2021年09月12日 10:01 弁護士ドットコム
統計のある2007年以降、出入国在留管理庁(入管)の収容施設内で亡くなった外国人の数は、自殺も含めて17人。
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欧米などと比較して、極端に低い難民認定率に加え、表向きは送り出し国への社会貢献をうたいながら、外国人を安い労働力として搾取しているといわれる技能実習制度など、これまでも国連や海外から、外国人の人権に対する意識の低さを指摘されてきた日本。
学生による反対運動や署名活動が世論を動かし、入管法改正案が取り下げられたり、今年3月に名古屋入管で亡くなったスリランカ人女性について真相究明を求める声が高まるなど、今、入管はかつてないほど、世間から目を向けられている。
名称の通り、外国人の出入国を管理する入管は、どのような体制下で業務を遂行しているのか。なぜ、少なからぬ収容者が死に至るような問題が生じているのか。
18年間、職員として組織を内側から見続け、入管は制度改革をおこなう必要があると提言している未来入管フォーラムの木下洋一さんに入管の課題や今後のあるべき姿などを聞いた。(取材・文/塚田恭子)
2001年から退職する2019年3月まで、入国審査官として上陸審査、在留審査、退去強制手続きと、3つの業務に関わってきた木下さんは、入管行政の特徴として、第一にその裁量権の大きさを挙げる。
「入管行政独特と言えるのが、巨大な裁量権です。正規在留者の在留判断、非正規在留者に対する在留特別許可や仮放免の可否判断など、入管行政のあらゆる部分が入管の裁量によって判断されている。もちろん、行政には裁量権は欠かせないし、裁量がなければ硬直化してフレキシブルな対応もできませんから、僕は裁量そのものを否定しようとは思いません。
ただ、入管に関していうならば、裁量が外国人の利益や人権に配慮するというより、むしろ自らの判断に誤りはないというエクスキューズに都合よく利用されている感が否めないような気がします」
たとえば外国人の在留資格の更新について、法律はどう定めているか。入管法21条3項には、「法務大臣は、当該外国人が提出した文書により在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができる」と記されている。
「これはつまり、何をもって『適当』であるか、あるいは『相当』であるかは行政庁の裁量判断に任されているということを意味します。そこには判断基準も、裁量をコントロールする手段も、ほかの法律による規定も示されていません。極端な言い方をすれば、外国人の在留許可は入管の胸三寸で判断されるということなのです。法の建て付けがそうなっているんです」
外国人の在留を許可するか否かは入管にほぼ丸投げされ、その判断を事後チェックするシステムがまったくないこと。これが、入管行政が外国人にとって厳しく、酷になっている要因だろう。
「たとえ外国人には日本人と同等の権利は保障されないとしても、少なくとも自らの処分についての"知る権利"は、外国人にも最大限保障されるべきだと思います。
ところが、外国人の出入国に関する処分などは、そのほとんどが行政手続法の適用除外とされており、在留資格であれ仮放免であれ、許可・不許可に関わらず、相手方に理由の説明をする義務が法的に課せられていません。
当事者である外国の方たちにしてみれば、不利益処分の理由さえ満足に説明されないのですから、不満がたまるのは当然です」
木下さんの話を聞いて思い出したのが、収容者の仮放免の手続きをしている弁護士が口にした"外国人に適用されるのは、憲法ではなく入管法なんです"という言葉だ。
改正を重ねてはいるものの、1951年に制定された入管法は、法務大臣や行政庁に与えた裁量権に関して言えば、70年間、手つかずになっている。
