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【9/6~9/12の運勢】9月2週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

2021年09月06日 12:01  isuta

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isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡

1ヶ月ごとの運勢グラフ 今週のおひつじ座の運勢

illustration by ニシイズミユカ

われは星なり、われは波なり

今週のおひつじ座は、「われ」もまた「星」として生きていかんとするような星回り。

「われの星燃えてをるなり星月夜」(高浜虚子)は、昭和はじめの句。句意としては、月のない秋の夜に、満点の星が地上を照らすほどに明るい。この数限りないほどの星々の中に「われの星」も燃えているに違いない、といったところでしょうか。

この「われの星」、つまり「わたしの星」というのはかなり大胆な物言いで、頭上で輝く星を畏敬しながらも、同時に親しい友でもあるかのような感覚を持っていなければ、なかなかこういう風には言えないように思います。

作者はこのとき57歳。自分もまた地上の星のごとき存在であるという自負を、ようやく肩に力を入れることなく持つことができるようになったのか、それとも、つねに内なる星を感じることができないようでは、とても俳人とは言えないという厳しさを自分に向け続けてきたことへの大いなるねぎらいを感じたのか。あなたもまた、掲句の境地に達するつもりで日々を過ごしてみるべし。

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illustration by ニシイズミユカ

豊かな味と深い孤独

今週のおうし座は、存在神秘の妙味を一瞬めざめて味わっていくような星回り。

プラトン以来の理想とされた「哲人君主」の実現例と見なされた2世紀のローマ皇帝であり、ストア派の哲学者でもあったM・アウレリウスが、戦地でも書き続けた日々の備忘録である『自省録』に次のような一節があります。

「たとえ汝が三千年、いや三万年生きようとも、誰もいま生きている生以外の生を失うことはなく、いま失う生以外の生を生きることもない(中略)最も長い生涯と、最も短い生涯とは、それゆえ、同等(中略)万物は流転するが、おなじ軌跡を繰り返しているのであり、見者にとっては、それは百年みていようと二百年みていようと、永劫に同じことだ。」

無限の長さのフランスパンを想像してみるといいかも知れません。食べ切ることはできなくても、パンを一口食べただけで「味」という点では、その全体を味わったことと同等と言えるのでは。問題があるとすれば、それはむしろ「一口しか味わってないから」と、瞬間や短い今を単なる通過や過程として過小評価することの方にあるように思います。あなたもまた、長く続くものやことよりも、短く鮮烈な<味わい>にこそ集中していきたいところです。

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illustration by ニシイズミユカ

ただ年齢を重ねるのでなく

今週のふたご座は、上手な歳の重ね方を自分なりに追求していくような星回り。

「蛼(こおろぎ)のなくやころころ若い同士(どし)」(小林一茶)は文化七年、作者四十八歳のころの作。同じ年の作に「秋風やあれも昔の美少年」といった自身が重ねた年齢への感慨を詠んだ句がありますが、掲句はその裏返しの句と位置づけることができるでしょう。

ここで言う「若い同士」とは、男女のつれには限定しないで、広く若い仲間のあいだの関わりくらいに捉えておくといいかも知れません。こおろぎも、ころころ、ころころといい声でないているけれど、「若い同士」もまた笑ったり、かじりついたり、はつらつとしている。

「ころころ」という擬態語からは、透き通るようなみずみずしさや、カラッとした無邪気さやそこはかとないはかなさなど、ある年代に特有の質感やニュアンスが伝わってきます。「あれも昔の美少年」などとも詠っていますが、若さ特有の質感やニュアンスを否定したり、美しい音色として感じ入ったりするだけでなく、きちんとエールを送っているあたり、作者のような魅力的な歳の重ね方を真似していきたいものです。

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illustration by ニシイズミユカ

自然体はどこにあるか?

今週のかに座は、外部からやって来た意味を受けて、ハッと視点が開いていくような星回り。

鎌倉時代の曹洞宗の開祖・道元は、「自己をはこびて万法を修証するを迷とす」(『正法眼蔵』)と述べています。「万法」とは「一切の存在」、「修証」は「修めてさとること」。すなわち、自分から求めて意味を考え出し、世界を捉えようとすることで、人間は迷いの世界に入っていくのだ、と。

これは蒸し暑さを感じて夜中に眠れなくなった人が、涼をとれるものを探したり、インターネットで安眠できる方法を検索したり、いつからどうして眠れなくなったのかと自問自答をくりかえすことに、どこか似ている。湧き上がってくる思いを必死で言語化すればするほど、訳が分からず戸惑いが深くなる。一方で、道元は先の一節に続けて「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」とも述べています。

一切の存在のほうから、何かが自己のもとへと届けられる。それがさとりなのだと。先の喩えで言えば、蒸し暑ければ、四の五言わず、ただ窓をあけて夜風にあたればいい。物事のありのままの自然な所作が、最後にたどりつく境地なのだと。あなたも、知識の深まりとともに忘れてしまっていたことを不意に思い出していくことになるかも知れません。

