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池袋暴走で実刑判決、遺族「涙が出てしまった」「私たちを苦しめる控訴しないで」

2021年09月02日 19:11  弁護士ドットコム

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東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走し、松永真菜さん(当時31)と長女の莉子ちゃん(当時3)が死亡した事故で、東京地裁(下津健司裁判長)は9月2日、被告人の男性(90)を禁錮5年(求刑7年)の実刑判決とした。


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裁判所は、自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)の罪に問われ、一貫して無罪を主張してきた男性の過失を認めた。



「素人ながら、どう考えても踏み間違えだろうと思ったが、認定するのは裁判所。踏み間違えと認定してくれたのは、良かったというか、まあそうだろうなと。その、『そうだろうなあ』と思うことに2年4カ月かかった」



事故で最愛の家族を失った松永拓也さんは、会見の場で、事故から判決までの期間を、このように振り返った。



今後、男性は控訴して争い続けることもできる。しかし、遺族らは「控訴しないで」と呼びかけた。



●「アクセルを踏み続けた」と認められた

2020年10月から始まった公判の主な争点は「過失=操作ミス」の有無だった。検察側は、男性がアクセルとブレーキを踏み間違える過失があったと主張した。一方、男性側は、踏み間違えを否定し、車に異常があったとして無罪を主張し続けてきた。



判決は、車には異常がなく、男性がアクセルを踏み続けたと結論づけ、過失を認定した。



また、量刑の理由においても、亡くなった母子と遺族に寄り添った。



〈事故により松永真菜と松永莉子の母子二人の尊い命が失われた。事故の際に二人が感じたであろう驚愕や恐怖等の精神的苦痛と身体的苦痛は我々の想像を絶するものであったと思われる。二人は、本件事故により突如として将来への希望や期待を断たれ、愛する家族と永遠に別れなければならなかったものであり、その無念は察するに余りある。



遺族である松永拓也は、愛する妻と娘を同時に失い、同じく上原義教も、娘と孫を同時に失ったもので、その悲しみは非常に深く、その喪失感はいまだに全く埋められていない。松永真菜のきょうだいや松永莉子の父方の祖父母も同様である〉(判決要旨から)



●「禁錮5年」量刑には複雑な思いも

判決に救われる気持ちになったと、松永さんは感謝を口にする。



「検察側が主張していた事実認定はすべて認められ、弁護側、被告人側の主張は一切受け入られなかった形となりました。特に『尊い命がなくなり』など配慮の言葉を述べていただいた。そこから私は涙が出てしまった」



だからといって、家族の命が戻ることはなく、虚しさもあったというが、「遺族がこの先、少しでも前を向いて、生きていくきっかけにはなりえる。被告人質問など裁判はつらかったけど、被害者参加制度を利用して本当によかった」



もちろん、求刑通りにならかった量刑には複雑な思いもある。真菜さんの父、上原義教さんは「5年で納得する人はいないと思う。正直に言うと、短すぎます」と涙ぐむ。



●「心を苦しめる控訴だけはしないで」

今後は、男性が控訴して、高裁、最高裁まで争うのかが注目される。



松永さんは、誰しもが交通事故の加害者になりえる社会で、無罪主張も控訴も許されないような社会は「怖い」としたうえで、男性には控訴する権利があると、頭では理解している。



だが、「あくまで心情的には、争いを続けることはしたくない。人と争っている私を、(真菜さんと莉子ちゃんの)2人が愛してくれるとは思わないから。あとは被告人が決めること。ただ、してほしくない」



上原さんも「控訴はしないでいただきたい。私たちの心をみじめにし、苦しめる控訴だけはしてほしくない」と呼びかける。



裁判長はこの日の法廷で、否認事件ながら、男性にこのように諭したという。



「裁判に納得がいったなら、罪を認めたうえで、遺族やほかのかたがたに謝ってください。もし、納得できないなら、控訴の権利があります」(松永さんの説明)





代理人の高橋正人弁護士は、男性が「納得したら謝罪しなさいという言葉にはうなずいていた。控訴については無反応だった」と説明し、少しの期待感を表した。



「(被告人は)ぜひ、よく判決を読んでください。控訴してもひっくり返りません。なので、よくよく読んで、自分のなかで向き合ってほしい。彼(被告人)のなかでも区切りにするべき。刑事事件はここで終わって、前に進めてほしい」(同じく代理人の上谷さくら弁護士)



●過ちを認めないままの謝罪なら、してほしくない

松永さんは、「裁判中の主張と言動が伴わない謝罪ならいらない」と話す。



控訴の期限が終わるか、または、高裁、最高裁まで争って、刑が確定したとき。それが謝罪のタイミングだとした。



「それなら謝罪に利害関係がない。罪を認め、刑の確定した段階で謝罪してもらうなら、心情として受け入れるかわからないが、受け入れざるをえない」



事故からの2年4カ月は長く、一時は死ぬことまでよぎったという。



「事故当日の悲しみ、苦しみ、死んだほうがよいというところから始まって、ここまで多くの人に支えながら、なんとか生きようとした2人の命と向き合いながら、苦悩と葛藤と生きてきた2年4カ月でした。



これが今日で終わるのかというと、終わりません。悲しみが襲ってくるタイミングはこの先もあります。それは一生続くだろうと思います。ただ、ひとつの区切りには間違いありません」



●裁判を無駄にしない…交通事故で悲しい思いをする人をなくしたい

松永さんは、事故をきっかけとして、交通事故撲滅の活動に取り組んでいる。



今回の事故で、高齢ドライバーによる運転・事故が大きな課題となったが、「若年者と高齢者の間の分断は望んでいない。誰しも幸福を追求する権利はある」



「国や自治体は、事故が起きないためにはどうすればよいか真剣に議論してほしい。裁判を無駄にしたくない」





このような活動を続けて行った先に、「いつか天国で2人に胸を張って会える」とした。