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はらだ有彩の『HEARTSTOPPER』評:ありふれたコイバナが手の中にある救い

2021年09月18日 09:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 『HEARTSTOPPER ハートストッパー』というコミックがさざなみのように静かに、しかし確かに話題を広げている。青春BLコミックとしてイギリスで出版された本作は、今や世界23カ国で翻訳され、さらにNETFLIXでの実写化も決定。LGBTQ+への深い理解が示された、あまずっぱいボーイズラブストーリーが、普遍性を持って多くの読者に届いている。リアルサウンドでは『日本のヤバい女の子』シリーズや『女ともだち~ガール・ミーツ・ガールから始まる物語』などの著書で知られるテキストレーター・はらだ有彩のレビューを掲載する。(編集部)


(※本稿には、セクシャルマイノリティに対するいじめについての言及があります。)


 ありふれたコイバナとは、基本的につまらないものである。恋した相手が地球の運命を背負って立つアンドロイドだったとか、宇宙スパイだったとか、人魚だったとか、そういう突飛な設定でもなければ、古今東西、代わり映えしないものである。そしてそんな代わり映えしない、自分の毎日にも起こりそうな、どこにでもありふれた恋の話が、手の中に存在することそのものに救われるという経験をした人は、たくさんいる。


 『HEARTSTOPPER ハートストッパー』の主人公、イギリスの男子校に通う10年生、チャーリー・スプリングの恋は、誰の毎日にも起こりそうなものだ。学校の縦割りクラスで偶然出会った、1学年上の明るくて活発なスポーツマン、ニック・ネルソン。先輩を好きになって、ああ、好きかも、好きだなあ、と涙が出るような気持ちを抱えて、iPhoneでありったけの恋の歌を詰めたプレイリストを作り、ハイ・テンションな日記を書きなぐり、メッセージを何度も書いては消し、返事が来れば飛び上がり、一緒にパーティーを抜け出し、都合よく告白される妄想なんかを楽しみ、切りすぎた髪型を気にして、でも会えるだけでうれしい。あるいは見事両想いになって、土曜日にお互いの家を訪ねたり、ふとした横顔にたまらなくなったり、家でいちゃついているときに家族に出くわしそうになってハラハラしたり、映画館で映画そっちのけで手をつないだり、その手の温かさに映画そっちのけで感動してみたり、ペットと海へ出かけたり、海に向かってバカバカしく愛を叫んで転げまわって笑う。こうやって文字にしてみると、ハリウッド的スペクタクル映画のシナリオには全く向いていなさそうな、小さくて、穏やかで、熱く温かく、ごくなだらかなジェットコースターのような恋だ。私がJ-POPでプレイリストを作るなら、スピッツは外せない(個人の見解です)。


 もしもチャーリーの恋がありふれたものでないとすれば、それは、彼の恋をありふれたものとして取り扱わない者がいるからだ。すなわち現在進行形の社会と、社会の空気を鋭敏に吸い込んで内面化してしまった数人の登場人物たち(つまり現実世界のどこにでもいる人々)である。


 チャーリーには、去年、ゲイであることを数人に話したら瞬く間に学校中に噂が広まってしまったというつらい経験がある。今は友達がたくさんいるけど、上級生がとめてくれるまでいじめは収まらなかった。幾度となく恋人っぽい逢瀬を繰り返してきたベンは、既にみんなにゲイだと知られている自分を利用して、気が向いたときに男といちゃつきたいだけだとチャーリーは感じている。学校には今もゲイフォビアの生徒や、自分をゲイフォビアではないと信じながらジョークの範囲でなら面白おかしく揶揄してもいいと思っている生徒が大勢いる。