「外国人にも憲法上の基本的人権は認められていると言いながら、その権利は在留管理の枠内になると、1978年のマクリーン判決(注)はそう言い切っています。このとき反対意見を言う裁判官は一人もなく、40年以上経っても、入管訴訟のメルクマールとして、マクリーン判決の呪縛は残っているんです」
日本が国際人権規約に批准したのは、マクリーン判決の翌年の1979年で、その後、数々の人権条約に加盟している。当時と現在では、社会の状況は劇的に変化している。にもかかわらず、1978年の判決を引きずっていることについて、入管法の成り立ちと合わせて、木下さんはこう言う。
「入管法(出入国管理令)は、戦後、1951年に公布されましたが、当時、外国人の大半は、戦前は日本人だった朝鮮半島の出身者でした。日本国籍を奪った彼らをどうやって朝鮮半島に帰国させるか。つまり政府が彼らを管理することを目的に入管法は始まっていて、今もそのシステムの基本的な骨格をほぼ引きずっているんです」
ある時期は非正規滞在者の取り締まりが甘くなり、また別の時期は厳しくなる。仮放免や在留特別許可(在特)についても、容易に認められる時期もあれば、ほとんど認められない時期が続くなど、入管の方針はその時々で変化する。
こうした方針転換について、木下さんは"入管は猫の目行政でコロコロ変わるので"と、前置きしてこう説明する。
「2004年に非正規滞在者を5年間で半減するキャンペーンを展開したときには、多くの非正規滞在者に在特を与えて正規滞在者にしました。たとえば日本人の配偶者がいて、犯罪をしていない人には、ほぼほぼ在特を出す。目標達成のためとは言え、積極的に在特を付与することが組織的なコンセンサスとして共有されていました。
このころは、外国の方たちにとっても、たぶん入管はこういう判断をするだろうという予測ができたと思います。非正規滞在者にビザを出すのが、かならずしも良いというわけではありませんが、少なくとも公平性、透明性という観点から言えば、僕はこのときの対応は評価しています」
だが、キャンペーンが終われば、また寄り戻しがくる。景気が良ければお目こぼしになり、そうでなければ締め付けを強める。この四半世紀、外国人はそんなふうに雇用や漠然としたいわゆる「治安対策」の調整弁にされてきたのではないだろうか。
「それはあるかと思います。僕は2001年に法務省内の別の組織から入管に移っています。当時はもう好景気ではないけれど、まだ不法就労者は大勢いましたが、日系人もいるし、研修生から技能実習生への移行も進み、それまで外国人に頼っていた労働現場で、非正規滞在者が浮き上がってしまった。
それで正規化をして間口調整したけれど、オリンピックの開催が決まると、"安心安全社会の実現"という名目で、非正規滞在者を強制送還する方針に転じるなど、状況は場当たり的に変わっていく。
仮放免を許可しなくなったのは、認めると国に帰らなくなってしまう、(仮放免を)出さなければ諦めるだろうという発想からです。結局それが長期収容へとつながっていきました」
それまでは収容後、半年ほどで仮放免が認められていたのに、ある時期から、1~2年収容されても許可が下りない。こうした一貫性のない不公平なやり方をしていれば、当然、不満を持つ人も出てくる。仮放免を諦めて帰国する人がいる一方、入管に徹底抗戦する人も出てくるように、職員と収容者の関係は負のスパイラルに陥った。
「一貫性のなさとえ言えば、2008年に公表された『留学生30万人計画』もそうです。国家プロジェクトの掛け声のもと、日本語学校はどんどん新設され、各地で外国人の受け入れが進みました。留学生の就労時間は週28時間という決まりがありますが、借金して来日している多くの留学生がそれ以上、働いていても、国は見て見ぬふりでした。数値目標達成が至上命題だからです。
ところが目標数値が達成された途端、反動のようにオーバーワークに対する締め付けが始まりました。オーバーワークを肯定するつもりは毛頭ありませんが、これでは外国人留学生だけでなく、学校側もどうしていいかわからないでしょう。入管行政は場当たり的で、一貫性がないことは在職中から感じていました」
