路地を通り抜けた「僕」がたどり着いた「裏の世界」を描く、不思議な味わいの初小説も岩井ワールド全開。なのだが、岩井ワールド全開イコール、本小説はこれまでのエッセイとの地続きとも感じられる。これを岩井本人に直撃すると、あえての地続きであり、エッセイと小説の狭間を狙ったのだと判明。そして「そもそも小説の定義ってなんですか?」と、岩井らしく、飄々と難問を突き付けてきた。(望月ふみ)


■客観視したときに自分で自分を面白く感じる


――ライトノベル以外はほとんど文章に触れてきていないという岩井さんですが、最初にエッセイのオファーをしてきたという、文系女子編集者さん(『僕の人生には事件が起きない』に登場)は、やっぱり先見の明があったんですね。


岩井:僕自身はだいたい器用にできるんですよ。だから最初に話が来た時も、そこそこ書けるだろうとは思ってたんです。


――実際に書き始めたら楽しかった?


岩井:ハマってはないですよ。でもやっぱ、オレ、いけんだなと(笑)。


――ネタとは違い、エッセイは編集さんのチェックも入ってくると思いますが、最初からスラスラと書けたんですか? 編集さんからの直しは?


岩井:ば~って書いて、パンと出して、誤字なんかの微修正はしてもらいましたが、それくらいでほぼ直しナシです。1冊目の最初だけ少し練習しましたが、この2冊目に入っているものなんかは、書籍になるにあたって少し直しただけ。むしろ最初からほぼ直しがなかったので、責任を押し付けられているようで逆に不安になったくらい(苦笑)。まあでも、たぶん性格的に、大幅に直されたりして2ターンくらいやっちゃうと、もうそのエッセイは捨てると思います。意図を汲み取って修正するよりも、新しいものを書いたほうが楽なので。


――芸人さんが書かれた本はたくさんありますが、実際に自分が文章を書くようになって、そういった芸人本を含め、読書をするようには。


岩井:一切なってないですね。活字は疲れちゃうんです。以前、編集さんに、何冊もおススメ本を渡されたことがあったんです。でももともと本好きな人がおススメする本って、活字中毒の人向けだから、読んでいられないんですよ(笑)。


――岩井さんのエッセイが連載されていた「小説新潮」も。


岩井:一切、読んでないです。


――潔いですね(笑)。実際に作品を読んでみると、ご自身をとても客観的に、俯瞰で捉えている印象です。


岩井:そうですね。いろんな状況に陥っても、客観的に見ると乗り切れたりしますし。喧嘩したりしても、「なんでオレ、いい年してこんな大声で言い合ってるんだ?」とか思うと、面白がれるし。


――感情のままに流されたり、流されたいと思うことはないのでしょうか。


岩井:流されたとしても、そうなればなるほど、客観視したときに自分で自分を面白く感じられるので。だから感情で動いていたとしても、客観視している自分が常に一緒にいますね。


――エッセイには、やはり岩井さんの中にある変態性やちょっとした狂気が覗いていてユニークです。ご自身でも「変態だな」とか思います?


岩井:思わないですね。自分は普通だと思ってます。


――たとえばハライチの「ノリボケ漫才」は、今までになかったスタイル、切り口で驚かされましたが、あくまでも自分は普通?


岩井:周りと違うと思ったことはないです。「ノリボケ漫才」に関して、隙間を突いた、僕らしかやらないようなことが思い浮かんだとは思いますよ。構造を分解して法則を見つけるのは得意だと思うので、お笑いについても、分類したり、法則を見つけたり、「ここが空いているな、ここを突いたら目立つな」とかは、計算してやってます。


――エッセイを書くにあたっては、最初に起承転結など、ざっくりと道筋を決めているのでしょうか?


岩井:考えてないです。締めも。最後の2、3行でいい感じに終わらせれば、いい具合にまとまるだろうと思うので。ば~っと書いて、文字数的にそろそろかなと思ったら、少し読み返してみて、じゃあ、このまとめにすれば、最初からこのまとめに向かっていたみたいになるなと。みんな伏線回収とか好きですけど、後付けでどうにでもなりますから。


■あえて、エッセイみたいな小説を書きました。


――今回、書き下ろしの小説も収められていて、とても面白かったです。同時に、今までのエッセイにも岩井さんならではの視点や妄想が混じっているので、これまでのものと特に垣根はないと感じました。


岩井:そうですね。「小説を書け」と言われたんですが、小説なんて書けねえよと(笑)。そもそもエッセイと小説の違いってなんなんだろうなと。何が小説なんですか? 何をもって小説? 小説の定義って?


――うーん。詩や戯曲ではないフィクション……ですかね?


岩井:正直、よく分からないですよね。だから、エッセイみたいな小説を書いたんです。この最後に載せたやつ、小説じゃなくはないですよね。でもエッセイってわけでもない。今まで書いていたエッセイも、そもそもエッセイなのか、小説ではないのか。「小説を書け」と言われて、特に相談せずに、今回のものを書いて渡したら、「いいですね」と。特に直されてないですしね。


――あえて、垣根をあいまいにしたものを書いたと。


岩井:そうです。どこが違うんだ?と。エッセイからのあえての地続き。狭間を狙いました。なんか、「小説」ってなると急に崇高な感じになるのが納得いかないんです。最初の書籍が出たときに、「聞いたことないものでいいから、何か賞とか取れないの?」って聞いたら、エッセイに賞はないっていうんですよ。小説にはいっぱいあるのに。一般的には本の賞なんて、よくは知られてないから、みんなが全然知らない賞でも、その賞には申し訳ないけど、取ったとか書いてあるだけで「なんかすごいんだ」みたいになるじゃないですか。それで買うって言うなら、それでいいから、もし3冊目を出すなら、おんなじスタイルで小説だと言って出そうって。もしそれで賞が取れたら意味わかんないけど。


――確かに今までのスタイルのままで、短編小説集にもできそうです。


岩井:ですよね。たぶん同じスタンスで、短編小説集が成り立つ。だって、今回の最後のエッセイみたいな感じで書いた小説が、小説だと受け止められたんだから。


――なるほど。「小説とは何ぞや」と。最後にもう一度確認です。書くことには本当にハマってない?


岩井:ハマってませんよ。正直、これもだれが読むんだろうと。謙遜とかじゃなく。ちょっとでもオレに興味がある人に向けてだったら、自叙伝みたいなものを書くと思うんです。そういう意味では、僕をまったく知らない人でも読めるものになればとは思ってます。メッセージ性とかも込めたくないし。ハマってはいません。ただ、嫌いでもないですけどね。皮肉が好きなんで、皮肉で書いてます。


(文・取材=望月ふみ/写真=大槻志穂)