9月、秋葉原の名店「肉の万世」が本店の入るビルを売却していたことが明らかに注目を集めた。売却後も営業を継続することもアナウンスされ、長年の顧客はホッと胸をなで下ろしたのだが、調べていたら、知られざる秋葉原の謎を見つけてしまった……。(取材・文=昼間たかし)
コロナ禍で「いつか、きっと」の夢も消えた
「肉の万世ビル」といえば、その名の通り万世橋のすぐそばにそびえ立つ、上から下まで肉料理の店舗で満たされたビルである。しかし、コロナ禍の影響でビルのおもむきは大きく変わった。上から下まで各フロアにあったレストランの一部は閉鎖、現在は1~5階までで営業している。
基本、上階に行くほど値段が高くなる設定だった秋葉原本店。なにかのお祝いに、あるいは目標を達成した時には「あの一番上の階で好きなだけ肉を食べよう」と考えていた人も少なくはない。そんな野望もコロナは奪ってしまったのだ。
ただ、嬉しいのはビルの売却後も、営業続行が決まっていることだ。
ビルを購入した日鉄興和不動産は「中長期的に賃貸運用する」とアナウンスしている。同社は、出版社「竹書房」の本社ビルを購入したことでも話題になった企業である。竹書房本社ビルは、取り壊しと再開発が予定されているが、肉の万世ビルのほうは、まだまだ具体的な計画が決まっていないようだ。
昨今、秋葉原では外神田一丁目で、新たな再開発の計画も噂されているが、まだ構想段階で地権者の合意も得るには至っていない状況である。そう考えると当面、肉の万世ビルは残り続けそうだ。
向かいの名所も気になった。
ところで、肉の万世は、本社ビルと中央通りを挟んだ向かいの名所「ラジオガァデン」でも名物カツサンドを販売していた。こちらもコロナ禍の影響か規模は縮小し、現在は自動販売機コーナーになっている。
この「ラジオガァデン」は、かなり前から「日米無線電機商会(2018年閉店)」などジャンクパーツを売る店舗が軒を連ねていたガード下の建物である。
この建物の歴史は、終戦直後に神田・秋葉原・御茶ノ水の各駅周辺に沸いた露天に由来する。この界隈の露店の賑わいはすさまじく「原爆以外なら何でも売っている」といわれるほどだった。
焼け野原となった東京のあちこちに増殖していた露店は1949年、連合国軍総司令部(GHQ)が公道上の露店撤廃を命じ一掃された。そうした露店の移転先として生まれたのが、「秋葉原ラジオセンター」「東京ラジオデパート」そして「ラジオガァデン」などの施設であった。
「ラジオガァデン」は、中でも「ヤミ市感」が残る建物だが……。いまは誰が所有しているのだろうか。ちょっとした興味で、調べてみたら、驚いた。登記簿謄本を取ってみると、建物の登記が存在しなかったのだ。
ラジオガァデンがあるのは千代田区神田須田町1丁目25だ。登記情報提供サービスのサイト上で表示される図面上では、ラジオガァデンの建物の上には「12」と表示されている。同サイトで検索すると、「千代田区神田須田町1丁目25-12」に建物の登記はなかった。
「ラジオガァデン」って「公衆用道路」なの?
土地のほうは2009年11月に所有権保存登記(所有者を明示する登記のこと)が行われ、千代田区の所有となっている。そして地目(土地の用途)は「公衆用道路」となっていた。
「公衆用道路」とは一般に私道など、行政の管理する道路以外の道路に使われている土地のことを指す。ただ、あくまで道であるから、その上に建物を建てることは認められないはず。
ようは、本来なら道路であるはずの土地の上に、登記のない謎の建築物が存在しているのが「ラジオガァデン」なのである。
なんで、こんな現在もヤミ市時代が続いているようなアヤシゲな状況になっているのか。
千代田区役所を訪ねてみたところ「このあたりは、もともと動きが多い土地なんですよね」として、次のようなことを話してくれた。
「もともと、GHQの露店整理の時に店舗を構えたことは確かでしょう。その店舗の土地が現在は千代田区に譲与された形になっています。ただ地目は<公衆用道路>となっていますが、区では道路用地として扱っているわけではありません。現状、地代も取っていません。建物の登記がないということは、そういうことなのだと思います」
登記簿に附属する地積測量図には、2009年1月にジェイアール東日本調査測量が測量したと記録されている。
「ラジオガァデン」の隣接地にはかつて交通博物館があった。同館は2006年に閉館し、跡地はオフィスビル(JR神田万世橋ビル)などになっている。この再開発の際に土地の境界を画定させるまで「ラジオガァデン」は、誰の持ち物か、よくわからない土地として存在してきたようだ。
さらに精査したところ、隣接するJR東日本の所有地「神田須田町1丁目25-3」に、「軽量鉄骨陸屋根平屋建」の店舗の登記があった。これがラジオガァデンだとすると、建物は千代田区の土地だけでなく、JR東日本の土地にもまたがって建っているのかもしれない。
繰り返しになるが、千代田区によると、区所有の25-12は「公衆用道路」。区としては「25-12の土地に占用許可は出していない」とのことだった。
こんな東京のど真ん中、千代田区に、いわば「戦後のドサクサ」が2021年になっても、なお継続している場所があったとは……。もうこれは、ある意味、歴史的価値のある場所といっていいのではないか。この街の魅力の欠かせない一部である「アヤシサ」を伝えていく場所として、「肉の万世ビル」とともに末永く残ってほしいと思った。
※9月29日17時30分、登記についての説明を追記しました。