巨大な裁量権を盾にした、基準と根拠のない判断。猫の目行政という言葉に表れる政策の一貫性のなさ。そしてもう一つ、市民が入管行政に覚える違和感は、"入管は中で何が起きているかわからないブラックボックスだ"といわれるように、情報公開の在り方における透明性のなさにある。
「名古屋入管で亡くなったスリランカ人女性の弁護団が開示請求した行政文書がほぼ黒塗りだったことは、入管行政の一つの象徴かもしれません。巨大な裁量権のもと、ブラックボックスの中で判断することが当たり前だったので、積極的に情報を公開するという発想そのものが乏しく、世間的な要請もなかったのだと思います。
実際、世間も少し前まで入管のやることにほとんど関心がありませんでした。僕が入管をやめるときに思っていたのは、入管はブラックボックス化しているのに、なぜマスコミはそれを報道しないし、世間もほとんど関心を示さないのかということでした」
だが、2019年6月、長崎県の大村入国管理センターで、難民申請の不認定にハンスト抗議をした末、ナイジェリア人男性が餓死するという事件が大きく報道されたのを機に、状況は変化する。
「入管の内側でいったい何が起きているか。この事件を機に、社会の目が入管に向き始めます。これを受けて、法務大臣は『収容・送還に関する専門部会』を設置し、成立には至りませんでしたが、入管法改正案が上がりました。
表現はきついかもしれませんが、それまで入管は、入管法に守られ、巨大な裁量権のもとで、国民の目の届かないところでそれこそ『好き放題』『やりたい放題』にやっていました。でも、国民の関心が向いている今、入管はもう、"あなたたち(市民)に入管の内側のことは関係ない"と言える状況ではないでしょう」
名古屋入管で亡くなったスリランカ人女性の話に戻せば、入管は当初、彼女が亡くなるまでの2週間のビデオの公開をかたくなに拒んでいた。支援団体による署名活動など、世論の高まりを受け、2時間に編集したビデオは遺族のみに開示されたものの、代理人弁護士の立ち合いを認められていない。
その後、弁護団が請求した行政文書、約1万5000枚はほぼ黒塗り。法務大臣は記者会見で、(ビデオや資料などは)人道的配慮や保安上の理由から公開しないと発言しているが、多くの人にとって、それはまったく筋の通らない話でしかない。
「遺族が開示を求めている以上、『人道上の理由』は理由にならないでしょう。また、開示に条件をつけられることも、遺族としては到底納得できないでしょう。ただ、少し入管の立場で考えてみると、今、彼らが何をいっても、サンドバックのように叩かれ、バッシングされてしまう。
この状況でビデオが開示されれば、それが遺族だけにとどまるはずはありません。その一部を切り取って、こんなひどいことがあったと伝播して、反入管運動へつながっていく。入管がビデオを遺族にのみ開示し、代理人らの立ち合いかたくなに拒んでいるのも、そのような懸念が根底にあるのかもしれません」
長期にわたる拘束は、多くの被収容者の心身にダメージを及ぼしている。だが、被収容者に面会を続ける支援者よれば、彼らが医師に診てほしいと申請書を出しても、診てもらえるのは2週間から数週間先だという。
「医療体制を充実させるといっても、本来、収容施設は長期間、留め置く施設ではないので、限界があると思います。常駐の医師がいない中、医療の知識のない職員が、具合の悪い人を看るというのは難しいことです。
もちろん僕も、一部の職員が発したとされる配慮を欠いた言葉は肯定できるものではないと思います。ただ、常勤医師のいない中、医療の知識のない職員は、具合の悪い人を看るという難しいことを強いられているのが、入管の現状です。
言葉の一部を切り取って報道し、『入管=悪』『支援者=善』という単純な構図をつくり出し、いくら入管はひどいと叩き続けていても、真相究明にはつながりません。
報告書は外部の有識者も入って作成したといいますが、そもそも当初は、帰国を希望していた彼女がなぜ在留希望に翻意したのか。支援者らと彼女のあいだにどのようなやりとりがされていたのか。彼女が受けていたとされるDVについての事実関係の有無など、第三者が入管と支援者、双方から話を聞いて、徹底的に検証するべきでしょう。
