2021年09月12日 09:51 弁護士ドットコム
第5波と言われる新型コロナウイルスの猛威が続いている。今年1月、東京の一日の感染者数が2000人を超えたというニュースに驚愕としたものだが、7月には連日、それに近い数字が当たり前になり、コロナが身近に迫っている実感はどこか薄れていた。
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そんな中、8月に、筆者は新型コロナに感染した。幸い軽症で、後遺症もほぼなく、現在は元通りに生活している。だが、症状の苦しさや、自宅療養中の不安、今後のコロナとの向き合い方など、感染して初めて気づいたことがたくさんあった。この経験が少しでも役に立てばと、感染から療養から回復後までをまとめた。(ジャーナリスト・肥沼和之)
筆者は41歳、独身で一人暮らし。職業はジャーナリスト兼バーの経営者である。基礎疾患はなく、至って健康だ。お酒好きのため、肝機能と内臓脂肪の数値が少々高いものの、要注意の範囲内。日ごろから運動も行い、暴飲暴食も控えるよう意識していた。
コロナ前はバーや居酒屋、スナックなどを飲み歩くのが習慣だったが、一回目の緊急事態宣言からは自粛していた。外出や遊びも控え、100%とは言えなくても感染対策はしてきたつもりだった。
もちろん、コロナへの脅威や恐怖が消えたわけではないが、「今まで通り感染対策をしていれば問題ないだろう」と漠然と思い込んでいた。ワクチンの接種券も届いていたが、そのうち打てばいいかと、未接種だった。
8月3日、久しぶりに連絡をくれた友人と会った。カフェでお茶をし、バーで1時間くらい飲み、軽く食事をして解散した。一緒にいたのは4時間くらいだろうか。飲食をしているとき以外はマスクをし、入店時の手の消毒も検温も行った。
異変があったのは、8月6日のことだった。起きたときに頭痛と全身のだるさがあったが、コロナだとは思わなかった。冷房を直接浴びると体調を崩す体質なので、寝ているうちに布団をはだけてしまったのだろう、くらいに考えていた。
昼ご飯にとんかつを食べたとき、味も匂いもしたので、「コロナかも」という心配はさらに薄れた。翌日には症状も消え、いつも通りの日々を送っていた。
すると8月12日に、9日前に会ったその友人から「コロナに感染した」と連絡を受けた。数日前から高熱と全身の痛みが出て、病院に行ったところ判明したそうだ。
ここで初めて筆者も感染を懸念し、翌日の8月13日にPCR検査を受けることにした。かかりつけの病院がないため、ネットで調べて、電話の上、最寄り駅の近くにある総合病院に行った。前日までは元気に過ごしていたのだが、この日、熱が38度6分まで上がり、咳も激しく出始めて、病院へ行くのもやっとの状態だった。
発熱など症状があれば保険適用とのことで、検査料金は2000円で済んだ。ちなみに症状がなければ、自費で2万5000円かかるのだそう。
検査後、医師からのアドバイスで、陽性だったときに備え、帰りに薬局で食料やスポーツドリンクや解熱剤を買い込んだ。コンビニ程度でも、外出は一切禁止になるからだ。また直近の仕事で対面があるものは、オンラインに切り替えるか、キャンセルさせてもらった。PCR検査の結果はその日のうちにオンラインで確認できた。陽性だった。
帰宅してから症状はさらに悪化した。38度以上の発熱、だるさ、関節の痛みが主な症状で、最も辛かったのは、3~5分おきくらいに激しくせき込み、満足に眠れなかったことだ。解熱剤を飲むと熱は37度まで下がったが、咳だけはどうにもならない。病院に電話しても「どうしようもありません」とのことだった。
それでも筆者は自分で呼吸ができ、入院までいかなかったので、軽症である。感染したタレントの野々村真さんの症状が、重度の肺炎と報道されているのを見て、どれだけ苦しかったのか考えると、軽症で済んだことがいかに幸運だったか痛感した。
食欲は全くなかったが、無理やり体に入れた。買いだめした食料は、うどんやレトルトの雑炊だったので、比較的食べやすかった。だが、味や匂いは平常時より明らかに弱くなっている気がした。
