isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
1ヶ月ごとの運勢グラフ 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
真なることが伝わるように
今週のおひつじ座は、みずからの無自覚的なふるまいを、少しでも意識化していこうとするような星回り。
精神科医の中井久夫は、「『伝える』ことと『伝わる』こと」というエッセイのなかで、癌と知った時から、急に癌患者らしくなる人をたくさん見てきた経験から「病気の告知には『同時に何を伝えるか』『同時に何が伝わるか』が重要な意味を持つ」と述べつつ、ある宗教学者の事例を引いています。
いわく、ある日を境に周囲の人との間に目に見えない「ガラスの壁」ができたので、自分は癌なんだなとわかったといいます。周囲が急にやさしくなり、意味のない美しい言葉を語りかけてくるようになったと。これが、癌患者に対して「伝えまい」とする周囲の努力の結果、コミュニケーションを絶たれたことが自然に「伝わる」ケースの典型なのだそう。
逆に、きびきびと働いている看護師の姿は、他の患者に生きる希望を自然に「伝える」のだそうで、患者はいざという時には自分もああしてもらえるのだと安心感を持つのだと。あなたもまた、ただ自然に「伝わる」に任せるのでなく、中井の言葉のように何を「伝える」にせよ、きちんと「伝わる」気持ちに責任を持っていきたいところ。
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一番遠いところから振り返る
今週のおうし座は、求めずにはやまぬものを追いかけていくような星回り。
毎年今の時期に北国から飛来してくる雁(かり)は、日本の各地に群れをなして降り立ち、越冬するもの。ところが、どういうわけか、たまに仲間とはぐれて飛び行く姿を目にすることがあります。
「紀の路にもおりず夜を行(ゆく)雁ひとつ」(与謝蕪村)は、たまたまそんな雁を見かけた作者が、これがもし「紀の路(きのじ)」、日本の南の最果てに位置する熊野古道で見た景色だったらと想像して詠んだ一句。すなわち、紀の路に降りて羽を休めることなく、さらに友を求めて飛び続ける一羽の雁。秋の夜を月光に照らされて飛び続けるその姿に、万感の思いがこみあげてくるではないか、と。
南の海の果てに待っているのは、友か極楽か死に場所なのか。安易に仮の宿を設けてそこで事足れりとすることのできない哀しくも壮絶なその姿に、作者は直接会ったことのない、俳句の師である芭蕉の姿を重ねたのかも知れません。あなたもまた、自身のなかにも棲んでいる「孤雁(こがん)」の律動を少なからず実感していくことになるでしょう。
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社会と世界のはざまにあるもの
今週のふたご座は、自身に運命づけられた言葉を、掘り出していこうとするような星回り。
禅を世界的に広めた鈴木大拙は、かつて宗教の役割を「力の争いによる人間全滅の悲運」から人類を救うことにあるとし、知識や技術(智)の世界の外に慈悲の世界があることを忘れた現代人を批判しましたが、ではその「慈悲」とはどこか遠い彼方からやってくる奇跡のようなものかと言うと、大拙はそうではないのだと述べています。
いわく、「智は悲によつてその力をもつのだといふことに気が付かなくてはならぬ。本当の自由はここから生まれて出る。(……)少し考へてみて、今日の世界に悲―大悲―があるかどうか、見て欲しいものである。お互ひに猜疑の雲につつまれてゐては、明るい光明が見られぬにきまつてゐるではないか」と。
こうした意味での「悲」とは、おそらくそれぞれの「生活のかたち」やそれに基づく存在様態の自己表明の背後に潜んであるものなのではないでしょうか。今週のふたご座もまた自分の「智」の外にありながらも、内なる智を支えているような何かということを、自分なりに感じてみるべし。
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部屋とティッシュと私
今週のかに座は、まなざしの冴えを磨いていこうとするような星回り。
晩秋になると、すべてのものが冷え冷えとして、自身の輪郭をあらわにしてくるように感じられますが、「冷やかにティッシュ箱より直立す」(小豆澤裕子)は、何の変哲もない室内の光景にも新鮮なまなざしを向けた一句。すなわち、一枚の「ティッシュペーパー」がティッシュ箱より今まさに直立しているではないか、と。
実際、ティッシュというのは最後の一枚になるまで、箱から出てきては私たちの前に立派に立ってその存在を見せてくれる。この世で何かが垂直に屹立している姿は、私たち人間にとってある種の精神性の痕跡を感じさせますが、それをティッシュ箱にまで見出し、当たり前と考えてしまわない作者の眼は、まったく驚嘆に値します。
また、ティッシュのふわりとした形状は、それを包んでいる周囲の空気の形であり、それを新鮮な光景として捉える眼は、社会が混迷期にある言論人には特に不可欠な資質でしょう。あなたもまた、自身のまなざしをより鋭く、より深く向けていくべき対象を改めて見定めていきたいところです。
