2021年09月29日 07:21 弁護士ドットコム
2018年6月9日午後9時45分ごろ、走行中の東海道新幹線「のぞみ265号」の車内で、無差別殺傷事件が発生。女性2人がナタなどで襲われ、止めに入った男性が殺害された。
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逮捕されたのは、当時22歳の小島一朗。小島には前科前歴もなく、住む場所や両親、友人もおり、これまでの無差別殺傷犯とは異なる人物だった。取り調べや裁判では、犯行の動機として「刑務所に入りたかった」「無期懲役を狙った」などと語っていた。
2019年12月18日。裁判(横浜地裁小田原支部)で言い渡された判決は「無期懲役」だった。判決を聞いた小島は「万歳三唱させてください。ばんざーい!ばんざーい!ばんざーい!」と腕を振り上げながら、大声で万歳三唱した。控訴せず、2020年1月に刑が確定。刑務所に収容された。しかし、小島の言動の意味や家族間の問題については何も語られず、謎は残されたままだった。
小島一朗とは、どんな人間なのか。その謎を明らかにするため、事件発生後から本人や家族への取材を続け、小島に迫り続けた女性がいる。写真家のインベカヲリ☆さんだ。9月28日に発売された事件ルポ『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』(角川書店)には、約3年にわたる取材で浮かび上がった小島の内面が描かれている。
なぜ、小島に迫ろうと思ったのか。インベさんに話を聞いた。
ーーインベさんは、これまで写真家として、女性を被写体にした写真を撮影されていますが、なぜ、小島に接触しようと思ったのですか。
写真を撮るときと同じように「人間」の心理を知りたい、「殺人犯」ではなく「人」としての小島一朗のこころの中を覗いてみたいと思いました。
私は、写真家としては「語る言葉」を持っている人を被写体にしているので、まずは本人の話を聞き、そこからイメージを膨らませ、写真の絵作りをするというスタイルで撮影しています。
もともと、事件への関心もありましたが、小島には掘り下げてみたくなる要素がたくさんありました。初期の報道では「刑務所に入りたい」「自分はホームレスをやったことがあって、食事を全然摂らなかったときの空腹感が快感になって忘れられない」など、小島の奇妙な発言が取り上げられていました。
これまで、たくさんの女性と会う中で、独特な言い回しや理解できない言葉が出てきた場合、そこを掘り下げていくと、その人だけの世界観が見えてくるということが多々ありました。小島についても、掘り下げた先に見えてくる「本当の動機」があるかもしれない、どこかで「普遍的真理」と繋がっているかもしれないと思ったんです。
ーーインベさんは、家族への取材もおこなっていますが、小島の家庭環境については、どのように感じましたか。
理解不能な殺人犯が現れるたびに、人は「自分とは違う生き物」だと切り離して、不幸な生い立ちを知って安心する心理が働くように思います。しかし、小島の家庭が飛びぬけて異常かというと、たしかに「歪み」はありますが、同じくらい問題を抱えた家庭はたくさんあるように感じます。すこし引いてみれば、珍しくない家族なんですよね。
ーー取材をおこなううえで、気をつけたこと、大変だったことはありますか。
写真を撮るときは、女性たちは「開いている」状態で来てくれるので、スムーズに話を聞けることがほとんどです。今回は、本心を語りたくない人に、無理やり語らせなければならなかった。つまり、相手と信頼関係を築き、話したいと思わせるところから始めなければなりませんでした。
取材の際に気をつけたことは、否定的な意見を述べずに話を聞くこと。単純に「小島一朗は、何を考えているのか」という問いだけに一点集中し、彼の頭の中を知ろうと努めました。小島は、わざと人を試すような言動をすることもありましたが、質問をくり返しながら「ひたすら聞き役に徹する」という立場を貫きました。
ただ、生々しい本音が聞けず、取材を中断しようと思ったことは何度もあります。本心が見えない小島に対して、「こころの奥」などないのではないか、と諦めを感じることが少なくありませんでした。
