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意外と知らない「クルマ」の豆知識 第9回 昔は禁止の色があった? クルマのボディカラー

2021年08月27日 11:01  マイナビニュース

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画像提供:マイナビニュース
街を眺めていると、さまざまなボディカラーのクルマが走っています。中には、ラッピングを施した“痛車”など、イラストが描かれたクルマもあります。では、道路交通法をはじめとする法律において、禁止されているボディカラーなどはあるのでしょうか。モータージャーナリストの内田俊一さんに聞きました。

○消防車と間違えやすい?

結論から述べると、公序良俗に反しない限り、クルマを何色に塗っても違反などでとがめられることはない。警察車両と同じように、白黒の2トーンで塗り分けることも可能なのだ。ただし、そこに「警視庁」などの名称を書き込むことは禁じられている。

しかし、歴史をさかのぼると昭和30年代、禁止されていたボディカラーがあった。それは“赤”だ。

当時の運輸省曰く、消防自動車と間違えやすく、紛らわしいというのが理由だった。当時は自動車の台数が150万台程度であったことから、こんな措置が取られたものと思われる。

そこへ風雲児が現れた。ホンダの創業者、本田宗一郎だ。

二輪車メーカーだったホンダが、四輪車に打って出るために開発したのが軽スポーツカーの「スポーツ360」と軽トラックの「T360」だった。当時はまだ建設中だった鈴鹿サーキットで1962年6月、関係者にお披露目され、その後に開催された第9回全日本自動車ショーにも登場。そのスポーツ360に与えられたボディカラーが赤だった。

赤のボディカラーは法律で規制されていたが、本田宗一郎と関係者は運輸省に出向き説得を開始。「こんなに小さくて背の低いクルマは、ボディカラーで目立たなければ危険だ」という理由で、赤の使用許可を取り付けた。民間では国内初のボディカラーだった。

結局のところ、このスポーツ360が日の目を見ることはなかった。ホンダはまず、軽トラックのT360を市販化し、続いて「S500」を市場に投入することになる。

スポーツ360が市販化に至らなかった理由はあまたあるようだが、ホンダによると、輸入自由化を前に「車種グループ」を規定し、担当する自動車メーカーを制限・育成することを想定していた「特振法」が施行予定だったことが、理由のひとつとして挙げられるとのこと。360ccの軽自動車と500ccの小型車の両方の生産実績を得ることで、ホンダが2つの「車種グループ」で生産を行う自動車メーカーとなることを目指した動きだったのだ。また、海外進出を見越して排気量をアップさせたという側面もある。国内自動車メーカーの保護を目的とする一方、自由な競争を制限する特振法はのちに廃案となった。

現在、スポーツ360は1台も存在が確認されていない。ホンダが当時のパーツなどを使って復刻したモデルが1台あるだけだ。

内田俊一 うちだしゅんいち 1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験をいかしてデザイン、マーケティングなどの視点を含めた新車記事を執筆。また、クラシックカーの分野も得意としている。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員。 この著者の記事一覧はこちら(内田俊一)