isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
1ヶ月ごとの運勢グラフ 今週のおひつじ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
鬼かUFOか
今週のおひつじ座は、既知のものが未知のそれに変わっていくような星回り。
思春期には遍歴が必要ですが、今のような高度な産業構造が確立したグローバリズムの時代にはそれがほとんど不可能となりました。その代わり、映画『未知との遭遇』のように中年に入った四十代あたりでUFOを見たりする訳です。
あれは「未知との遭遇」と言いながら、実際にはフライング・ソーサー(空飛ぶ皿、円盤)ということで「既知との遭遇」なんです。思春期のころに、自分の身体性の延長として世界に接触しようとした時に、「いい学校にいくこと」だけが人生ではないと感じつつも、自分に見合う価値観が見つからなくて、ズレが生じてしまう。
その意味で、UFOというのは一種のデジャ・ヴュ(既視感)であって、思春期で意識がズレたときに戻ろうという衝動の現われなのかも知れません。そこで、これまで当たり前に身辺にあった既知のものの中に、未知が帰ってきて、そこに飛び込んで改めて一人きりになったり、生まれ直しをしていくのではないでしょうか。あなたもまた、自分のなかの潜伏していた衝動の容れ物(UFO)を見出していくことができるかも知れません。
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水と大地と信仰を整える
今週のおうし座は、大切にするべき思想や哲学を、実感や体感に落としこんでいくような星回り。
それはまるで、「水澄みて長き藻のその汚れやう」(岩田由美)という句のよう。秋が深まって水が澄んできた。澄みわたった水中に、長い藻がなびいているのが見える。それがなんと汚れていることか、というのが大意でしょうか。
「水澄む」は、秋という涼やかな好季節の到来やその静かな深まりを感じさせるような、通常はいい気分を含んで使われる季語なのですが、ここではそうした意味でのいい気分というのはありません。
むしろ、澄んだ水の奥で水流になびく藻を「凝視する」という、どこか緊張感をはらんだ身体性が強調されており、そこから、特定の藻に付着した澱のような存在にまで気付いてしまう訳ですが、ここには見ること、生き続けることの果てにある、荒涼たる真実味が込められているように思います。あなたも、これまで曖昧にしてきた領域について、「水澄む」がごとく知見を得ていくことができるかも。
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非連続的な生を生きる
今週のふたご座は、ある意味では以前と同じなのに、ある意味で変化している何かに気が付いていくような星回り。
「周囲のものの非現実性の感覚。私は一度この感覚に襲われたことがある。そして、多くの人はこの感覚を、精神的な病が発症する前に感じる。すべてがなんとなく現実でないように感じられるのだ。しかしそれは、不明瞭に見える―あるいは、ぼやけて見える―といった感じではない。すべてはいつもと全く同様に見えるのである。」(『心理学の哲学―1』)
ここで言われている「周囲のものの非現実性の感覚」とは、さながら『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』で、のび太たちがタイムマシンで妖怪にすっかり支配されパラレルワールドと化した現在世界に戻ってきた時のような、よそよそしい異物感にも似ていますが、にも関わらずのび太のママはあくまでママであることには変わりないのです。
過去から現在に戻ってくる前と後では、外見的は変わらないものの(実際には中身は妖怪にすり替わっている)、ただその「アスペクト(相貌、表情)」は微妙に変わった、と哲学者のウィトゲンシュタインは表現してみせた訳です。あなたも、そうしたある種のゲシュタルト崩壊としての「アスペクト変化」を察知していくことになるかも知れません。
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すってー、はいてー
今週のかに座は、すこし楽に構えられるようになっていくような星回り。
「我庭の良夜の薄(すすき)湧く如し」(松本たかし)は昭和十六年(1941)年の作で、月にほのかに照らされた薄(すすき)を「湧く如し」と表現したところに言葉の深いあやを感じさせる一句。これまでもそこに生えていたものの、月光を浴びた「薄」を見て、作者は改めてまるで初めてそれに気付いたかのような新鮮な印象を抱いたのでしょう。
一方で、「我庭」という言い方には強い愛着を感じますが、それはみずからの人生や生き方への充足感や執着が潜んでいる、内的世界の象徴なのかもしれません。そこに、ひょんなことから月光が差し込み、無数のすすきが湧いて出たのです。
身から出た錆ならぬ、庭から出た薄という訳ですが、それはいつの間にか根を張っていたもののもたらした果報であり、余計な力が抜け落ちて、わずかながらしがらみから解放されたことを意味しているのではないでしょうか。あなたもまた、こころや身体にすこし余裕をもたせることで、初めて見えてくるものが出てくるはずです。
