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日本語で検索してもヒットしない場所へ 『奇界遺産』佐藤健寿に聞く、奇妙なものを撮影し続ける意味

2021年10月03日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

佐藤健寿が語る、奇妙なものを撮影する意味

 「奇界」という言葉は、世界各地に点在する「奇妙なもの」を撮り続けている佐藤健寿氏による造語である。それは単に私たちの世界に存在する「奇妙なもの」を指すのではなく、それらが堂々と存在している世界そのものが奇妙だ、という意味である。そうした奇界を写真集としてまとめた『奇界遺産』が出版されたのは2010年。それまでにあまり類を見なかった大型の美術書を思わせる写真集ながら、反響とともに人気を博し第2集が同じ判型で2014年に。そして2021年5月19日、第2集から7年を経て『奇界遺産3』が上梓された(3冊ともにエクスナレッジ刊)。


(参考:【ギャラリー】『奇界遺産3』より佐藤健寿氏撮影の写真


 今回、新作の『奇界遺産3』について、著者の佐藤健寿氏に1作目を出版した当時から今に至るまでの背景や旅のエピソード、また写真家としての考えなどを訊いた。


■新型コロナ禍で踏ん切りがついた第3集制作


ーー第2集から7年を経て今回『奇界遺産3』が出版されましたが、7年という期間には意図したものがあったのでしょうか?


佐藤健寿:(以下、佐藤)実はもっと前から第3集の制作は企画されていて、メールを見返したら2016年ごろに最初の打ち合わせをしていたみたいです(笑)。ですが、旅を重ねるなかで写真集に追加したいスポットも増え、「どうせなら行きたいところは全部行ってからまとめよう」と考えるようになりました。そして2018年に北朝鮮へ行くことができて、表紙の構想も含めてあらかた整いました。その後もダラダラと旅に出ていましたが、そうしているうちに新型コロナウイルスの流行が始まってしまい。


 さすがにどこへも行けませんし、「とうとうこの時がやってきたな」と(笑)。制作の過程を振り返ると作業開始から出版まで、ちょうど1年かかりました。コロナ禍がなければ、出版はあと1~2年は延びていたかもしれません。


ーーもともと、写真集として『奇界遺産』のシリーズを出版することになったきっかけは何だったのでしょうか?


佐藤:2007年に出版した私の初めての本は、紀行文というカタチを選択しました。そのときは写真集を出すつもりはなかったんですが、もともと美術大学に通っていたときに写真をやっていたこと、旅をして写真を撮っていくなかでかなりの枚数が溜まっていたこともあって、自然とそれらを本にしたいと思うようになったんです。


 書籍化しようと考えたとき、大型図鑑のような写真集をイメージして、いろいろな出版社に相談しました。今でこそ、このようなタイプの写真集は比較的目にするようになりましたが、2010年ごろはあまり類書がなかったので難しかったと思います。そうしたなかで、当時エクスナレッジさんが「これはいけるかもしれない」と話に乗ってくれたんです。「10年は残るような立派な仕様の写真集にしたい」という私のワガママも聞いてくださいました。結果、出版後10年経ってみて、いまも増刷されているので本当にこのフォーマットにしてよかったなと思ってます。


■「死」にまつわる儀式の取材が多くなっているワケ


ーー第3集までの期間で、旅や写真集づくりの中で気づきや意識の変化などはありましたか?


佐藤:第1集には、ひたすら内容の面白さを追っていて無邪気な印象があったと思います。それが2、3と進むにつれて、行く場所のハードルも上がってきましたし、いろいろと考えることもありました。


 2010年に第1集を出した年の12月にチェルノブイリへ行ったんです。その写真を第2集の一発目に載せようと思っていたんです。その時はチェルノブイリといえば、日本ではほとんどの人がその存在も忘れているような状況でした。それが、翌年3月に東日本大震災が起きて、一気に日本でのチェルノブイリの意味が変わってしまってしまったんですね。その後も他の撮影を続けながら、「科学って何だろう」みたいなことを考えていましたね。たとえば原子力は、事故が起きると瞬時に大量破壊につながってしまう恐ろしいものに変わってしまいます。一方で、同時期にもともとは大陸間弾道ミサイルとして作られたロケットは、冷戦を経ていま宇宙開拓に不可欠なものとなっている。もともと大量破壊兵器だった技術が人類の希望を切り拓いているわけです。そうした科学の二重性のようなところにも関心があって、第2集はロシアのバイコヌール宇宙基地を表紙にしたりして、少し重めのテーマになりました。