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漆黒の森
今週のしし座は、若者的な「なにかやってやる」というノリとは異質なところに、佇んでいくような星回り。
「意識高い系」と呼ばれる、例えばある種のオンラインサロンにたむろするような人たちにとっては、実際にやっていることの中身やその質よりも、「何かやっている雰囲気」というのがとにかく大切なのでしょう。
たいてい、彼らは自身の取り組みにきわめて“真剣”であるがゆえに、それがどんな反応に迎えられるか、いかに評価されるかという方向に意識が縛られがちですが、ただ、そうした「なにかやってやる(からそれを好意的に受け入れてほしい)」という文化に対置されるものとして、「やらない」文化というのもあるわけです。
例えば、やたらと“仲間”を募ってよく理解できない者までも巻込んだりしない、とか、業界だとか地元だとか日本だとか、とにかく大袈裟な対象をあげて、それに自分は貢献するのだといった思い上がりは持たない、とか。あなたも、自身のやっていることの水準を保っていくためにも、そうした「やらない」文化をこそ大切にしていきたいところです。
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自分より賢いかも知れない存在
今週のおとめ座は、誰にも邪魔されない愉しい時間を、しかと確保していこうとするような星回り。
「鰯雲ある日の海豚調教師」(四條五郎)の「鰯雲(いわしぐも)」とは、台風や移動性低気圧が多く近づく秋に特に多く見られるうろこ状の雲のこと。今ではどこの水族館でも、イルカ(海豚)のショーは目玉のひとつであり、他のゾウやトラなどの猛獣と比べても、あまり痛々しさを感じさせない明るい印象が感じられるのは、どこかでイルカたちがそれを楽しんでいるのが伝わってくるからでしょうか。
ただ、掲句の「ある日」は、すでに夏の賑わいが過ぎた、涼やかな秋の一日であり、そこには見物人の気配は感じられません。むしろ、開館前の朝のひとときや、休館日とも考えられますが、いずれにせよ調教師とイルカだけの密やかな交情のときが連想されます。
それはイルカにとっても、調教師にとっても、なにものにも代えがたい至福の時間だったのでしょう。作者はそんな光景を垣間見て、おそらく微笑をこぼしながら、静かに立ち去ったにちがいありません。今週のあなたもまた、ふふふのふ。
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なぜ人は勉強するべきか
今週のてんびん座は、不本意な「空気」や「雰囲気」に抵抗していこうとするような星回り。
現代史、特にホロコーストの研究で知られる歴史家のクリストファー・ブラウニングは、ごく平凡な市民で構成された第101警察予備大隊が、無抵抗なユダヤ人の大虐殺に短期集中的に荷担したという事実や、その心理にまで踏み込んで、次のように述べています。
「ひとたび状況に巻き込まれると、人びとは、不服従や拒絶を一層困難にする、一連の『拘束要因』ないし『凝固メカニズム』に直面する。状況の進行は、新しい、あるいは対立するイニシアティヴを採りづらくする。『状況的義務』ないしエチケットは、拒絶することを、不適切で、無礼で、義務に対する道徳的違反であるとさえ思わせる。そして、服従しないと罰を受けるのではないかという社会化された不安が、さらに抑止力として働くのである。」
こうした一連の集団心理はいつの時代も「普通の人びと」にはつきものですが、特に今の日本においては、「社会化された不安」に身動きを封じられないよう、特に警戒していく必要があるのではないでしょうか。あなたもまた、みずからを取り囲んでいる雰囲気にどのように向き合っていくべきかということが一つのテーマとなっていくはず。
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もっと哀しくなろうよ
今週のさそり座は、従うべきプログラムより拠って立つべきパースペクティヴを、鮮明にしていこうとするような星回り。
私たちが時おり訳もなく哀しくなるのは、文明社会ではあらゆる物事が予定調和的にコンクリートで固められ、現実のたえず揺れ動いて捉えどころのない側面に蓋がされていくことに、一個の生命としてどうしようもない違和感を覚えてしまうからなのでしょう。
例えば、俳句の五七五のリズムは元をたどれば海洋民におけるオールを漕ぐリズムの記憶を伝えるものであるという説がありますが、それは自分たちが拠って立つのはつねに安定している大地などではなく、いつ何時揺らぐか分からない船の上であり、その下には人間にはどうしようもない海という大自然が広がっているのだという、無常感に通じる現実感覚があったのかも知れません。
その意味で、俳人とはただ自身の心情を花鳥風月に託して詠んでいるのではなくて、あくまで現実の奥底に流れる「水の動き」に同調し、自分のいのちを担保にして移りゆく風景を写しとり、また舟の底から感じられる自然や死の生音に耳をかたむけている訳です。あなたもまた、そんな俳人の根本にある精神性に、自然と引き寄せられていくことでしょう。