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不意に語り始めた私は
今週のしし座は、揺らぎの中にある<私>を出発点にして、自分の言葉で語っていこうとするような星回り。
解体新書、通称『ターヘル・アナトミア』。1773年に刊行された西洋の医学書を日本語で初めて紹介した意欲的な労作であり、同時にその翻訳作業自体が医学を超えて日本が西洋の文明との落差に気が付いてしまった大事件であり、ひとつの危機でもありました。
それ以降、日本及びその支配層は「科学技術」こそが自分たちを豊かにしてくれるものと信じて疑わず、結果的に戦争にまで到ってしまった訳ですが、それでも当時の人たちにとっては、解体新書はこれまでのシステムや体制をみずから壊して再建していくきっかけともなったのです。その意味で、今のしし座の人たちもまた、そうした当時の日本に近い状態にあるのだと言えるかもしれません。
これまでのなんとなく抱いていた違和感や、これではいけないというそこはかとない思いが、具体的な輪郭をもって浮き彫りになってくることもあるでしょう。くれぐれも、短期的に解決しようとしたり、ごまかして無視することのないよう、今週は心して過ごしていくこと。
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こころのうごき
今週のおとめ座は、何でもないような仕方で深く心を響かせていくような星回り。
「未だ二人端居してをりねたましき」(古田中久二雄)という句を詠んだとき、作者は死期が迫った病人としてあり、永眠時もまだ二十七歳の若さでした。同時期の句に、「秋風や生きねばならぬわけもなく」というものもあります。
つまり、「端居」している「二人」を見て「ねたまし」いという告白は、生きねばならぬわけもなくなってきた人の詠嘆であり、単なるねたましい気持ち以上の何かだった訳です。それは諦めとも執着ともつかないような、ただ大いなるものの力に引かれてゆくのをひしと感じつつある、いのち知る者の深い心の哀れさであり、嫉妬や羨望とは正反対のなにか透明な感情だったのではないでしょうか。
人間悟ったようなことを言うほど悟ってないのと同様、悟ってないことを言うほど悟っているのだと思わせることに、これほど成功している句も滅多にないのではないでしょうか。あなたもまた、なかなか折り合いのつかない思いにこそ、いっそ正反対の表現を与えてみるといいかも知れません。
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ラッキー・ストライク!
今週のてんびん座は、びっくりするような認識を掘りあてていくような星回り。
作家の須賀敦子が学生時代ひと夏をロンドンの屋根裏部屋で過ごしていた頃の話として、ゴミを捨てにアパートの階段をおりた際、思いがけず地下室の住人と鉢合わせになったことをきっかけに、次のような思い出について書いていました。
「思いがけない窓のならんでいるのを見て、私はこどものころ読んだ話を思い出した。キエフだったか古いロシアの町に、靴職人がいた。その男は地下室のような部屋に住んでいたが、場所が場所だし、職業がらもあって、道を通る人たちの靴をいつも注意して見ている。靴から上は見えないのだけれど、靴を見ただけで、男にはそれを履いている人の寿命がすっかりわかってしまう。そんなふうにストーリーが始まるのだった」
私たちはほとんどの場合、自分の足の下がガランドウになっていることなど想像だにしません。須賀が出会った地下室の住人である老婦人も、まさにキエフの靴屋さんと同じような造りに違いないと直感したからこそ、彼女の記憶に深く刻まれたのでしょう。あなたも、こんな角度から自分に向けられていた視線があったのかという、新鮮な出会いに不意に開かれていくことがあるかも。
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思いの連なりの中で
今週のさそり座は、自分のある部分を未来に向け変えていこうとするような星回り。
戦争を直接体験した世代の平均年齢が80歳をこえ、急速に少なくなってきているいま、「戦争はもうこりごり、そんな記憶は忘れたい」という気持ちよりも、「忘れてはなるまい」という願いや必要がとみに強まっているように思います。
「墓を出て兵が月夜の芋を掘る」(小鷹奇龍子)の句もまた、そんな自戒の思いをもとに、ただしまだ戦後三十数年の頃に詠まれたもの。飲み食いということは、人間の最も切実な現実的な願望であり、生まれてから死ぬまで私たちからついて離れないものですが、ここでは死んでもなお離れられない人間の姿を半ば幻想的な光景として描きだしています。
とはいえ、ここには単なる感傷を超えた重みがあり、戦後七十余年という時の流れをたっぷり含んでわが身にのしかかってくるように感じる人も多いはず。あなたもまた、自分にとって切実な現実的願望を個人的なレベルだけでなく、世代的なレベルや社会的レベルにおいてもどれだけ深く自覚していけるかが問われていきやすいでしょう。