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illustration by ニシイズミユカ

新たな文脈に繋がるとき

今週のしし座は、何でもないような感覚や気分の変化をこそ、丁寧に拾い上げていくような星回り。

「洟かんで耳鼻相通ず今朝の秋」(飯田蛇笏)は、ある秋の日の朝、「洟(はな)」をかんだら耳と花とが通じたと感じたというだけの一句。もちろん、生理的にいえば実際に耳と鼻は通じている訳ですが、この句に詠まれているのは、通常のことばでは説明しにくい内的な感覚から来たものでしょう。

これまでは意識の中枢に近い鼻の奥のどこかがくぐもって、呼吸も浅く、くぐもっていたところが、洟をかんだ拍子に、空気が耳の穴を通じて外まで突き抜け、意識が急に広がって、スンとした。その清々しくも、どこかちょっとさみしいような微妙な感覚が、かろうじて「今朝の秋」という季節感の移り変わりを表わす言葉をよすがに、かろうじて身体にとどまったのだとも言えるかも知れません。

「こんな些細なことを歌にしてどうするんだ」と思う人もいるでしょうけれど、こうした感覚の変化と季節の移り変わりの間にただよう瞑想的な雰囲気こそが、むしろ俳句の真骨頂であるように思います。あなたもまた、そうした「スン」とするような体感の中に新たな希望を見出していくことになるはず。

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illustration by ニシイズミユカ

地味だけれど大切な癖の技化未来に戻る

今週のおとめ座は、慎重さの裏返しとしての大胆さを発揮していくような星回り。

室町時代の庶民の小歌などをあつめた『閑吟集』という歌集に、「何せうぞくしんで/一期(いちご)は夢よ/ただ狂へ(何をしようというのだ、そんなにまじめくさって、一生は夢、ただ遊び狂えばいいのだ)」という有名な歌があります。

この歌の根底にあるのは、「一期は夢」、つまり一生は「どうせ」はかない夢に過ぎない、という思いですが、それが「ただ狂へ」という行動方針へとつながっていくのです。そしてここで注目したいのは、その間には書かれていない「いっそ」という認識による転換が潜んでいるということ。

「いっそ」とは、「より一層」の変化した語か、あれこれと思案した結果、それらを廃棄して、まったく逆の方向に思い切って舵を切る、というニュアンスが込められていますが、「どうせダメになる、ならばいっそ壊してやれ」といったように、先取りされた否定的結論を、現在の時点でよりいっそう加速させ、あばき立ててやるといった、大胆で興味ぶかい批評精神の現われでもあるのでは。あなたも、そうした思い切った転換を自分に仕掛けていくことがテーマとなっていくでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

目線をすこし遠くにやろう

今週のてんびん座は、言葉に実感が追いついていくような星回り。

「コットンのねむりの中でおさなごがやさしく握る虹の先っぽ」(天道なお)は、「おさなご」の一語にしみじみとした実感が込められている一首。「おさなご」は誰もが知っている言葉ですが、実際のところ、大方の人はそのしみじみとした実感を記憶の彼方に押し流してしまい、みずからの日常には実在していないのではないでしょうか。

「コットンのねむり」のような、柔らかで触れれば壊れてしまいそうなほどに繊細な存在が、この世に生れてくる以前に見ていた夢の「先っぽ」をつかまえてそこに横たわっている。その、はじめて子をもった時のような、記念碑的な瞬間においてやっと「おさなご」という言葉はその本来の言霊をありありと宿してみせるのです。

どこか西行法師の「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という歌を思い出させますが、今の社会ではこうした一見弱くはかない存在は無視されたり、軽視されがちな傾向にあるようにも思います。あなたもまた、いつの間にか忘れていた大事な記憶や実感を取り戻していくことができるかも知れません。

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illustration by ニシイズミユカ

未来の注視×リスクの監視

今週のさそり座は、決定的なところで騙されないように、きちんと防衛線を張っていこうとするような星回り。

アメリカの社会心理学者スタンレー・ミルグラムによる有名な「隷属行動の研究」実験では、人びとは「命令に従うことが社会をより良くするために自分が果たすべき責任である」と信じた場合、どんなに残酷な命令であったとしても、良心の呵責をまったく感ずることなくそれに従うことができる、ということが示されました。

特に、日本人や日本社会は権威的な指導者による命令に弱いところがありますから、例えば「罪のない人たちは殺されるべきではないし、殺されてもいいという言動には断固反対する」といった、越えてはならない一線というものを引いておくことが大切。また、ナチスや戦中の日本軍などを例に、「権力者やリーダーはどのように嘘をでっち上げるか」などについてのある程度の知識を得ておくことも必要でしょう。

