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『夏目友人帳』夏目はなぜ妖と人を変えていくのか? 命の数だけある孤独とそれを癒すぬくもり

2021年09月04日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『夏目友人帳(27)』

 高校生になっても自転車に乗れない理由を問われ、「ああいうのは…後ろを押さえてくれる人がいないと乗れないだろう?」と返す。だから自分のことは置いて、友人たちだけで出かけてくれ、と笑う主人公・夏目貴志の孤独と諦念の詰まったその描写は、『夏目友人帳』という物語を象徴している気がする。


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■大事なのは常に“今”


 幼いころに両親を亡くし、親戚の家を転々としてきた夏目。ただでさえ疎まれがちなのに、人ならざるものが視えてしまう彼は、嘘つき呼ばわりされたり気味悪がられたりしながら、自分の居場所をどこにも見つけられないまま、生きてきた。遠縁の藤原夫妻にひきとられ、初めて愛情を注いでくれる存在に出会った夏目は、自分の能力も妖の存在も決して夫妻に知られてはならないと心に誓うのだけど、かつて祖母のレイコも暮らしていたその土地で、これまで以上に、妖たちの世界へ誘われることとなってしまう。


 夏目と同じ能力をもったレイコはやはり周囲から浮いていて、その憂さ晴らしに妖たちに喧嘩を売っては名前を奪い、“友人帳”に記していた。妖にとってそれは、服従の契約をかわしたも同然。レイコによく似た夏目は、名前をとりもどそうとする妖だけでなく、友人帳を手にすれば他の妖を使役できると目論む存在から、絶えず襲われるはめに。なんの責任もないのだから、友人帳などくれてやるか燃やしてしまえばいいのだが、それができないのが夏目である。


 遺された祖母の唯一の形見だからと大事に扱ったうえで、妖たちにはできるだけ誠実に名前を返そうとする。名を呼び、命じれば、どんな凶悪な妖も支配下におけるというのに、どうしてもそれ以外にすべがない、という状況がくるまでは決して、しない。生まれてこのかたずっと妖に迷惑をかけられ、怯え続けてきたはずなのに、夏目は境遇を嘆きこそすれ、妖そのものを憎んだり恨んだりすることもない。相手の言い分を聞き、自分にできるだけの誠意で、想いに報いようとする夏目に、妖たちも少しずつ心を許していく。


 その筆頭が、なりゆきで夏目の用心棒を請け負うこととなったニャンコ先生だ。招き猫に封じられていた強力な妖である彼は、いずれ夏目が死んだら友人帳をもらいうけるという約束で、そばにいる。夏目が名前を返し続けることは、できるだけ多くの妖を支配下に置きたい彼にとっては、損な行為だ。友人帳に名前のないニャンコ先生は、すぐにだって夏目を食べることもできる。それでもそばにいるのはただ、夏目に“興味をもった”からだ。


気まぐれの、戯れから始まった関係に、だんだん情がわいて、好意に変わり、唯一無二の相棒のような存在になっていく。それは理想的な他者との関係の築き方ではないか、と思う。〈お前の記憶などに興味はない しょせん友人帳をいただくまでの付き合いさ〉とニャンコ先生が夏目に言う場面があるが、大事なのは常に“今”なのである。過去に何を背負っていても、未来にどんな変化が訪れようとも、今ともにいたい、という気持ちが自分と誰かを結びつけ、そのぬくもりが明日へと生かす力になっていく。


■拒絶される恐怖はみんな同じ


 レイコの真意がどこにあったのかは未だ明かされていない。けれど友人帳を狙って夏目のもとに現れる妖たちの記憶を通じて、夏目は、彼女の孤独と、彼女が紡いできた妖との絆を知る。一生、一緒にいられるなんて思っていない。退屈とさみしさをまぎらわせるためだけの、お遊び。だけど互いに名を呼びあう関係が、たとえ契約に縛られたものだったとしても、癒しになる瞬間があった。レイコだけでなく、多くの妖たちは、決してまじわれぬものと知りながら人間と心をかよわせ、その刹那的な交流を後生大事に、生きている。それがやがて執着に変わり、恨みに変わることもあるけれど、かつて自分にふりそそいだ優しさとぬくもりを忘れられずに、今を生かされている。ああ、それこそが“友”なのだと、本作を読んでいると思う。


 他人にうまく踏み込むことのできない夏目が、妖相手にのびのびと交流していけるのは、彼らが“異なるもの”だと最初から知っているからだろう。わかりあえないのが当たり前。善悪の基準も行動原理も、違っていて当たり前。人間相手では、そうはいかない。心を預けた相手には、わかってほしいと期待してしまうし、拒絶されるのは怖い。妖が介入することによって、あたたかなぬくもりの中に、怯えがまざってしまうのもいやだ。大切な人たちは、安全な場所で健やかに暮らしていてほしい。そんなさまざまな葛藤が、夏目を臆病にさせる。大切な人が増えれば増えるほど、なおさらだ。


 けれど、拒絶されるのが怖いのは、線を引かれるのがさみしいのは、相手だって同じなのだ。なかにはもちろん悪意をもって攻撃してくる人もいるけれど、心をやみくもに閉ざしたままでは、好意に気づくこともできない。夏目ほどではないが、妖の存在を感じとることのできる田沼と多軌。夏目が何かを抱えていると察しながら、夏目のすべてを受け止めてくれるクラスメートの北本と西村、そして藤原夫妻。彼らとの関係を通じ、誰かを真に大切にするということは、そのおそれを超えていくことなのだと、夏目は少しずつ知っていく。


 そしてそんな夏目の変化が、周囲の人間をも変えていく。妖は使役する、あるいは容赦なく祓おうとする“祓い屋”の名取周一と的場静司。二人のスタンスは夏目とは真逆で、ゆえに友人帳の存在も決して明かすことはできない。だが、互いにすべてを信用することはできなくとも、人として、手をさしのべあうことはできる。根本から価値観を変えることはできなくとも、歩み寄ることはできるかもしれない。妖と人も、人と人も、踏み越えてはならないラインを探りながら、そうやって“友”になっていけたらどれだけいいだろう。


 冒頭に書いた夏目のセリフは切ないけれど、それを聞いた北本と西村は、夏目を自転車に乗せて、支えてくれる。二人は夏目の事情なんてほとんど知らないけれど、つかのま、そうしてともに走ることはできるはずだから。


 誰よりも孤独だったはずのレイコが、どういう経緯で夏目の母親を産んだのか? 26巻で描かれた的場家の悶着はどのように進展していくのか? など、物語としても気になるところは多々あれど、基本的に本作は、どのエピソードを抜き出して読んでも感じ入ることのできるつくりになっている。「いまさら追いつけないよ~」なんて思って敬遠している読者も、まずは一冊、手にとってみてほしい。妖と人の数だけ描かれる孤独と、それを癒すぬくもりは、きっとあなたが明日を生きる、力になってくれるだろう。