写真はイメージ(y kawahara, CC BY 2.0
「親ガチャ」というネットスラングがにわかにブームになっている。カプセルトイ(ガチャガチャ)になぞらえて、どういう親のもとに生まれるか、出生時点で人生の運不運が決まっている状況を示したワードである。
だいたいはネガティブな意識で自分の人生がうまくいかない原因を幼少期からの境遇に求めて「親ガチャにハズレた」といった使われ方をしている。ならば「親ガチャ」に当たって東大生になったような人は、ホントに幸せな人生を送っているのか? 東大卒の人たちに「親ガチャ」について聞いてみた。(文:昼間たかし)
学力と親の収入は比例する残酷な事実
さて、一般的に社会で成功するには、偏差値の高い大学を卒業することがもっとも大きな条件として挙げられる。子供向けの偉人の伝記本なんかを読んでいると、貧しい境遇に生まれて寝る間を惜しんで勉強した人物がよく取り上げられる。薪を切って運ぶ間も本を手放さなかった二宮金次郎なんかは、その代表格である。
でも、そんな偉人の逸話が伝わっているのは成功したレアケースだったからだ。実際、ビンボーな家庭に生まれたが、努力して偏差値の高い大学に入れるのはレアケースである。
おおむね、学力が親の収入と相関関係があることは、多くの調査研究で明らかになっている。例えば2018年にお茶の水女子大学が発表した「保護者に対する調査の結果と学力等との関係の専門的な分析に関する調査研究」では「世帯収入が高いほど子どもの学力が高い」「保護者の最終学歴も、学歴が高いほど子どもの学力が高い」ことが明らかになっている。
より残酷な実態を示すのは、東京大学が毎年実施している「学生生活実態調査」である。最新2018年度版の「家庭の状況」を見てみよう。この中の重要なデータは次の部分である。
・実家の所在地は東京都が35.2%。東京都以外の関東が34.5%
・父親は管理的職業が42.3%
・母親は無職が34.2%
・収入の最多は950万円以上1050万円未満の21.3%
ようは「受験は誰にとっても平等」というのは幻想。実際には東京あるいは首都圏に実家があって、父親が企業の管理職で1000万円プレイヤー、母親が専業主婦の家庭に生まれた子どもと、地方の一般的な家庭に生まれた子どもだと、最初からスタートラインが全然違うのだ。
生まれた時点で親が金持ちなら、勉強する環境が整っていて教養も得やすい。一方、親がビンボーならばそうはならない。この観点はフランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱されたもので、彼の示した「文化資本」という言葉もネットでは見かける機会が多い。まあ、こんな学術用語を用いなくても、親が本を読まない家庭では子供も本を読まず、学校の成績も悪いというのは、体験的に誰もが知っている。
だからこそ「親ガチャ」という言葉は真実味を持つ。自分の不幸な境遇を嘆くときに過去を振り返り「親がこうしてくれれば」「あの時、あのことをできる環境だったら」と不幸な星の下に生まれたことを嘆くのだ。
実家は太いが人生はボロボロな人たち
でも、親が金持ちだったり、勉強や教養を身につける環境にあったりと「親ガチャ」に恵まれた人は幸せな人生を送っているだろうか。残念ながら、必ずしもそうとは限らない。
以前、筆者が東京大学で開かれた催しに参加した時のことである。近くの席に、ひどく目立つ女性が座っていた。独特のファッションをしたその女性は、なにかに怯えているかのように、しじゅう小刻みに震えていたのである。
あまりに気になったので、隣に座っていた顔見知りの東大生に「あの人は気分が悪いのかな」と囁いた。すると「あの人はいつも、ああなんですよ」というのだ。どういうことかと、あとで尋ねたら、こんなことを教えてくれた。
「彼女はオナクラ(同じクラスのこと)なんで聞いたことがあるんですが……子供の時からずっと母親に『勉強しなさい』と叱咤されて育ってきたそうなんです。それで、無事に東大に入ったら、お互いに勉強以外に共通の話題がなかったので親子の会話が消滅してしまったそうなんです。それで、心身を病んでしまったんですよ」
聞けば、ずっと勉強に専念できる恵まれた環境で育った結果、壊れる東大生というのは多いらしい。ほかの学生からは、こんな話も。
「実家が超大金持ちの同級生がいたんです。それで東大生だからフツーに考えたら人生の成功に向けてレールが敷かれているようにみえるじゃないですか。ところが、聞けば子供の時から父親にボコボコに殴られながら勉強だけしてきたっていうんです。結果、自分でなにかを考えて行動する思考ができなかったみたいで、履修の時期になって『どの授業を履修すればいいかわからない。シラバスがつくれない』と呆然としてましたよ」
これだけ聞くと悲惨な学生生活まっしぐらのように見えるが、その後「同じような境遇の女子」と恋愛して、そこそこうまくいっているという。こんなケースだと親ガチャに当たったのか、ハズレたのやらわからない部分もある。
それでも彼らは世間から見れば「親ガチャで大当たり」をしている人に分類されるだろう。親の経済力をうまく利用して立ち振る舞えば途端に人生は好転するのだから。彼らの嘆きには「じゃあ、代わってくれよ」というツッコミがあちこちから入りそうだ。
周りと比べていたらきりがない
さて、続いて話を聞いたのは東京大学を卒業後、某人気アニメの仕事に携わっている男性。変名でライトノベルも出版しているそうで、ちまたのワナビー(なにかになりたがるが、実質がともなわない人)からすれば、見事なまでの成功者である。そんな彼でも「親ガチャに外れたと悩んだことはある」という。
「地方出身で両親は公務員ですから、東京に来るまでは自分は恵まれていて成功していると思ってたんです。でも東京生まれ東京育ちの同世代と話すと観たことのある映画の数も、本も格段に違うんです。自分も東京で生まれていたら、もっと文化的素養のある親だったら……と思うと悲しくなりましたよ」
でも、そうした悶々とした気持ちも今は次第に薄れているという。
「結局、親は選べないじゃないですか。隣の芝生は青いという言葉はありますが、どうやっても過去を変えることはできないから、折り合いをつけていくしかないですよ」
さらには、こんな言葉も。
「親ガチャに外れたという悩みが消えたのは、自分の居場所が見つけられたからだと思う」
様々な人に話を聞いてみたが、「親ガチャ」を口にするときに、誰もが声を大にして語るのは「もっと金持ちの家に生まれたかった」という思いだ。はたから観ると高学歴高収入の人でも、そう主張するのである。確かにビンボーな家庭に生まれるよりは、経済力のある家庭に生まれたほうが人生は安心だ。大病を患ったり、失業した時なんかには、とくにそんな思いに囚われるだろう。
しかし、彼らのように裕福な親のもとに生まれて東大にやってきたような人ですら、「親ガチャ」の呪縛からはなかなか逃れられないのだ。そう考えるとちょっとスッキリした。結局どれだけ悩んでも、リアルな人生は「リセマラ」できるわけじゃないしね。