人間の本性には「共感」や「道徳性」、「自己制御」「問題解決志向」などの側面だけでなく「復讐」や「攻撃性」などのネガティブな側面もあり、それらは「恐怖」や「被害妄想」「妄信」などの危険性に陥る傾向があります。社会が混迷を極めていく時期だからこそ、それらを回避するために民衆をおとしいれる「陥穽(おとしあな)」をきちんと見抜くだけの批判力と知識が一層求められていくのでは。あなたもまた、そうしたある種の「社会的知性」の発揮に注意を向けていきやすいでしょう。

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illustration by ニシイズミユカ

足腰を鍛える、的な

今週のいて座は、なんのひねりもない一手に、あえておのれを賭けていくような星回り。

「夕暮も曙もなし鶏頭花」の作者・太田巴静は、江戸中期の俳人。江戸から明治にかけての俳句には、題材を余計な観念を交えず、ただ素朴にあっけらかんと描いてみせたものが多いのですが、掲句はその典型の一つと言えるでしょう。

ニワトリのトサカに似た赤い花を地面から直立させて咲かせる「鶏頭(けいとう)」の花は、夕暮れ、すなわち日が暮れようが、曙、すなわち夜が明けようが、関係なし。ただひたすらにそこに立っているだけだと言うのです。あまりにストレートな表現ですが、そうした素朴な描写が、かえって天に突き上げたひとつの拳や、そこに宿った情熱のような鶏頭の姿を想像させてくれているように思います。

その意味で、下手に技巧や理論武装に走るのではなく、素朴に、けれどきちんと時間をかけて丁寧に、自分が感じていることを言語化していくことの大切さを、掲句はさりげなく現代の私たちに教えてくれているのではないでしょうか。あなたもまた、然るべき事柄や対象に持ち前の「率直さ」を向けていくことがテーマとなっていきそうです。

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illustration by ニシイズミユカ

物語化を手伝うこと

今週のやぎ座は、真に水平的な関係性を築いていこうとするような星回り。

生物学者の福岡伸一は、ウィルスが人間にもたらす「水平性」について度々言及しています。いわく、「長い進化の過程で、遺伝する情報は親から子へ垂直方向にしか伝わらないが、ウイルスは遺伝子を水平に運ぶという有用性があるからこそ、今も存在している。その中のごく一部が病気をもたらす訳で、長い目で見ると、人間に免疫を与えてきました。ウイルスとは共に進化し合う関係にあるのです。」(毎日新聞、2020年6月15日付け)

そもそも、ウイルスの歴史というのは意外と新しく、「高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた」のであり、それも「高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして、つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れている」に過ぎないと言うのです。

なぜそんなことをするのかと言うと、それは「ウイルスこそが進化を加速してくれるから」であり、こうして「遺伝子情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった」のだと。あなたもまた、これまでにあまり取り組んだことのない「他者との関わり方」と真剣に向き合っていくことになるかも知れません。

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illustration by ニシイズミユカ

荒天航海

今週のみずがめ座は、根本情調としての「不安」にすすんでアクセスしていくような星回り。

「野分中(のわきなか)汲み来し水の揺れやまぬ」(馬場移公子)の「水」とは、ただ台所の蛇口をひねって入れてきた水ではなく、おそらく汲み上げ式になっている井戸水でしょう。「野分」つまり台風接近時の雨を伴う強風が吹き荒れるなか、庭に出て行って当座で使うだろう分量の水を桶かバケツに確保してきた訳です。

ところが、そうして汲んできた水は室内の床に置いても、いつまでも揺れ止むことがないのだと言うのです。まるで「野分」の力がそこに宿っているようでもあり、また、迫りくる嵐をやり過ごさなければならないという作者の不安な内面を反映しているようでもあり、おそらくはその両方が作者の念頭にあったのではないでしょうか。

つねに柔軟に形を変え続ける清らかな水は、一方で、どんなに堅固な防衛機構をもすり抜けて私たちのこころと直接つながって、予測不可能な仕方で荒れ狂うこともある。そんなことを思い出させてくれる句とも言えます。あなたもまた、内面が穏やかならぬ時ほどまずは素直にその表面のゆらぎを受け入れ、見詰めていくべし。

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illustration by ニシイズミユカ

まなざしを掘り起こす

今週のうお座は、不可視の領域に耳をすませていこうとするような星回り。

1981年3月に『BRUTUS』誌に発表された村上春樹の『ニューヨーク炭鉱の悲劇』は、話者である28歳の「僕」の回想という形式をとりつつも、ビージーズの「New York Mining Disaster 1941」という曲の歌詞に着想を得たのだろう、落盤事故にあい生き埋めになった鉱夫たちの場面が出てきます。

このシーンは、当時日本社会に静かに進行していた見過ごしてはいけない事態の村上なりの比喩なのかも知れません。

そして、9月7日にうお座から数えて「訴えるべきこと」を意味する7番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、結局、自分が社会に異議を申し立てたいこととは何なのかを先鋭化していくことがテーマとなっていくでしょう。

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