 そして第3集は、「前回考えすぎたかも」という反省も踏まえ、シンプルに面白いところへ行こうと思って撮影を進めました。この10年、ネットやスマートフォンが普及したりして、いろいろな変化が起きていたことが興味深かったです。たとえばロシア極北地方の先住民族・ネネツ族を取材したときのこと。彼らは電波が入らないのにスマホを持っていて、街に出たときに使うんだそうです。その子供たちも、住んでいるテントの中でジェネレータで充電して中国製のスマートフォンでゲームをしていました。ネットや情報によって、内側から均一化されている、それがこの10年におけるグローバル化なんだなと思いました。


 一方、今回の表紙にも使った北朝鮮は何もかも印象的でした。いまでも鎖国のような状態だしネットもケータイも使えないゆえに、そうしたグローバリズムから奇跡的に取り残されている。日本のすぐ隣にありながら、これだけ強烈な景色が残されていることに衝撃を受けました。これまで3冊を作ってきて、自分では「時代」というものを意識していたつもりはないんですが、知らず知らずのうちに反映されていて、結果的に通奏低音のように時代性は反映されていると思います。


ーー編集はどのように行われましたか? また、そのなかでストーリーはどのように考えますか?


佐藤:掲載する写真の順番など、編集はほぼ自分で考えました。撮影そのものが編集作業のようなところがあり、台割(本の設計図)が頭にあって制作過程で「この要素が足りないな」と思ったら撮影の旅に出かけるようなことをやっていました。まるでパズルを組み上げていくというか、究極の同人誌を作っているような感覚です。


 今回は「再生(ルネッサンス)」というキーワードを盛り込んでおり、見返してみますと「死」にまつわるものが多いなと自分でも感じています。実際、シリーズを通して死にまつわる儀式は出てくるんですが、平たく言えば「死」は一番文化的に皆が真剣になる部分なんですよ。たとえば結婚式は流行があったり派手なパーティなども含めてそこまでシリアスになる必要もない。でも死にまつわるものは、どこの国でも、民族でも、当然ながらシリアスだし、歴史的な方法が尊重されている。だから当然その土地の歴史や宗教、風土など文化的なものがぎゅっと凝縮されていることが多いんです。


■日本語で検索してもヒットしない場所へ


ーー1人の写真家として、こだわりや被写体への向き合い方、大切にしている自分のルールなどはありますか?


佐藤:被写体が多岐にわたりますので、絶対こうだということはないですね。場所によってそうしたルールのようなものはまったく通じないこともありますし、柔軟でいることが一番大事だと考えています。


 対象が凄すぎて「これは撮りきれない」と思うこともあります。たとえば北朝鮮のマスゲームは、行った瞬間に凄いなと思うと同時に、撮りきれないなと。それは物理的ではなく、何かしらもどかしさを持ち続けながら撮影している感覚といいますか。面白い場所であればあるほど、ファインダーを覗くのではなく肉眼で見ていたいというジレンマもありますね。


 また、いろいろな場所へ行って過剰に現地の人の生活に入り込むようなことは、できるだけしないように心がけています。もちろん相手が勧めてくれたならばそれを断ることはありませんが、どちらかというとこちらが「無」であるように、意識させないようにしています。短い時間のなかで「分かったような気になる」ことはむしろ相手に失礼だと思いますし、過干渉によって相手の文化を壊してしまう可能性もあるわけです。例えば先のネネツ族でいえば、僕が持って行ったドローンを子供達が興味深そうに見ている。それはもう良かれ悪しかれ文化的な影響を与えているわけです。そういうことには自覚的でいないといけないといつも思っています。