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いかんともしがたい受動性
今週のいて座は、アイデンティティを、他者との関係性のなかで捉えなおしていこうとするような星回り。
私たちは生きるということを、どこかで時間の経過に従って何かしら経験や価値や資産が増大していくものであり、そうあるべきと考えてしまうところがあるように思いますが(だからこそ老いや衰えを資産の減少と考えありえない事態と感じてしまう)、与えられた「生命」を生きているという視点から考えれば、実際にはみな平等に刻一刻と残りの生き時間が引かれているだけなのだとも言えます。
そして、そういう自覚が深まっていくなかで初めて、よりたくさんの価値を取り入れようとするのではなく、必要な分だけ取り入れ、余った分は周囲に分配していくという発想が自然に生まれ、結果的に、慎ましさやユーモアといったものが本人の佇まいに立ち現れてくるものなのではないでしょうか。
その意味で今週のいて座は、深く静かに呼吸を整えつつ、何か自分を包む大いなるものに生かされてきた恩恵と幸運に、そっと思いを馳せていきたいところです。
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めんどうだけどこれでいく
今週のやぎ座は、「たかが」と「されど」のはざまに立っていくような星回り。
「切株やあるくぎんなんぎんのよる」(加藤郁乎)は、昭和三十四年、作者が三十歳のときに出した第一句集『球体感覚』に収録された一句。「あるくぎんなんぎんのよる」を「歩く銀杏銀の夜」と読めば、銀色に照る月光のもとで銀杏の実が歩きだす幻想的な光景が浮かび上がってきて、どっしりとした「切株」の存在感とあいまって、おとぎばなしのワンシーンのような遊びのある句となります。
しかし、あえて平仮名にしてあることを鑑みて、松山俊太郎が指摘しているように別の読み方をすれば「或る苦吟難吟の夜」となり、句作の舞台裏で苦しみ抜いている作者の姿が現れてくる。いずれの解釈が正しいかという愚問は脇に置くとして、声に出して読んでみると「ぎんなんぎん」というはねるようなリズムがなんとも心地よく、それ自体が苦しみと楽しみが分かちがたく結びついた、作者の言葉にならない心境を物語っているかのよう。
作者にとって俳句はしょせん言葉を尽くした遊びであり、同時に、命をかけた遊びでもあったのかも知れません。あなたもまた、そうした苦しみと楽しみの両極のはざまにこそ自分の居場所や立ち位置を改めて見い出していきたいところです。
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得体の知れない人になろう
今週のみずがめ座は、「大愚」の気風を宿していこうとするような星回り。
爛熟期の江戸時代に、大阪で酒造業者をしながら、自邸を知識人の集まるサロンとして、書画や本草学・医学・蘭学などあらゆる分野の貴重な書物や物品を蒐集した木村蒹葭堂(けんかどう)という伝説的な人物がいます。
彼の家には毎日、様々な人が訪れ、また多くの人と手紙のやりとりをして、人びとは彼の影響を受けたようです。その意味で、彼は世間の媒体(メディア)になりきったのだと言えますが、その器の大きさはこうして彼の実績を書いてみても、いまいち掴めない感じが残ります。
ところが、当時の画壇の大御所である谷文晁が描いた彼の肖像画を見ると、それがなんとも特徴的なのです。その表情は、一歩間違えれば愚かにしか見えないのですが、それがギリギリのところで「大愚」すなわち大人物の気風となりえているのは、ひとえに対象へのリスペクトがあったからでしょう。あなたもまた、可能な限り自身を世間にむかって開いていくことがテーマとなっていきそうです。
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経年変化の楽しみ
今週のうお座は、自分を支えてくれてきたものへの、しみじみとした思いが浮かんでくるような星回り。
「膝がしら木曽の夜寒に古びけり」(小林一茶)は、作者五十三歳の頃の作。山深く静かな木曽の地では、秋の冷えも早い。こうして正座をしていると、寒さがしみるなあ、と突き出た自分の膝がしらを見ていたときの感慨を詠んだのでしょう。
しかし「古びけり」という表現には、単に自身の衰えや加齢への実感を表わしただけではなく、時の経過を俯瞰的に眺める視座や、そこでかすかに昂然としている作者の思いも垣間見えてきます。こんな自分を長いこと支えてくれて、よく頑張ってくれたなあ、今の自分にはなんだか底光りして見えるぞ、といいたい気持ちが出てきたのだろう、と想像してみても、そこまで不自然ではないはず。
中七の「きそのよさむに」という言葉の語感もまた、いかにも素朴で飾り気のない古樸な印象を受けますが、それは自身と文字通り二人三脚でやってきた四股への思いも重ねられていたのかも知れません。あなたも、うまくいけば自分が何によってここまで運ばれてきたのかということに改めて気付いていくことができるはず。
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