 宝塚大学看護学部 日高庸晴教授による2016年の調査【LGBT当事者の意識調査―いじめ問題と職場環境等の課題―(ライフ ネット生命委託調査)】(有効回答数15,141件のうち国内在住者15,064件について言及)によると、小・中・高校の学校生活におけるいじめ被害を全体の約6割が経験している。同性愛について、学校では全体の約7割が一切習っていない(10代は5割弱)。授業があった場合には、2割を越える人が異常なものとして、または否定的な情報とともに習っている。また、7割以上の人が職場や学校で差別的な発言を経験している。


 同じく日高教授による2020年の調査【第2回 LGBT 当事者の意識調査ー世の中の変化と、当事者の生きづらさー(ライフネット生命委託調査)】(有効回答数10,769件)によると、性的少数者の約25%が、アウティング(編集部注※人のセクシュアリティを本人の了承を得ずに暴露すること)を経験している。


 これは日本国内を主な対象とした調査だが、こんな環境がチャーリーに小さくて、穏やかで、熱く温かく、ごくなだらかなジェットコースターのようなただの恋を諦めさせていたことは想像に難くない。「こんな幸せは僕には一生訪れない」と、チャーリーはずっと思っていたのだ。


 幸せは僕には一生訪れない。こんな、手あたり次第恋の映画でも観たくなっちゃうような、観たら観たで軽いキスシーンさえ意識してしまうような、温かく気恥ずかしい愛おしさに満たされる日が来るなんて。好きな人と、お互いに、本当に好きだなあと泣きそうになりながら抱きしめ合うことがあるなんて。


 あるなんて。


 思えなかったのだ、今まで、14歳の子どもが。


 チャーリーと同じように、「幸せは自分には一生訪れないかもしれない」と感じている子どもが(あるいは大人が)、「いや、こんなありふれた幸せは、もしかすると自分にもあっさり訪れるのかもしれない」と思い直し、そんな涙が出るような心地を持ち続けたままフィクションを読み進めることは、実は案外難しい。ことによっては彼らを傷つけるのは、物語の中で彼らを笑おうとする魂胆よりも、そんな浅ましい魂胆を「つい」見逃してしまう善良な傍観者たち、つまり作者の無邪気な手抜かりだったりするからだ。


 チャーリーとニックの周りには傍観しないキャラクターが散りばめられている。あいつらってゲイなのかな?と勘ぐる生徒に、そんな想像は下品なことだと教える教師。いつも人間として尊重してくれる家族。自分もゲイなのだと笑って名乗り出て、誰かに自分の話をできる喜びを教えてくれる友人。


 あまりにも残念でならないが、先に挙げた調査結果が示すように、こんな風に寄り添ってくれる登場人物がフルコンボで揃うことは、現実世界ではなかなかない(そして傍観しない登場人物に見守られていてもなお、チャーリーとニックは劇中で何度も傷つけられる)。


 『HEARTSTOPPER』2巻の最後に、作者のアリス・オズマン氏のコメントがある。理解あるパートナーがいなくても、愛情深い家族がいなくても、抱きしめられる犬(※ニックの愛犬、ネリーは全コマものすごくかわいい)がいなくても、大丈夫。大丈夫である理由について、オズマン氏は「いつかありのままの自分を愛してくれる誰かに出会えます!」と書いている。


 その「いつか」がたった今でない事実は、社会の、ひいては私たちの怠慢であることは疑いようがない。それでも、というか、だからこそ、いつかその「誰か」に出会う(あるいは「自分は愛する仲間に囲まれながら、パートナーを持たずに生きるのに向いているな」と思い至ったりするケースもあるだろう)までの時間を温かい毛布でくるんでくれる物語が、自分の手の中にあることは確かに救いになる。それは心臓をとめてしまう(heart stopper)ほどのときめきに満ちた、代わり映えしない、自分の毎日にも起こりそうな、どこにでもありふれたコイバナであるべきなのだ。


■書誌情報
『HEARTSTOPPER ハートストッパー』1~3巻発売中
著者:アリス・オズマン
翻訳:牧野琴子
出版社:トゥーヴァージンズ
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