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祝『範馬刃牙』アニメ化 地上最強の親子を描いた原作の魅力を徹底解説

2021年10月02日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『新装版 範馬刃牙(1)』

 地下闘技場の最年少王者である範馬刃牙とその父、範馬勇次郎を中心に繰り広げられる格闘家たちの戦いの模様を描いて、30年を超える長期連載をいまもなお続けている『グラップラー刃牙』(板垣恵介/秋田書店)シリーズ。その第3弾である『範馬刃牙』が待望のアニメ化を果たし、Netflixによって配信がスタートした。今回はアニメで初見のファンのために、本作を観るにあたって押さえておきたいポイントを紹介しようと思う。


※本稿は『範馬刃牙』のネタバレを含みます。


関連:K-1三冠王者・武尊が語る、『グラップラー刃牙』の魅力と力士との戦い方 「“喧嘩”は力士がいちばん強い」


■“史上最大の親子喧嘩”


 グラップラー刃牙シリーズは実は最初から一貫して「強さとは? 最強とは?」という問いかけに対しての答えを描き続けている漫画である。『グラップラー刃牙』で問われたのは、まさに異種格闘技戦、公平なルールのもとで試合をしたらどの格闘技、武術が強いのか(結局は範馬の血が強いという結末だったが……)。


 続く『バキ』では“最凶死刑囚”との文字通りなんでもありの戦いを経て、中国に渡り中国武術の達人・海皇たちとの戦い、そして伝説のボクサーを父に持ち、独自の戦闘スタイルを確立したアライJr.を中心に、グローバルな戦いが繰り広げられてきた。


 しかし、ここまでの戦いはすべて“2番目に強い人間”の座を争うだけにすぎない。そう、この作品では1番は決まりきっているのである。その理由は、地上最強の生物・範馬勇次郎その人の存在だ。登場人物のほとんどすべてが地上最強の称号を手にすべく、範馬勇次郎への挑戦権を求め、戦いに身を投じている。刃牙シリーズにおいて、強さ=範馬勇次郎なのである。ではその勇次郎の強さの定義とはいったいなんなのだろうか? 今作で勇次郎は己の定義する強さの最小単位を示す。原作者・板垣恵介の中で導き出された強さの最小単位の結論は、生まれた瞬間から今現在に至るまでの範馬勇次郎の言動、行動を振り返れば説得力しかなく、その意味で勇次郎はまさに強さを体現している存在であることに違いはない。


 そして前作『バキ』の最後でついにその勇次郎が、息子である刃牙の挑戦を受諾する。今作『範馬刃牙』はこの“史上最大の親子喧嘩”を描いた作品である。来ることが約束されたその瞬間のために、勇次郎と戦うため、勝つための“強さ”を求めてさまざまな敵と戦う。それらすべてが勇次郎と戦うことを想定して、必要な力を手に入れるための準備期間である。


 しかしながら父親と喧嘩をするために刃牙が選んだ対戦相手はバラエティに富みすぎている。というのも、刃牙は相手を想定する「シャドーボクシング」の究極進化系ともいうべき想像力を備えており、目の前に空想上の相手を出現させることができるのだ。


 刃牙が対戦相手として思い描いたのは、全盛期のヘビー級チャンピオンや人間大のカマキリ。


 さらに「シャドー」だけではなく、作中で最高クラスの戦力を誇る地上最自由な筋肉の塊であり、「ミスター・アンチェイン」の異名を持つビスケット・オリバなどとの実戦を経験。そのなかで刃牙が気づくこと、変わらずに持ち続けている思い、勇次郎への思いの変化も見逃せないポイントのひとつであるといえよう。


 もちろん範馬親子だけではない、これまでのシリーズが生み出してきた名キャラクター、地下闘技場の格闘家たちの活躍も楽しめるポイントのひとつだ。今作では新たな敵との戦いによって、多大な代償を払うことになる格闘家も出てしまう。しかしうちひとりは板垣恵介先生をして「アイツはあの戦いでAランクの仲間入りをした」と言わしめるほどの勇姿を見せてくれる。彼らの奮闘ぶりにも期待していいのではないだろうか?


 刃牙と勇次郎、地上最強の親子がそれぞれの持つ強さに対してのイデオロギーのぶつかり合いの果てに、両者が見た答えとは⁉ 決着とは⁉︎ 本作の後も『刃牙道』、『バキ道』とシリーズは続いていくが、ある意味でひとつのクライマックス、ひとつの答えが出た『範馬刃牙』は特に印象的なエピソードが多い。地上最強の親子が求めた“強さ”がなんなのかを、常に感じながら考えて観てほしい……と思いつつも、強い男と男が出会ってしまったらどうなるか、向かい合ってしまったら何が起こるのか、何も考えずにシンプルにそこにワクワクするのが、正しい刃牙シリーズの楽しみ方なのかもしれない。