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ゾンビのいる世界が舞台の“ゾンBL”はなぜ支持される? 増殖中の人気作から考察

2021年10月12日 11:01  リアルサウンド

リアルサウンド

BOYS OF THE DEAD

 BL(ボーイズラブ)漫画界で2021年になってから、あるジャンルがじわじわときている。ゾンビがいる世界での恋愛を描いた「ゾンBL」だ。


 ファンタジー作品が勢いを見せている昨今のBL漫画市場において、年に1冊出ればいいほうだった、過去作を探してもそう簡単に見つからなかった、ゾンBL。そんなジャンルの作品が、2020年の年末から2021年10月現在にかけて、5作品(※単行本化されたもののみ)も世に放たれているのだ。突然とも言えるくらいの盛り上がりに筆者は驚いている。
(※以下、紹介作品のネタバレあり)


関連:【画像】『スリーピングデッド(上)』表紙


■ディストピアを「らしさ」に捉われず生き抜くゾンBL


 ゲーム「バイオハザード」シリーズや海外ドラマ「ウォーキングデッド」シリーズ、アニメ『ゾンビランドサガ』など、ゾンビコンテンツは世に多く存在している。おどろおどろしい見た目やいつ自分がゾンビになってもおかしくない状況と常に隣り合わせのスリル、シリアスにもコメディにも応えられる柔軟性など、その魅力はさまざまだろう。また「生きているけれども死んでいる」という存在に、疲弊した自分を重ねられるところにも惹きつけられる。


 ただ、ゾンビものとBLがかけ合わさることで、何かこれまでにない展開が生まれるのかと問われれば、大きな変化はないと思う。「生きるか、人として終わるか」という極限の世界の中で互いを求め合っていくというストーリーは、別にBLでなくても描けるだろう。


 しかしBLは「男ならパートナーを守って当然」といった、性別によるカテゴライズを押し付けないところに大きな特徴があるジャンルだ。ゾンBLでも、どちらか一方を守られる存在とするのではなく、互いがともに生きていくために守り合う、まるで運命共同体のような描かれ方がなされている。


 未知のウイルスによってゾンビと化した人間が蔓延る世界を生き延びるために戦う幼なじみの関係性を描いた『UNDEAD-アンデッド-』(露久ふみ/東京漫画社)では、主人公・光の「ゾンビを倒す原動力の変化」で恋愛感情の揺れ動きを表現している。最初の頃の光を動かしていたのは、ゾンビに両親を殺された憎しみだった。それが家族同然に育ってきた藍から向けられる恋情に触れる中で光は、「彼がいるから生きたい」と願うようになる。


 ゾンBLの魅力は、恋愛関係にあるふたりが「生きるか死ぬか」という極限世界で「ともに生きたい」という気持ちを育みながら、相手のために何ができるのか自分の意志で考え行動に移していくところにあるだろう。


■倫理感がストッパーにならないゾンBL


 またゾンBLの魅力は、ふたりの前に立ちはだかる「死」という壁の強大さにもある。死は、たとえ大切な人のためであったとしても簡単には乗り越えられない。しかしゾンBLに登場するキャラクターたちは、その高くて重くて分厚い壁を愛の力で飛び越えていく。この圧倒的なパワーに、惹きつられるのだ。


 たとえば『BOYS OF THE DEAD』(富田童子/プランタン出版)では、ゾンビになってしまったパートナーのコナーを生き延びさせるために、食料となる死者を墓から掘り起こす少年ライナスの姿が描かれている。『屍と花嫁』(赤河左岸/libre)では、名家の当主・ジンが人の死体や自分の血などの大きな対価と引き換えに、愛していた異母兄・リィをキョンシーとして蘇らせていた。


 これらすべての物語とキャラクターに共通するのは、大切な人とともに生きられる可能性があるのなら、他人の生死や世の中の不幸を置き去りにしてしまうところにある。その思考を理解するのは到底難しい。しかし彼らは自分のしていることが禁忌に触れていると理解したうえで、「世間から歓迎されない存在となってしまった大切な人と生きる」という選択をしている。そんな「倫理観という歯止めが効かない本能的な愛」を知っている彼らに、どこか憧れのような感情すら抱いてしまうのだ。


■「愛とエゴ」ゾンBLが読者に投げかけるもの


 ゾンBLで描かれる愛は同時に、恋愛におけるエゴの押し付けの怖さと向き合う時間も作ってくれる。


 『スリーピングデッド』(朝田ねむい/プランタン出版)では『屍と花嫁』と同様、生存しているキャラクターが一度尽きてしまった命を無理やり蘇らせている。襲撃事件により死んでしまった高校教師の佐田が、彼と何らかの縁があると思われるマッドサイエンティスト・間宮の手によって蘇生させられるのだ。 


 これらの作品に共通するのは、一度尽きた命を「生存している側のエゴ」で蘇らせているという点。蘇生させられた側が望んでいたわけではない。むしろ蘇生させられたほうは、さまざまな制約や条件が発生するせいで不自由極まりない思いをすることとなる。


 たとえば『スリーピングデッド』には、ゾンビとなった佐田の食料に同類の死骸を用意しなければならないという設定がある。その確保のためにふたりは、殺人に手を染めざるをえなくなったのだ。また『屍と花嫁』で蘇ったリィも、理性を失って他人を襲ってしまわないように、キョンシー化の際に供給されたジンの血を飲み続けなければならない宿命を負っている。


“「そこまでして生きたくない」
※『スリーピングデッド』CHAPTER.3 より引用”


 自分を生かすためとはいえ、人を殺すという絶対に踏み込んではならないラインを越えようとする間宮に、佐田はこう言い放つ。


 現実にゾンビはいないため、蘇らせたあとのことなんて想像しようにもできない。しかし生死がかかわっていなくても、自分の「好き」「そばにいたい」というエゴが相手にとっての幸せでないことはままあると思う。


 その愛は、エゴではないか――。ゾンBLは、そんなハッとする問いを投げかけてくるようだ。