それでも、面会や手紙のやりとり、小島の祖母や母への取材、刑務所に入ってからの行動などを見ていくうちに、最後のピースがはまり、最終的に腑に落ちることができました。小島が求めているのは、生存できる場所としての「家庭」なんですね。ただ、その「家庭」は理屈で考えたものですから、一般的にイメージするものとはだいぶ違います。それでも、私は小島と長いあいだ接していたので、そこにリアリティを感じることができました。
ただ、「でも事件を起こす必要はなかったでしょう」と、感情としては思ってしまいますが。特に被害者のことを思えば、小島の理屈に「理解」はできても「納得」など、到底できません。
ーー小島は裁判で「刑務所に入りたかった」と語っていましたが、刑務所に何を求めていたのでしょうか。
小島は共働きをしていた両親の都合で、3歳まで母方の実家である「岡崎(愛知県岡崎市)の家」で過ごし、その後、父親の住む愛知県一宮市に引っ越しました。しかし、その頃から、父方の祖母に「お前は岡崎の子だ。岡崎に帰れ」と言われるようになり、その言葉がすべてになってしまいます。彼は、本来自分が育つはずだった理想郷としての「岡崎の家」を夢想し、そこに執着する人生を送り、「岡崎の家」はどこにもないとわかったとき、その理想を国家、刑務所に向けるようになりました。
一般的には、大人になる過程で視野は広がっていくものだと思いますが、小島は自分がみつけた「答え」にまっしぐらなんですよね。
彼はとても「言葉」を重視します。言葉で作られたルールに沿って動く方が、コミュニケーションがとりやすい。言動が矛盾したり、その場のその場で意見を変えたりすることもある家族よりも、「法律(ルール)」がある刑務所の方が息がしやすいというのもあるようです。
ーー実際に刑務所に入り、満足しているようにみえましたか。
人が一般的に「地獄」だと思うようなことが、彼にとっては「幸福」なんですよね。だから頭では満足はしていると思いますよ。精神状態は悪くなりましたが。
刑務所で暴れるたびに、刑務官や特別機動警備隊が対応しているようですが、小島は暴行を受けることに幸福を感じています。刑務所の職員は「業務」として対応しているだけなのですが、小島にとっては、愛情を感じられる場所なのだと思います。小島自身も、自分の行動について「幼児退行」だと言っていましたし、自ら絶食して死に向かっても、実力行使で無理やり生かされる場所を「理想の家庭」と考えているとわかりました。
ーー取材の中で、被害者に対する思いを語ることはありましたか。
被害者に対する申し訳なさのようなものが書かれた手紙が届いたこともありますが、小島が心から自分のやったことを理解しているかどうかは怪しいですね。
小島は、殺人行為をおこなった際のことを淡々と記憶していました。精神的に取り乱すことなく、冷静に行為に及んでいるんです。殺人をおこなうということの感覚が、そもそも普通の人と違うのではないか、と思うところはあります。
ーー事件が起きると「どうすれば防ぐことができたのか」という議論になることがしばしばありますが、インベさんは今回の殺傷事件について、どのようにお考えですか。
「何が抑止になるのか」という視点では書いていませんが、小島なりに「これをすれば、自分は刑務所に入らなかった」という言い分はあるようです。しかし、私自身は「答えはない」と思っています。
読む人のバックグラウンドによっても、反応するポイントは変わってくると思います。本を通して、この事件に対する様々な視点からの意見が語られるようになってほしい。「なぜ事件は起きたのか」、裁判でもまったく明らかにされてこなかったことを記した者として、「わけのわからない事件」として追いやられ、風化されることがないようになってくれればと願っています。
【インベカヲリ☆さん】
東京生まれ。写真家。ノンフィクションライター。写真集に『やっぱ月帰るわ、私。』、『理想の猫じゃない』、『ふあふあの隙間』①②③(すべて赤々舎)、著書に『私の顔は誰も知らない』(人々舎、2021年中に発売予定)など。「新潮45」などに事件ルポを寄稿してきた。