その意味では、第三者を交えた調査ではなく、第三者による調査が必要だったと思います」
最終報告書を読んだ木下さんが違和感を覚えたのは、入管制度に対する検証がほとんどされていない点だったという。
「報告書では再発防止策として、職員の意識改革や医療体制の強化をうたっていますが、真の問題はそこじゃない。収容施設内では、これまで少なからぬ人が亡くなっているわけです。
そもそも長期間の収容を予定していない入管施設で、収容が長引けば命への危険が高まるということに他なりません。全件収容主義や仮放免などといった制度そのものを見直さなければ、このような悲劇が繰り返されると思います。
この点、出入国在留管理庁改革推進プロジェクトチームが発足し、そこには外部有識者も加わるとのことですが、お飾りではなく、外部者こそが積極的な提言をおこなっていくべきでしょう。外の目を入れなければ、問題は解決しません。内輪でやっていても、制度の問題に踏み込むことはできませんから」
調査報告書の作成にしろ、改革推進チームにしろ、第三者がイニシアティブをとって、情報を開示しなければ、疑念が晴れることはあり得ない。
亡くなったスリランカ人女性のビデオにしても、ここまで来て、なお入管が開示を拒めば拒むほど、収容施設内ではよほど世間に公表できないようなことがおこなわれていると、真偽にかかわらず多くの人はそう推測する。
「何から手をつけるかと言えば、やはりブラックボックスを透明化することです。いま入管に対する信頼は大きく揺らいでいますが、信頼回復のためには、情報の積極的な公開はもはや避けて通れない道だと思います。
また、在特や仮放免等の不許可処分に対する理由の説明も法律で義務化すべきでしょうし、基準も明確化する必要があるでしょう。これまでのような外国人を適正手続の外側に置き去りにし、入管の胸三寸で外国人の人生を決定づけるようなシステムに、彼らが納得するはずありません。
納得がいかないから帰国を拒否する。それに対して入管は帰国を強要する。それにさらに反発する。その繰り返しで、外国人側も現場の職員もこの不毛な連鎖に疲れ果てているわけです。
難民ではない人も難民申請するのは、自らの送還を回避するためには、それしか手段がないからです。今は最終的に裁判を起こすしかないことも当事者には負担が大きいので、不服申立制度を充実させるべきでしょう」
送還に応じない人は長期収容してもかまわない――。オリンピックの開催決定を機に取られたこの方針は、職員と被収容者・支援者の間に深い対立を生じさせた。
だが、入管職員をバッシングする態度は、「非正規滞在の外国人はとにかく帰れ」というゼノフォビア(外国人嫌悪)のそれと変わらないし、状況の改善にはつながらない。
マクリーン判決のあった40年前とは比較にならないほど、人は移動し、各地で外国人労働者は増えている。SNSを通じて、情報が瞬く間に広がるように、社会は急激に変化している。
ずっと先送りしてきた問題、課題を解決するために今必要なことは、外国人側と入管側がいま一度、正面から向き合い、お互いを「人」として尊重し、対話をすることではないだろうか。
(注)マクリーン判決・・・外国人に対して、在留期間の更新を不許可とした処分は、裁量権を逸脱する違法なものかどうかが争われた事件で、最高裁は、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、国の裁量を拘束するまでの保障を含むものではないと判断した。
【プロフィール】木下洋一(きのした・よういち) 1964年神奈川県出身。1989年4月、公安調査庁に入庁。2001年、入国管理局(現・出入国在留管理庁)に異動し、入国審査官として入管行政に関わる。2019年3月、社会人入学した大学院の修了と同時に入管を退職。現在、新しい時代に合った入管システムの構築を提言する、未来入管フォーラム(https://www.im-res9.com/)の代表。