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【レースフォーカス】残り3周の分岐点で、ビンダーが下したスリックタイヤで走る決断/MotoGP第11戦オーストリアGP

2021年08月17日 08:11  AUTOSPORT web

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ブラッド・ビンダー(レッドブル・KTM・ファクトリーレーシング)
MotoGP第11戦オーストリアGPは、雨が波乱を生んだ。濡れた路面に、バイクを乗り替えるためピットインするライダーたち。そのなかで、ブラッド・ビンダー(レッドブル・KTM・ファクトリーレーシング)はスリックタイヤで走り続けることを決めた。その決断は、ビンダーに優勝をもたらした。
 
 前週のスティリアGPに続き、オーストリアGPはレッドブルリンクで開催された。2021年シーズンのなかでは開幕戦カタールGP、第2戦ドーハGP以来の、2週連戦、同サーキットでの開催である。レッドブルリンクは山間部にあり、天候が変わりやすい。オーストリアGPの週末は初日の午後に雨が降ったが、予選日である土曜日はドライコンディション。決勝日である日曜日も、Moto3クラス、Moto2クラスの決勝レースはドライコンディションで行われていた。
 
 しかし、MotoGPクラスの決勝レースが始まるころ、天候が変わっていく。スタート直前、グリッド上に並んだジョアン・ミル(チーム・スズキ・エクスター)のヘルメットのシールドに、わずかな雨粒が落ちていたのが確認できる。スタート時にはすべてのマシンにはスリックタイヤが装着されていたが、各ピット前にはフラッグ・トゥ・フラッグに備えてバイクが並んでいた。MotoGPクラスの決勝レースでは、レース中に白旗が提示された場合、スリックタイヤを履いたバイクからレインタイヤを履いたバイクに、またはレインタイヤを履いたバイクから、スリックタイヤを履いたバイクに乗り替えをすることが可能となるルールがあり、『フラッグ・トゥ・フラッグ』と呼ばれている。
 
 レースがスタートして間もなく、白旗が提示。しかしライダーたちはバイク乗り替えのためにピットインすることなく、レースが進んでいった。状況が変わったのは全28周のレースのうち、残り周回数が5周となったところである。雨によって路面のコンディションが変わっていったのだ。
 
 このときいち早くバイクの乗り替えを決断したのがジャック・ミラー(ドゥカティ・レノボ・チーム)とアレックス・リンス(チーム・スズキ・エクスター)で、フランセスコ・バニャイア(ドゥカティ・レノボ・チーム)を先頭とするトップ集団はコース上にとどまっていた。
 
 しかし、さらに雨量は増していった。セクター3を通過していたとき、ファビオ・クアルタラロ(モンスターエナジー・ヤマハMotoGP)とジョアン・ミル(チーム・スズキ・エクスター)が、右手を上げて状況をアピールしている。このとき、10番グリッドからスタートしたビンダーは、トップ集団の後方である6番手、5番手あたりを走行していた。
 
 転機は残り4周を終えるころに訪れた。ビンダーを除くトップ集団の5人のライダー、マルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)、フランセスコ・バニャイア(ドゥカティ・レノボ・チーム)、ホルヘ・マルティン(プラマック・レーシング)、クアルタラロ、ミルがピットに向かい、バイクの乗り替えを選択したのである。
 
 フラッグ・トゥ・フラッグのピットインのタイミングは、状況はもちろんのこと、ポジションを争っているライダーの動きを探る。後方のライダーたちは先頭のマルク・マルケスの出方を見ていたはずだ。事実、バニャイアは「マルクがどうするのか見てみようと思って、彼を前に行かせたんだ。そして彼がバイクを乗り替えるためにピットに入ったので、僕もそれにならった」と語っている。

 このとき先頭集団を走っていたのは、マルク・マルケスを除き、MotoGPクラス参戦3年目までのライダーだった。前回フラッグ・トゥ・フラッグが適用されたレースは、2021年第5戦フランスGP。さらにその前となると、2017年のチェコGPにまでさかのぼる。経験のあるマルク・マルケスの動きを参考にしようというバニャイアの作戦もうなずける。
 
 しかし、ビンダーはスリックタイヤで残り3周を走り切ることを決断した。ビンダーは「みんながピットに向かったのを見て、賭けに出るチャンスだと思ったんだ」と、このときの心境を説明する。

■脳裏をよぎった弟ダリン・ビンダーとの会話
 路面状況はさらに厳しくなっていった。最終ラップ、ビンダーはストレートでさえバイクの挙動を乱し、ひざを擦ることができないほど浅いバンク角でコーナーに入り、コースにバイクをとどめることに苦心して走行している様子が確認できる。
 
「走っていたら、ダッシュボードには『プラス9』と表示されていた。後ろのライダーとの差が10秒くらいあるとわかったんだ。でも、その後ろのライダーの誰がレインタイヤで、誰がスリックタイヤを履いているのかわからなかった。レインタイヤを履いているなら僕に追いつくだろうし、スリックタイヤなら無理かもしれないと思っていた。でも、僕はただ全力を尽くしたよ。コーナーで確実に止まり、旋回し、ストレートを全力で走ることだけを考えた」

「最終ラップでは、転倒しないように走るのはほとんど不可能だった。何度か『終わった』と思ったよ。3コーナーでは止まらなかった。リヤブレーキがちょっと利いている程度、という状況だったんだ」

 ビンダーはそうした状況のなかで、弟が言っていたことを思い出したという。ビンダーの弟であるダリン・ビンダーは、Moto3クラスに参戦するライダーだ。
 
「弟が、ウエットコンディションでのスリックタイヤのグリップについて、よかったと言っていたことを思い出したんだ。それが優勝につながったと思う」

「チェッカーフラッグを見たときに感じたのは、開放されたという安堵感だった。それと同時に、優勝できて信じられない気持ちだった」

 ビンダーはレース後、トラックリミット超過により結果に3秒加算のペナルティを受けた。しかし、その後のリザルトによれば、そのペナルティは取り消されている。どちらにせよ、2位に10秒以上の差をつけてゴールしているので、結果に変わりはなかった。
 
 一方、2位でフィニッシュしたバニャイアと3位のマルティンは、上述のように、レインタイヤを履いたバイクに乗り替えた。バニャイアは最終ラップに入ったとき、10番手。マルティンは11番手だったが、最終ラップでスリックタイヤを履くライダーたちを交わして、大きく順位を上げている。タイムを比べても、残り2周目と最終ラップはレインタイヤの方が確実に速い。
 
「スリックタイヤで走り続けるライダーがいるとは思っていなかったんだ。コースは完全に濡れていた」とバニャイアは語る。

 総合的に考えれば、ビンダーが先頭集団にいたあの残り3周のタイミングで、スリックタイヤで走るという決断を下したからこそ、手にできた勝利なのだろう。その瞬間に下したひとつの決断が、ある種のドラマチックな優勝を生んだ、オーストリアGPの決勝レースだったのではないだろうか。