ーー『奇界遺産3』に収録されている中で、もっとも印象的な場所、またそれに関するエピソードをお聞かせください。


佐藤:先ほども話に出ましたが、北朝鮮はやはり面白かったですね。表紙の写真はマスゲームの様子で、国を挙げて大人数でやる集団演技なんですが、ずっと撮りたかったんです。前の指導者の金正日氏が亡くなってから行われてなかったそうで、金正恩氏の体制になってから5年ぶりくらいに行われたと聞いています。その数カ月前に行われることを知って、これはもう行かなければと、旅の手配をしました。


 マスゲームは平壌の大きなスタジアムで行われました。メインスタンドから見た反対側の正面スタンドに数万人の演技者たちが座っていて、私はとにかく一番いい席で写真を撮りたいと思っていましたので10万円くらい出して特Sみたいな席を買いました。そうしたらそこが北朝鮮の要人が座るような席で、実際前日には金正恩氏がその席で観覧していたそうです。当日は私とガイドの人だけが座っていたんですが、市民の人々からは「何者だ?」という感じで見られていて、手を振ったほうがいいのかなと思ったりもしました(笑)。


ーーその他、印象深い場所はありますか?


佐藤:「ドクター・クノッヘ・ミイラ研究所」も面白いですね。ベネズエラの、雷が毎日のように落ちる「マラカイボ湖」へ行く過程で偶然見つけたんです。ドイツ人の医師が内戦のべネズエラに移住して兵隊の治療にあたっていたのですが、こっそり兵士の遺体を自宅に持ち帰って、ミイラ化の研究をしていたそうです。最終的にミイラ技術を完成させた医師はアシスタントにレシピを渡して自分の死後ミイラになり、さらにアシスタントも誰かにミイラ化を託して全員ミイラになってしまいます。


 しばらくの間、廃墟になってミイラも盗まれたりしていたのですが、市が観光地にしようと、整備してレプリカを置いたそうです。でも流行らなくて、それも含めて廃墟になってしまったという凄い場所なんです。たぶん、これまでに日本人は誰も行ってないと思います。ちなみにここはネット検索しても日本語でヒットせず、英語のものが辛うじてありました。実はそういうのはけっこうありまして、泥に埋もれた街「レノケノンゴ」なども日本語ではヒットしませんでした。パプア・ニューギニアの「ノーコンディ」という精霊の踊りなども自分が撮影したのが実は「初演」だったので、写真も情報も全くネットにはなかったですね。


ーー先ほど「再生(ルネッサンス)」という言葉が出てきましたが、新型コロナ収束後の旅を含めて、今後の制作構想について何かございますか?


佐藤:ペスト以降のルネッサンスの時代(14世紀~)は新たな価値の転換がありました。それこそ私の本ではいろいろとグロテスクなものを扱っていますが、グロテスクという言葉はイタリア語で洞窟を意味するグロッタが語源で、ルネッサンスの時代に洞窟に造られた不気味な造形の美術が転意してグロテスクという言葉になったと言われています。


 そうした価値の転換や生命観の変化のようなことが、新型コロナのような大きな世界的な出来事を経て起きるかもしれません。もちろん、かつての時代と比較するとワクチンなどもすぐに出てきましたし、大きな価値転換につながるかどうか分かりませんが、何かしら影響はあるとすれば、今度はそうしたものを撮影に行きたいと思っています。


 『奇界遺産』のシリーズは、さまざまな事柄を「奇妙」という軸で一冊にまとめたことがポイントです。たとえば「エリア51」などはUFOの本くらいにしか載っていないんですが、その文脈ではなく「人間が作った奇妙なもの」という括りで他の奇妙なものと並べました。そんな本、私が子供のころにあったらすごく面白くて興味を持ったと思うんです。まさに私がやりたかったことでもありますし、そういう想いで今後もやっていきたいですね。


■佐藤健寿(さとうけんじ)プロフィール
世界各地の「奇妙なもの」を対象に、博物学的・美学的視点から撮影。主な著書にベストセラー写真集『奇界遺産』シリーズがある。2021年11月3日までライカギャラリー東京、ライカギャラリー京都、GINZA SIXにて写真展「世界 MICROCOSM」を開催中。2021年12月15日に写真集『世界』を発表予定。


(取材・文=木下恵修/写真=林直幸)