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『東京ヒゴロ』松本大洋が描いた情熱 漫画編集者にとっての財産とは?

2021年10月09日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『東京ヒゴロ(1)』

※本稿では、『東京ヒゴロ』(松本大洋)の内容について触れている箇所がございます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)


■一緒に漫画を作った思い出は一生モノ


 いまからおよそ四半世紀前のこと。当時の私は20代半ばの青二才だったが、フリー編集者のような立場で、神保町にある大手出版社のとある週刊漫画雑誌の編集部に勤めていたことがある。


 フリーの立場ではあったが、普通に連載作家(連載作品)の担当をさせてもらえていたし、この時代に先輩の編集者やデザイナー、漫画家たちから教わったさまざまなことが、現在(いま)の自分の財産になっているのは間違いないと思う。


 なお、くだんの編集部は、結局30を前にして辞めたが、そのあともしぶとく出版業界にはいつづけ、なんだかんだで、ここまでまさに“漫画みたいな人生”を歩んできた。


 ちなみに当時、担当していたり付き合いがあったりした漫画家たちは、いまだに現役の人が少なくないが(コレはなかなかスゴイことだと思う)、もちろん、消えていった作家もそれなりにいる。そういう人たちがいまどこで何をしているのか、私は知らないし、正直にいえば、知りたいとも思わない。だが、あの頃、一緒に漫画を作った思い出は、一生モノだと思っている。


 さて、そんな私が今回紹介したいのは、松本大洋の最新作『東京ヒゴロ』だ(現在、第1巻が発売中)。


 主人公の名は、塩澤和夫。立ち上げた漫画雑誌がコケて、その責任をとるために、30年間勤めた出版社を自ら辞めることにした、ベテランの編集者だ。第1話では、この塩澤が、過去に担当していた漫画家・みやざき長作のもとを訪れるエピソードが切ないタッチで描かれる。


 久しぶりに会った長作に、塩澤は淡々とした口調でこう告げる。「長作君、あなたの漫画は、かつて輝いていました。今、あの光はどこかへ…消えてしまった」


 果たしてこんな痛烈な言葉を、実際にプロの、それも、一時代を築いたことのある漫画家に対していえるだろうか。自分に照らし合わせて、考えてみる。たぶん、無理だ。でも、心から尊敬している漫画家が相手なら――さらには、自分が編集者を辞めるという挨拶の場でならば、いえないこともないかもしれない。 


 その言葉を聞いた長作は、一瞬激昂するも、塩澤の眼鏡のレンズの向こうに涙が浮かんでいるのを見て、おとなしくなる。塩澤がいっていることは、自分でも充分わかっているからだ。


 塩澤は、続ける。「でもね、長作君… あなたには再び輝いていただきたい…… 漫画から逃げないでいただきたいのです」


 これは、長作にいっている言葉であると同時に、塩澤が無意識のうちに自らにいいきかせている言葉でもあるだろう。


 そう、結局、彼はこののち、古書店に売ろうとした漫画のコレクションを手放すことができなかったり、急逝した漫画家・立花礼子の仕事場で、彼女の幻と語り合ったりしたうえで、再び「自ら編集したコミック本」を作る決意を固める。そして、立花の葬儀の場からまっすぐに、かつての“相棒”――みやざき長作のもとへと向かうのだ。


「私はもう一度、漫画を作ってみようと思うのです。描いていただけますか?」


 熱い。が、ここで、長作が間髪入れずになんと答えたのかを書くのはよそう。ただ、私はこの回の最後のコマで描かれている夜景のカットを見て、胸が熱くなるのを抑え切れなかった……。


 ちなみにこの『東京ヒゴロ』、その回だけでなく、毎回1ページ大の東京の風景の画(え)が、必ずラストに入る。それらはもちろん、主人公(たち)の心象風景でもあるのだろうが(実際、悲しい回の時は街に雨が降り、ポジティブな回の時はビルの上に満天の星空が輝いている)、この東京の街並の画が本当に美しい。


 本来なら、松本大洋が描くような、フリーハンドの線による歪んだ風景の画は、読み手に不安感を抱かせるもののはずだ。だが、本作に限らず、『鉄コン筋クリート』にせよ、『ピンポン』にせよ、松本が描く世界(風景)は、どこか優しくてあたたかい。


 それはなぜかといえば、魚眼レンズで覗いたような歪んだ世界に生きるキャラクターたちが、常に目の前の“歪み”に抗い、“上”を向いて進もうとしているから、そう感じさせてくれるのだろう。


 『東京ヒゴロ』の塩澤和夫ももちろん同じだ。彼は、長作だけでなく、かつて関係のあった、懐かしい漫画家たちに会いに行く。ある者は依頼を断り、ある者は引き受けるが、いずれにしても塩澤の情熱が漫画家たちの心に“何か”を残す。


 そう――塩澤和夫にとっての「人生」=「漫画」は、まだまだ終わってはいないのである。