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創造的な追求とは
今週のいて座は、単なる「真似」ではなく自分なりの「創造」を選択していこうとするような星回り。
『母をたずねて三千里』というアニメをご存知でしょうか。1880年代のイタリアに暮らす少年マルコが、アルゼンチンへ出稼ぎにいったまま音信不通となった母を訪ねるために旅に出る物語なのですが、彼の移動した距離が尋常ではないのです。
1里が約4キロなので、三千里だと1万2000キロ。稚内から屋久島までが約3000キロなので、約2往復分の距離を9歳の子供が船と歩きで旅する訳ですから、もう空前絶後の大巡礼です。
しかも主人公のマルコは「元気で働き者だが、頑固で気分屋の少年。すぐに思い詰める癖があり、悲観的に考えてしまう」のだとか。こういう性格で大人だったら相当癖が強そうですね。でもそういう子だったからこそ、1万2000キロの踏破が可能だったのかも知れませんし、そこまでしなければ素直になれなかったのかも。いて座もまた、それくらいのスケール感を目指していきたいところです。
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いっかいおやすみ
今週のやぎ座は、圧倒的なインプットにたっぷりと浸っていくような星回り。
「遠くのひとと話せる装置秋の野に」(村越敦)は、数多くの花が咲き、草むらではたえず虫の音がひびく「秋の野」をひとつの装置に見立てた一句。耳をすませば遠くから虫の音が聞こえ、視線をあさっての方向に向ければ足元を見ろとばかりにおどかされる。秋の野にはそういう楽しさがありますが、それを「遠くのひとと話せる」と表わしたところに作者の内的世界の奥行きを感じます。
夢ともうつつとも定かならぬ視覚と聴覚のあわいに秋が深みゆくのと同期して、<私>もまたここではないどこかへと深みゆき、それとともにアクセスしていく記憶や景色も変わりゆき。
「秋の野」という「装置」は、そうして直接自分が見聞したことがないところへ導いてくれる天然のアトラクションであると同時に、いつの時代のどんな社会でも私たちの意識の背後に広がっているイマジナリーな沃野とも言えるのではないでしょうか。あなたもまた、まずはそうした沃野にひとり静かに没入していくだけの時間を確保していくべし。
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誰かにとっての蓮華になる
今週のみずがめ座は、いわゆる暗黙の了解よりも、ほんとうの意味で礼儀正しさとは何かということを考え、実践していくような星回り。
もともと「正しい/間違っている」「攻撃してもよい/悪い」といった単純な二分法に陥りやすいTwitterが、ますます人々の二極分化を促しているように感じる昨今ですが、かつてフランスの哲学者のアランは幸福に関する断章集のなかで、「ほんとうの生き方」の中に「楽しませるべし」という規則を入れたいという旨について書いていました。
それはおべっかを言ったり、調子よく相手に合わせたりということではなくて、(とりわけ若者に対しては)推測に過ぎないときは最も良い方にとり、立派な姿に描き出すことで、彼らは自然と自分をそのように思い込み、やがてそのような人間になるだろうといった未来への企図に基づく祈りにも似た行為なのだと。
どんな人にだって誤りやねじれは存在するものですが、厄介なのはそれを感情的にこじらせること。ここでいう相手を「楽しませる」とは、「つまり荒ぶる情念をなだめる体操」なのであり、アランの言う通り「ほんとうの礼儀作法とは、むしろよろこびが伝わって行って、すべての摩擦がやわらぐところにある」のかも。あなたもまた、みずからの実践すべき行動規則やその影響について改めて見直し、軌道修正していくことがテーマとなっていくでしょう。
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自分なりの世界観の完成ということ
今週のうお座は、作品の完成に向けて手を入れていくプロセスのような星回り。
「爛々と昼の星見え菌(きのこ)生え」(高浜虚子)は、作者七十三歳の秋の作。井戸の底から昼の星とキノコを見たという人の話を聞いての即吟で、ただその場では「昼の星見えしよりこの菌生え」と詠まれたのが、そこから時間をおいて冒頭の句に成っていったのだそうです。
確かに、変化する前の句ではまだ「自分の目にしか見えない糸」は編み上げられていません。やはり「爛々と(らんらんと)」という一言が入ることによって初めて、「昼の星」と「菌(きのこ)」とが見えない糸(意図)でピシっと結ばれ、互いの領域が入り混じったひとつの巨大な感興が立ちあがっている。
それは事実を超えた、見えるはずのない景であるにも関わらず、それでいて確かにそういう宇宙的連関を人は経験し得るだろうという確信を与えてくれるように思います。あなたもまた、みずからの言動を少しでも自分なりの世界観に即したものへと近づけていくべく、ドライブをかけてみるといいでしょう。
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