何かする気力も体力もなく、急ぎの仕事や返信以外は先延ばしにさせてもらい、ほぼ寝たきりで過ごした。健康な状態なら、未読の本を読むなどできるのだが、頭を使うことができず、YouTubeでお笑いのトークなどをひたすら流していた。
前述したが、筆者は独身の一人暮らしである。要請が判明してから、経営するバーのスタッフや、親しい友人・知人に状況を報告した。「必要なものがあったら届ける」と言ってくれる人もいて、大変ありがたかったが、容体が急変したときにすぐ気づいてくれる人はいない。
保健所からは、陽性だと判明した3日後から、数日おきに計3回電話があり、容体(おそらく安否確認の意味合いもある)の確認をしてくれた。心強かったが、自宅療養中に亡くなる一人暮らしの方のニュースが相次いでいたこともあり、「眠ったまま、もし自分も起きなかったら……」という不安は消えなかった。
自宅療養をして3日ほどで症状は和らぎ、解熱剤を飲まなくても熱は36度代後半で落ち着いた。保健所からは、「その状態が続けば、21日から行動制限はなくなります。自由に外出して大丈夫です」とのことだった。
ちなみに保健所からは、食料などを送るかと聞かれたが、言われたのが行動制限解除の3日前だったこと、届くまで約1週間かかったこともあり、辞退している。
そして8月21日、筆者は約1週間ぶりに外出した。
歩いて10分ほど、営業休止中の自分のバーに行き、空気の入れ替えや植物への水やりをしていたところ、偶然通りかかったスタッフに「めちゃくちゃ痩せましたね」と目を丸くされた。確かに2週間近く運動しておらず、食べる量も激減したため、体力も筋肉も落ちているのを感じた。実際、自宅とバーを往復しただけで息切れした。
今後、感染リスクが少しでも減るのならばと、8月23日にワクチンを接種した。ワクチンパスポートの支給など、今後の行動制限が緩和されるであろうことも考えると、できる限り早く打っておきたかったのだ。
コロナから回復して間もなかったため、接種は問題ないか会場に確認したところ、発症から2週間が経っていれば大丈夫とのこと。当日は何もなかったが、翌日に40度まで熱が上がり、摂取した左腕も激しく痛んで、ほぼ2日間を寝たきりで過ごした。
接種前の問診で、医師に「コロナにかかった方は、副反応が強い傾向があります」と言われたが、その通りだった。9月末に2回目の接種を控えているが、また副反応が起きたら、と考えると今から不安がある。
本稿を書いている9月9日現在、体調は完全に戻り、バリバリ仕事も運動も食事もしている。幸い後遺症はほぼないが、喉から肺のあたりに、小骨が刺さっているような違和感が残っており、頻繁にせきが出る。食べ物の味と匂いはするものの、明らかに以前より弱くなっている。そのためか、ハンバーガーやカレーなど、はっきりした味のものが美味しく感じる。
教訓というほどではないが、コロナになって強く感じたのは「誰でも感染するリスクがある」ということだ。筆者の場合、知人との会食が感染のきっかけだったのか、あるいは別のところで感染したのかはわからない。
一度目の緊急事態宣言発令後は、政府がステイホームと強く訴えていた。だがコロナ禍が長引き、収束も見えないなかで、感染対策をしつつ、できるだけ今まで通りの生活を送る「ウィズコロナ」の生活様式になりつつある。すると、外出したり人に会ったりする限り、誰でもコロナにかかる可能性があるのだ。自分はかからない、感染対策をしていれば大丈夫、という思い込みを、筆者がデルタ株にあっさりと覆されたように。
とはいえ、自分が感染したことを開き直っているわけではない。もっと感染対策は徹底できたはずだし、結果として周囲の方々に心配や迷惑をかけてしまったことも猛省している。
コロナ禍において、自由を謳歌するのなら、徹底した感染対策をするのが責任である。筆者ももう二度と感染しない、感染もさせないという強い意識を持ちつつ、日常を送っていこうと強く思っている。
【著者プロフィール】 肥沼和之。1980年東京都生まれ。ジャーナリスト、ライター。ルポルタージュを主に手掛ける。東京・新宿ゴールデン街のプチ文壇バー「月に吠える」のマスターという顔ももつ。